そして、がわえいろうのこの主張がにっぽんかいの思想に基づいていることは、先月の総幹そうかんかいで触れた生長の家の教祖たにぐちまさはるの教えに強く傾倒けいとうしたにっぽんかいちゅうすうメンバーであるとうてつの発言を見ればうたがう余地もない。
 とうてつは自著の中でこう記しております。分かりにくく少し長いですが引用いたします。

 「うまでもなく我が国のシビルレリジョン(いわゆるこくみんしゅうきょう)、あるいは我が国のコンスティテューション(いわゆるけんぽう)の中心に位置し、その存在そのものを具現化してきた物こそ、まさにこのてんのうの存在であった。
 誤ったせいきょうぶんろんからだっきゃくして、我が国のこってきでんとうを支えてきたしゅうきょう的基盤に新たなまなこを注いでいくことは、我々にとって喫緊きっきんの課題とおもわれるのだ。
 そしてそれは、ほんしょ)の神話てき伝承でんしょうを源泉とするしんとうてき文化でんとうへの本格てき回帰を我々にうながすであろう。
 君主制は、君主の神格化・神聖化を離れてはありず、王位もまたしゅうきょうてき意義付けを離れてはその本来の意味を明らかにはない。
 古今を通じて動かないのは、君主制のこのしゅうきょうてきほんしつに対する信仰なのである。
 それは、我が国固有の皇祖神信仰(これは、てんのうの先祖であるてんしょうだいじん等の神々を崇拝する信仰)に基づくさいおうとしてのでんとうである。
 それは我々に、神とこっと人間の目に見えぬほんしつてき関係を意識せしめ、認識せしめてくれるとえよう 。
 分かりやすくうと、にっぽんという国及びけんぽうの中心にはてんのうが存在し、それは単なるせい制度ではなくしんとうでんとうに根差したしゅうきょうてきな意味を持つ。
 せんせいきょうぶんかんがえ方は誤りであり、ほんしょ)の神話にもとづくしんとうてきでんとうに立ち還るべきだ。
 てんのうは、神と人間とこっをつなぐさいおうであり、そのしゅうきょうてきほんしつこそがにっぽんこってき基盤である」
と。

 以上、とうてつの主張を一言でまとめればにっぽんてんのうを中心としたしんとうてきな国体、すなわち、神の国に回帰させなければならない」ということであります。先ほどのがわえいろうろんぶんの出どころはまさにここにある。
 とうてつを始めにっぽんかい界隈のやから皇室こうしつぶっぽうじょうじゅうだい使めいを知らない。
 にっぽんは、おん元初がんじょじゅ用身ゆうじんにてましますにちれんだいしょうにんが御出現あそばすさんだいぼう有縁の妙国であれば、このほんぶつしゅたてまつぜんじんが前もってこの国に出現しないはずがない。
 ゆえに、だいしょうにんさまは『にちげんにょしょう』にてんしょうだいじんはちまんだいさつも、ほんきょうしゅしゃくそんなり」あるいは『うぶそうじょうのこと』におんしゅみょうほうれんきょうしゅじんおん元初がんじょじゅ用身ゆうじん御出現の国に前もって釈迦仏がさんだいぼうしゅのために垂迹すいしゃくしたのがほんこく最初の国主であるてんしょうだいじんであり・はちまんだいさつである」のであります。
 ゆえに、その子孫であり、国主である歴代天子にはおのずとぶっぽうしゅだい使めい、すなわちしゅぞくが付されている。
 これこそが、二千数百年も皇室こうしつが万世一系で永続してきた所以ゆえんであります。
 かかる皇室こうしつぶっぽうじょうじゅうだい使めいをわきまえず、てんのうを「現人神あらひとがみ」とするようなにっぽんかいの思想は大きなあやまりであります。