ここに、迎える12月は教学試験と広布御供養の二大綱目を強力に推進する中に、全組織が明年の広布の決戦場第7年の1年をにらみ、広布の人材を育成して鉄壁の組織を構築していきたい。
まず教学試験について少し触れておきます。
教学は何も物知りになったり、知識を得るために学ぶものではありません。自身の一生成仏のため、そして、広宣流布のために学ぶのであります。
私は、先生が著わされた基礎教学書を学ぶ事を決して当たり前と思ってはいけないと常々思っております。
御書はまことに甚深で、泳ぎ方を知らない者が太平洋に放り出されたら溺れてしまうように、たとえ凡夫が御書を読んでも日寛上人の智目を通さなければその元意は絶対に分からない。
そこに先生は「御書を心肝に染め、極理を師伝せよ」との仰せのままお若き頃から日寛上人の御指南を通して御書の極理を師伝され、ある時はかつての機関誌に仏法の解説書を幾度かしたためられ、また、平成元年には『折伏理論解説書』を執筆され、それを土台として大幅に筆を加えられ、平成27年に基礎教学書を著わして下さったのであります。
激務の間に暇を見つけては執筆され、実に、2年もの歳月を費やし基礎教学書を上梓された先生のお姿は、その一文字一文字に込められた大忠誠心を拝察すれば熱涙が込み上げてまいります。
私は、先生が基礎教学書を著わされた後、事ある度に大事を留め置く事が叶った事を「よかったなあ」と安堵された御様子でお喜びになっておられたその御表情を忘れる事はできません。
基礎教学書の発刊に当たり先生はかく仰せ下さいました。
「私は『何としても全日本人に日蓮大聖人の大恩徳と三大秘法の尊さ、有難さ』を分からせたい。ただこの一念で心血を注いで書き上げた。まさに『広宣流布のための基礎教学書』である。
まず、全顕正会員が熟読し、心肝に染めてほしいと念願している」と。
謹んで案ずるに、日蓮大聖人の御書を拝読する鍵を、その御相伝の極理を、不世出の大学匠日寛上人が『六巻抄』等に顕わされ、そして、広布前夜に至り浅井先生が広宣流布のために基礎教学書を著わして下さったのであります。
そして、日寛上人が諸説の正しさを御自身の臨終をもって証明されたごとく、浅井先生もまた御自身の臨終の証拠をもって「基礎教学書に記された内容は大聖人様の御心に寸分も違わぬものである」事を証明して下さったのであります。
されば、全顕正会員は「基礎教学書こそ先生が広宣流布のために留め置かれた畢生の重書」と心し、深く学んでいかねばなりません。
そして、四級試験を受験する幹部においては、先生が平成2年に著わされた『正本堂の誑惑を破し、懺悔清算を求む』の一書を合わせて学んでほしいと思っております。
先の三回忌法要でも触れましたが、この平成2年の諌暁書こそ先生が学会・宗門の御遺命違背にとどめを刺されると同時に、国立戒壇への大展望を開かれた歴史的重書であります。
そして、偽戒壇正本堂の崩壊という大現証をもたらした験有る文というべきものであります。
三回忌法要特集号に掲載させて頂いた阿部日顕の悪書の余白に書き込まれた先生の破折のメモと「所破の為に此れを持す也 浅井昭衞」との雄渾のお文字を拝見すれば、いかに先生が一念に億劫の心労を尽くして、御遺命破壊の大誑惑を徹底粉砕されたのか、その凄まじいまでの御気魄が強烈に命に迫ってまいります。
先生は常々かく仰せになっておられました。
「こと御遺命に関する事は、いかなるたばかりをも粉砕する力を持たなければいけない」と。
平成2年の諌暁書を学ぶに当たっては、かかる先生のお心を胸に抱いて学び、御遺命たる国立戒壇の本義、その大事を深く命に刻み、いかなる国立戒壇に対する邪難をも破折する巧於難問答の行者としての実力を備えてまいらねばなりません。
そのような思いでしっかりと心腑に染めていってほしいと思います。