そして

戒法かいほうもうすはれなり」

「この本門ほんもん戒壇かいだん国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅうこそがこと戒法かいほうに当たるのである」

という事をおおせになっておられます。
 「戒法かいほう」の「かい」というのは「戒律かいりつ」の「かい」ですね。
 この「かい」というのはどういう意味かと申しますると

ぼう非止ひしあく
「非をふせいで悪をとどめる」

「非行をふせいであくぎょうをさせない」

これがすなわち「戒律かいりつ」ということであります。
 これは、こっでもそういうこと必要性ひつようせいを感ずるから、国は法律ほうりつさだめてそれをやるんですね。「ぼう非止ひしあく」という事を刑法けいほうでもって「人を殺してはいかん」「盗んではいかん」という事をやるわけでありまするが、人の心が悪くなってくると、いかに法律ほうりつを決めたって犯罪はんざいがますますえていくんです。
 今の犯罪はんざいすごいでしょう。人殺しにしても、テレビ・新聞でもって聞くにえないまわしいほどの惨残さんざんぎゃくな殺人事件が毎日毎日おこなわれております。
 そこで、最近では「害者がいしゃきゅうさい法案ほうあん」なんていうのが神奈川県でできました。「犯罪はんざい害者がいしゃを救っていこう」という法案ほうあん
 それから「害者がいしゃぞくけんと共に犯人はんにんに対して尋問じんもんをするようなそういう刑法けいほう改正かいせいをしようではないか」ということも進められております。
 大いに結構けっこうでありますけど、それはいかにも後追いですよね。
 それらの事よりも「犯罪はんざいをなくす」ということが一番なんでしょう。これは、国法こくほうではできないんですよ。
 これは、本当に三毒さんどくの心をえていかなければいかん。命をえなければわらないんですよ。
 そこに、しゃ仏法ぶっぽうではこれを戒律かいりつでもっておさえようとしたんでしょう。
 ですから、しゃ仏法ぶっぽうではまず「かい」というのが基本です。5つのかい。これが

せっしょうかい」「人を殺してはいけない」
ちゅうとうかい」「ぬすんではいけない」
もうかい」「人をだましてはいけない」「詐欺さぎをしてはいけない」
邪淫じゃいんかい」「りんということは、配偶者はいぐうしゃの相手をくるしめるからやってはいけない」
飲酒おんじゅかい」「酒を飲んではいけない」

等の5つの戒律かいりつがある。
 それにくわえてさらにこまかく「じゅっかい」というのがある。
 もっともっとくわえて「ひゃくじゅっかい」というのがある。ちょう高層こうそうビルみたいなものだ(笑)。
 でこういうような諸々もろもろこまかい戒律かいりつを「あれをやっちゃいけない」「これをやっちゃいけない」といっても、外からやる戒律かいりつしゃくそんざいならばいいかもしれないけれども、末法まっぽうの根性のひねくれ曲がって命のにごった者には通用つうようしないんです。
 そこで末法まっぽうかいだ」「戒律かいりつもちいない」ということであります。
 では、なにかというと、なんでもやっていいのではない。

 もう、そのようなしゃぶつ戒律かいりつもちいずとも、本尊ほんぞんを信じ南無妙法蓮華経と唱えたてまつる。「この正しい仏法ぶっぽう護持ごじする。じゅする」ということがそのままかいに当たるんだ。「じゅそくかい」というんですね。

 南無妙法蓮華経と唱えたてまつる。そうすると、三毒さんどくの命かわってくるんですよ。
 犯罪はんざいを起こすのは三毒さんどくですからね、欲といかりと愚かしさ(愚痴ぐち)が犯罪はんざいすべてをおかしてくる。この心がわってくる。

 「じょくすいこころなけれどもつきおのずからめり」

 「濁った水に心はないけれども、月がうつれば自然とんでくるではないか」

 三毒さんどくで濁った命が、一度ひとたび本尊ほんぞんさまを信じきって南無妙法蓮華経と唱えたてまつると、凡夫の濁った心に仏様のおんいのち宿やどる。
 そうすると、自然と自利利他じりりたの働きになるんです。もう「悪い事をしろ」と言ってもしない。できなくなってくる。そういう当体とうたいわってくるんです。
 だから私はいつも、顕正会の中でもって青年せいねんでよく発表がありますが「親をにくんでにくんで『殺してやろう』とさつまでいだいた」というような青年せいねんが、一度ひとたび本尊ほんぞんを信じてお題目を唱えてくるとにくしみの心が消えて孝養こうようの心が起きてきた」『親をすくおう』というような気持きもちになってくる。
 このような、親さえ殺そうというような青年せいねん「人を救い、国をもうれえる」とこのように革命かくめいする。
 私は、このげんしょうを見てきょう育者いくしゃは見るべきである』『警察けいさつとうきょくも見るべきである』『せい治家じかもこれ見るべきである』おもっております。
 誰もえることのできない者を、本尊ほんぞんの力によって、このように、三毒さんどくの心がわってくるではないか。
 これがすなわち「じゅそくかい本尊ほんぞんさまのお力、そして、信心しんじんしょうの力なんですね。
 さあ、この「じゅそくかい」という事をこっレベルでもって行われるのが

戒法かいほうもうすはれなり」

ということですね。国そのものがすでにぼう非止ひしあく当体とうたいとなる。
 この時、今国中にあふれている犯罪はんざい一切いっさいすべてなくなります。
 丁度、朝太陽がのぼればすべての朝露あさつゆが自然と消えるように、国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅうされた時には、すべての犯罪はんざいはこの国から消えていくということが、すなわち

戒法かいほうもうすはれなり」

ということであります。


平成20年 12月7日 浅井先生指導