世界の常識の他、現状の活動には学問の歪が生み出したものが山ほどある。
道理の間違いを指摘、修正、解決策を示した野人理論は細かいものまで入れれば百近いだろう。
何故これほどの間違いが生じたのか、その理由は半月前の記事「専門家の弱点 野人の弱点」に記した通りだ。
指摘した間違いは「生命に関する学問」に限られ、他の分野には及んでいない。
現学問の領域を超えるほど連立した広大な生命の世界に専門分野から入ろうとするからそうなってしまう。
「灯台下暗し」、灯台ばかり見て足元の世界がはっきり見えないのと同じだな。
細胞や微生物ばかり研究し続けず、しばらく顕微鏡と決別して野山を観察、学問のジャンルを超えて自然界の仕組みを総合的に探求したほうがよいのだが、それだけで何年何十年も費やすはず、それほど膨大なのだ。
学問の歪が生み出した間違いは農業だけでなく「食の常識」「栄養学」「健康学」「病不調対策」に集中、さらにオーガニックやマクロビなどの明確な間違いも指摘、テーマ別でもよいがブログ内検索で山ほど出てくる。
今回は自然農法とパーマカルチャーを取り上げてみた
ウィキペディアより・・自然農法
日本で初めて提唱し取り組みを開始した岡田茂吉の考え方は、「農薬や人糞肥料・化学肥料を⼀切使⽤せずに、枯れ草や藁などで堆肥を作って⽥畑に還元し、⾃然界の⼟壌と同じ⽣命⼒溢れる⼟を作り出し、⾃然の仕組みを上⼿に再現した農産物⽣産⽅法」であり、映画「いきている土」でも紹介されている。この方式を踏襲しているのが、公益財団法⼈⾃然農法国際研究開発センター、⼀般社団法⼈MOA⾃然農法⽂化事業団、公益財団法⼈農業・環境・健康研究所などである。次に、福岡正信などが提唱したのは、「不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)、不施肥(肥料を与えない)、無農薬(農薬を使用しない)」を特徴とする農法。なお、法律(JAS法等)では「自然農法」、「自然栽培」は定義されていない。
以下 代表的な自然農法の実践者と農法名
1937年に実験的に自然農法を始める。高知県農業試験場勤務を経て、1947年から自然農法の活動に専念する。栽培形態が最も自然に近い独創的な農法を実践、普及。多様な植物の種子を百種類以上集め、粘土と共に混合・団子状にした粘土団子を作ったことでも知られる。
粘土団子による自然成長のみを肯定し、耕起、施肥、除草、病害虫防除を全て否定する。
世界救世教の教祖である岡田が1935年に「無肥料栽培」の思想を説く。1936年から東京都世田谷区上野毛の邸宅にて実験的に作物を作り始め、1942年からは水稲にも取り組む。1950年(昭和25年)から「自然農法」へと改称し、1953年には「自然農法普及会」を発足させた。
耕起は肯定する。施肥は肯定するが、落葉や草を自家で発酵させた「自然堆肥」のみとする[1][2][3][4][5]病害虫防除は肯定する。人力による除草は肯定する。
その流れを汲み、長年の活動を続けているのが、公益財団法⼈⾃然農法国際研究開発センター、⼀般社団法⼈MOA⾃然農法⽂化事業団、公益財団法⼈農業・環境・健康研究所、秀明自然農法などである。
1939年生まれ、奈良県桜井市在住。農薬を用いた農業で体を壊し、1970年代より無農薬、無肥料、不耕の「自然農」を起こす。
耕起、施肥、病害虫防除は否定する。人力による除草は肯定する。
青森県弘前市岩木町で、1978年(昭和53年)より無農薬りんご栽培を試み10年間の無収穫期間を経て自然栽培[6](無農薬・無肥料栽培)を確立。
先に・・「法律では定義されていない」とあるが、そうだろうな。
それぞれの農法の微妙な違いは個々の思いの違いであり、物理的な道理がなければ良い理由も悪い理由もはっきりせず、定義もしようがないのだ。
何故はっきりしないのかは簡単。
自然界の仕組みの物理学が存在しないから根拠もなく判断のしようもない。
存在しないから野人原人は独自の物理論を築いた。
ヤマハ時代の農園担当時、部下が持参した本で初めて福岡さんを知ったが、数十ページ読んでも道理も根拠も見えず、農業書ではなく哲学書と判断、実践の役には立たないと判断して読むのを止めた。
他に数ある農法も同じで個々の「思い」が先行、思い込みが強いほど周囲の自然界は見えなくなってしまう。
自然界の仕組みはすべて完全な物理であり物理学は自然界からの産物だが、生物学も植物学も農学も、食物学栄養学健康学も物理とは無縁。
パーマカルチャーも同じで、自然農同様に理念は素晴らしいのだが、実践において中身は皆無と言われても仕方なく、農法と言うより哲学に近い。
物理と哲学、学問の基盤、起点から異なるのだから、自然農やパーマカルチャーと協生農法が交わることはあり得ない。
生命に関する既存の学問が協生理論と交わることがないのと同じであり、既存学問を前提に協生理論を学ぼうとしたり、付け加えようとすれば必ず矛盾が生じる。
物理には「似たようなもの」という曖昧な定義はない。
同じものか異なるものか、それしかないのだ。
上記4つの自然農はそれぞれ異なるものであり、自然農と言う言葉も無理があり、そうするならば自然の物理的な仕組み・定義をはっきりさせなければならない。
歴史ある自然農もパーマカルチャーもイメージが定着している以上、協生農法にその言葉は持ち込めない。
野人はオーガニック、マクロビだけでなく自然農、パーマカルチャーの矛盾もはっきりさせたが、それらが悪いというものではなく自由な思想なのだ。
茶屋人も有機茶が主力であり、マリンビレッジやむー農園にも弱油粕栽培園もある。
スーパーでカレー用に買う玉ねぎやジャガイモに完全を求めることもない。 普通でよい。
理論は理論、どうするかは自由に決めればよい。
パーマカルチャーと協生農法の違い
https://ameblo.jp/muu8/entry-12455120039.html
雨の講習会 農法の理
https://ameblo.jp/muu8/entry-11189293711.html
パーマカルチャーの面々
時空の種理論 協生農法 1 1~5
https://ameblo.jp/muu8/entry-12173853354.html
砂漠化のプロセスと復元のプロセス
https://ameblo.jp/muu8/entry-12231263997.html
ネイチャー誌掲載の反響
https://ameblo.jp/muu8/entry-12408624824.html
マクロビオティックの盲点 7 終章
https://ameblo.jp/muu8/entry-11141336962.html
思考の盲点 野菜と健康 3
https://ameblo.jp/muu8/entry-11573515849.html
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