次に、広布御供養について。
顕正会の目的は何かと言えば、広宣流布・国立戒壇建立のみであります。
ゆえに先生は、その使命を終えた後の事をかく仰せであります。
「顕正会は俗に言う『宗教団体』ではない。宗教屋が飯を食うための、坊主が飯を食うための団体ではない。
日蓮大聖人の御遺命を奉じて広宣流布・国立戒壇建立に戦う事を唯一の目的とする仏弟子の集団である。
よって、この使命を終えたならば解散するのが当然ではないかと私は前々から思っている。
顕正会が何も永遠である必要はない。永遠なのは戒壇の大御本尊様と富士大石寺だけなのである。
私達は仏弟子として与えられた使命を果たせばそれでよい」と。
そして、その使命を果たし終えて顕正会が解散する暁には、当然宗門には国立戒壇を堅持する正しき貫首上人がまします。
だから先生は「その時顕正会の残余財産は全て富士大石寺に供養するものとする」とあらかじめ法人規則にお決めになっておられます。
このように清らかで崇高な団体は顕正会以外には断じてありません。
しかし、正系門家のことごとくが師敵対に陥り、未だ広宣流布せざる現在、これを進める団体は顕正会以外にないのであれば、身命を捨てて御遺命成就に戦わねばなりません。
その広宣流布を力強く進めるには、広布御供養がなくてはそれは叶わない。
そこで、無理のないように定め、広布推進に必要な金額を皆で大聖人様に供養し奉り、それを大切に使わせて頂く。
これが、顕正会の広布御供養の大精神であります。
御遺命に背き奉った宗門の禿人らが己の生活、贅沢のために信徒から供養を貪るのとは天地のごとく精神が違う。
先生御自身、顕正会の会長として毎年率先して多額の御供養をなさっておられました。
そして、一切の無駄遣いをせず、広宣流布のためだけにそれを大切にお使いになっておられました。
以前にもお話ししましたが、御入仏式などで地方に赴かれても、先生は御用意した弁当の費用すら一度たりとも顕正会のお金を使われた事はない。
どこまでも厳格に公私を立て分けられる清廉潔白なそのお姿を私は間近で拝見してまいりました。
そして、唯一御遺命に戦う顕正会が広宣流布のために使わせて頂く浄財ゆえに、広布御供養には大功徳がある。必ず我が身に返ってくるのであります。
大聖人様は佐渡御流罪の折、真心の供養を続けまいらせた四条金吾殿に対しこう仰せられている。
「何よりも重宝たるあし、山海を尋ぬるとも、日蓮が身には時に当たりて大切に候」と。
本文中の「あし」とはお金の事でありまするが、大聖人の御命を継ぎまいらせる金子であるから「何よりも重宝たるあし」と仰せられるのであります。
顕正会の広布御供養も同じく大聖人様の御心に通じるものであります。
どうか全員が誇りと確信をもって『灯火に油を注ぐ』との思いで、喜んでこの広布御供養に参加しようではありませんか。