そしてけんしょうかいが力強く、たくましくづう前進ぜんしんするその姿をて、本当ほんとうに喜んで、その2年後にあんじょうとしてりんじゅうむかえました。
 まことに、立派なりんじゅうでしたね。
 数ヶ月前からだんだん体力がおとろえてまいりまして、足が弱ってきた。
 でうちのぶつは2階にあるんですね。父は下に寝ておった。
 で、ごんぎょうたびに2階にがってくるんですが、体力が弱ってきて、足が弱ってくるとなかなかがらないんです。
 でもう息をハアハアハアハアあえぐようにさせて、そして手すりにつかまって一段いちだん一段いちだんとわずかなみじか階段かいだんを3分もかかってがってくる。
 がるともう体力がきちゃって声が出ないんですね。
 で、ごんぎょうの後ろについて「ごんぎょう間中あいだじゅうずーっとその手を合わせているだけで声も出ない」というような一つのことつづけておりました。
 私はそのうようにしてあまりにも遅くがってくるあえぐようなその姿をて「下でそのままごんぎょうをすればいい」ということを何度も何度もすすめた。
 ところが父は「いや、がれるうちは、体力が続くうちはなまけたらもうし訳ない」とこうってごんぎょうつづけました。
 そして、しょう59年の4月27日の午後7時(ちょうど今の時刻でありまするが)たきぎきてめっするごとくにやすらかにいきりました。時にちょうど80さいでありました。
 でそのりんじゅうの相は、生前りんじゅうの直前にはせておって、ほほがこげておりました。
 そのせていたほほが嘘のようにふっくらとして、金言きんげんごとくに色白いろしろく、やわらかく、そして、はんくちびるには赤みがさして、まさにせきびゃくたんじょうの何ともいえないにゅうそうでありました。
 でこのりょうそうたりにした時に、私は、父と別れた悲しみよりも本尊ほんぞんさまは何と有難ありがたいのか』というおもいでもって涙がげてまいりました。

 私は、父とはしょうがい一度も離れたことはなかった。一日も離れたことはなかった。
 この初代しょだい講頭こうとう先生せんせいが身をもって私におしえてくれたことはただ一つ。
 「この本尊ほんぞんさまどく絶対ぜったいである」このことおしえてくれました。