こうの大情熱が渦巻く本日の総幹そうかんかいもまことに大感動だいかんどういたしました。
 迎える4月は、建長5年4月28日にだいしょうにんさまが始めてほんもんの題目を唱え出だされたりっしゅうの月であります。
 りっしゅうにおけるだいしょうにんさませいがんがいかに堅固であられたか。『かいもくしょう』には次のごとくおおくだされている。

 「ほんごくれをれるものただにちれんいちにんなり。
 れをいちごんでももうだすならば、けいていしょうこくしゅおうなんかならきたるべし。わずばなきにたり。
 ないこんごうじょうだいしんこして、退たいてんせじとがんじぬ」
と。

 「成仏の叶う大法は文底下種の南無妙法蓮華経以外にはない。念仏・真言・禅・律等は人を地獄に落とす邪法である。
 このことを知り給うは、ほんこくにただにちれんだいしょうにんいちにんであられる。
 もしこのこといちごんでもい出すならば、必ず身命に及ぶ大難が起こる。しかし、わなければがないのといっしょである」と。

 これが、だいしょうにんさまだいだいであります。
 そこに「たとえいかなる大難が競い、それが身命に及ぶともさんだいぼうをもって全人類を現当二世に救わん」とのだいせいがんを立て給うたのであります。
 ここに今ただにちれんいちにんなり」とのおおせを深く拝したてまつるものであります。
 だいしょうにんさまあましょにちれんいちにんおおせ給うておられる。
 例えば『しょほうじっそうしょう』には

にちれんいちにんはじめはみょうほうれんきょうとなへしがにんさんにんひゃくにんだいとなつたふるなり。
 ないあまつさこうせんときほんいちどうみょうほうれんきょうとなへんことだいまととするなるべし」

おおせられ『ほうおんじょう』には

にちれんいちにんみょうほうれんきょうみょうほうれんきょうこえしまずとなうるなり。
 ないにちれんこうだいならば、みょうほうれんきょうまんねんほからいまでもながるべし」

おおせられる。
 このにちれんいちにんとのおおせに、末法に初めてもんていじんの大法を弘通あそばされた下種のほんぶつただいちにんが抱き給うてっせきすてけつだいだい、そしてにちれんさきがけしたり」とのさんだいぼう弘通のせいがんこころを拝しては、粛然しゅくぜんたるおもいにられます。
 かかるだいせいがんけつを帯された日興にっこう上人しょうにんもまた、五老僧がことごとくてきたいおちいる中にっこういちにんほんしょうぞんじて」とただいちにんほんぶつゆいめいほうじて滅後51年のどうをなされた。
 日目にちもく上人しょうにんもまたにちもくせんぼうげんがために」ゆいめい実現に身命をなげうたれた。
 こう前夜に至り、せんせいもまた第六天の魔王のしょうにより正系門家のことごとくがてきたいおちいり、ゆいめいかいせんとする中に「我いちにん立つ」のおうしんゆいめいを死守されると共に、その達成に向けてしんほうを展開され、さんびゃくまんにならんとするぶつの大集団を築かれたのであります。
 そして、逝去せいきょされるとも、今もなおせんせいの強く深い大忠誠心だいちゅうせいしんによって、全顕正会はおうの子として勇み立ち、ゆいめい成就に驀進ばくしんしているのであります。
 私達はにちれんだいしょうにん」「あさせんせいであります。
 であれば、誰が立とうと立つまいとにちれんいちにん」「にっこういちにんとの大精神、そしてわれいちにんつ」とのはくで命尽くまで戦われたせんせいけつを帯し、立たなければいけない。
 されば、迎えるりっしゅうの月4月、その誇りと確信かくしんを胸に、いよいよ励みを為すしょてんのテンポを上回る空前のだいしゃくぶくせんを展開してまいろうではありませんか。