三大さんだいほうしょう』にたまわく
 戒壇かいだんとは、王法おうぼう仏法ぶっぽうみょう仏法ぶっぽう王法おうぼうがっして、王臣おうしん一同いちどう本門ほんもん三大さんだいみつほうたもちて、徳王とくおう覚徳かくとく比丘びく乃往むかし末法まっぽうじょくあくらいうつさんときちょくせんならびにぎょうしょもうくだして、りょうぜんじょうたらんさいしょうたずねて戒壇かいだんこんりゅうすべきものか。ときつべきのみ。戒法かいほうもうすはれなり。
 三国さんごくならびに一閻いちえんだいにんざん滅罪めつざい戒法かいほうのみならず、大梵だいぼん天王てんのうたいしゃくとうらいしてみ給うべき戒壇かいだんなり。



 只今拝読のもんは、だいしょうにんさまにゅうめつの6ヶ月前に、それまで深く御胸の奥に秘めされ給うておられた究極きゅうきょく大願だいがんである本門ほんもん戒壇かいだんこんりゅうについてのきょうを初めて門下に示し給うた重大なもんであります。すなわち、門下への遺命ゆいめいですね。
 私は、このもんを拝するたび

だいしょうにんさまが、全人類ぜんじんるいのためにこう良薬ろうやくとして留め置かれた本門ほんもん戒壇かいだんだい本尊ほんぞんさま力用りきゆうをもって、何としても、本門ほんもん戒壇かいだんこんりゅうして、ほん及び全人類ぜんじんるいを現当二世に御救い下さるそのだいだいが込められたもんなのだ」

という事を拝しております。
 でこのもんは顕正会員ならばみんな心肝に染めておりますね。
 『そらんじているんではないか』おもわれるほどみんながしんに染めております。
 そして、文文もんもん句句くくの解釈におきましては『しゃくぶく論書ろんしょ』『南無なむ日蓮にちれんだいしょうにん』そして、かんぎょうしょ細々こまごまと記しておりますので、本日そのことについては省略しょうりゃくをいたします。
 でこの大意についてべさせていただくならばこういうことですね。

 「ほん一同に日蓮にちれんだいしょうにんを信じて南無妙法蓮華経と唱えたてまつ広宣こうせん流布るふの時、そして、この戒壇かいだんだい本尊ほんぞんさましゅたてまつるにおいては『こっの命運をしても』というようなほうの思いが国中にみなぎった時に、仏法ぶっぽうしゅちかいをこっの意思として公式にそれを表明して、本門ほんもん戒壇かいだんこんりゅうすべきである。
 これこそがこと戒法かいほうであって、この本門ほんもん戒壇かいだんは、ただほんのためにあるのではなくて、中国・インド・そしてぜんかいの人々のための戒壇かいだんざん滅罪めつざいのための戒法かいほうである。
 いやそれだけではない。大梵だいぼん天王てんのうたいしゃくとうらいして参詣すべきまことにとうと戒壇かいだんである」

ということおおせであります。
 まさしく「この本門ほんもん戒壇かいだんこそぜんきゅうじょうの中心となる」というそういう日がかならず来るんですね。
 物ことには中心がなければおさまらない。かいの中心は実に、国立こくりつ戒壇かいだんましますこのほん
 本門ほんもん戒壇かいだんこそかいの中心である」という事なのであります。
 この本門ほんもん戒壇かいだん国立こくりつ戒壇かいだん)がこんりゅうされた時には、ほん仏国ぶっこくとなるんです。
 そうでしょ。ほんの総意をもってこんりゅうせられた国立こくりつ戒壇かいだんに、だいしょうにんの御当体にまします戒壇かいだんだい本尊ほんぞんさまが御安置されるその時に、ほんの国のたましい日蓮にちれんだいしょうにんとなる。
 本仏ほんぶつたましいとする国はすなわち仏国ぶっこくであります。この仏国ぶっこく金剛こんごう不壊ふえですね。
 これを『りっしょう安国あんこくろん』に

仏国ぶっこくおとろえんや。じゅっぽうことごとほうなり。ほうなんやぶれんや」

おおせあそばすのであります。


平成20年 12月7日 浅井先生指導