しかし、今はけんしょうかいにおいてはこういうしきがあって、にゅうしんすれば必ず先輩が手取てとあしはげましていろいろとおしえてくれる。
 ところが、当時においてはしきなんていうものはなかったんですね。
 しかも、しゃくぶくしてくれた人がその後ただちに遠くへ行ってしまって音信おんしんつうになっちゃったというんです。
 普通ならその時にそのまま(にゅうしんしたばかりでありまするから)信心しんじんを忘れちゃっても当然とうぜんである。
 しかし、先生せんせい宿しゅくえんが深かったのでありましょう。本尊ほんぞんさまだけは最初から純粋に信じきった。
 そして、一人でもってごんぎょうはげんでいたということなんです。
 しかし、一人信心しんじんの悲しさですね。誰もはげましてくれない。
 だから、時にはごといそがしさにまみれて、ついごんぎょうなまけてしまうことがある。
 でごんぎょうというのは1回なまけると2日3日とつづけてなまけてしまうんですね。
 ところが、しきがあればそういう時に班長が来てくれる。「ごんぎょうをやってるか」といって見に来てくれる。
 そこでまた信心しんじんを始めていけるわけなんでありますけれども、一人信心しんじんでありまするから2日3日となまけてしまうと誰もはげましてくれるものがいない。
 そうすると、講頭こうとう先生せんせいの時は3日4日となまけると必ず夜に夢をたんだそうです。
 そして、物凄ものすごくおっかないものがてくるんだそうです。あせびっしょりになって、そのあくる日の朝からまたいっしょう懸命けんめい題目だいもくを唱えた(大笑)。
 そのこわい夢というのは何かというとしゃっきんりなんですよ(爆笑)。
 上京じょうきょうして数年間すうねんかんあいだ「何とか身を立てよう」「何とかぎょうを起こそう」とあせっているうちに、しゃっきんだけつくっちゃったんですね。
 そして、何よりかによりこのしゃっきんりがりに来るのが一番こわかった。
 そのこわい人が、ごんぎょうなまけると必ずて来る(笑)。
 そういうようなことが何回かあって「もうごんぎょうだけは絶対ぜったいなまけてはいけないんだ」ということ心魂しんこんてっして「以来いっしょうがい一度もなまけたことがない」というようなことを父はよくっておりました。
 ですから父はよく「自分の信心しんじんしょうしゃっきんりだ」(大爆笑)とこうっておりましたね。
 しょには

たいしゃくかんしょうとした。
 (かんというのはきつねことですね。きつねしょうとした)
 雪山せっせんどうじんしょうとした」

ということがありますけれども、しゃっきんりをしょうということしょにはない(笑)。
 しかし、宿しゅくえんがあったんですね。夢でもって信心しんじんが深くなった。
 そして、それから真剣しんけん仏法ぶっぽうまなび始めた。そしてしゃくぶくにも立った。
 父は決して学問がくもんがあったわけではない。
 しかし、私は覚えておりますけれども、真剣しんけんしょを読んでましたね。
 そしてしょぜんしゅう本当ほんとうあかで真っ黒になる程それほどよくんでいた。
 ことに『りっしょう安国論あんこくろん』の所だけは黒くよごれておりました。