そして(これが昭和34年でありまするが)、その翌年の昭和35年に創価学会には戸田会長に代わって三代会長に池田大作が就任をした。
宗門では日淳上人の次に66代の細井日達管長が就任をした。
ここに、正系門家において淳師はお亡くなりになる。戸田会長も死ぬ。
そして、学会においては池田大作、宗門においては細井日達管長、この2人でもって宗門がいよいよ運営されるというような事になって、正系門家は重大な転機を迎えたんですね。
間もなく、池田は政治野心から「世間に抵抗のある国立戒壇を捨てる」というそういう心を抱いた。
しかし「捨てる」というだけでは誰も信じない。
そこで、偽物の御遺命の戒壇を建てる必要を生じて、広宣流布を偽って、そして「正本堂を御遺命の戒壇だ」という事にしてしまおうという事を企てたわけであります。
しかし、時の法主さえこれを認めなければ、そんな大それた事はできるわけがないんです。
そうなんでしょう「今やすでに広宣流布」といい、そして、俄かに立てた正本堂を「御遺命の戒壇」という、そんな馬を鹿というような、白を黒と言いくるめるようなそんな事が通るわけが絶対にない。
ところが、時の法主細井日達管長はこれを許してしまった。
日淳上人なら断じてお許しになるはずがない。
日淳上人は、あの戸田会長が、当時の客殿が終戦直後の仮客殿であるから「創価学会でもって客殿を建立したい」と言った時に、客殿建立という事によってかなりの供養をもたらすにも関わらず、日淳上人が何と何と「大客殿ではなくて大講堂にしなさい」と変更させちゃって、場所も本山の一番はずれの所に大講堂を建てさせた。それだけの一つの御見識があった。
これは、創価学会の将来に対する日淳上人の深いお考えがあったに違いないんです。
そういうような一つの事でも創価学会は「日淳上人のなさる事ならば」と従ってしまったんですね。
ところが、今ここに「御遺命の戒壇を偽って建てる」というような大それた事を池田大作がしようという時に、細井管長は池田大作の金力に諂ってついにこれを許しただけでなく、自ら日蓮正宗の法主という立場でもって公に国立戒壇を否定して、そして「正本堂こそ大聖人の御遺命の戒壇だ」というような事を繰り返し口にするようになったんですね。
そして、もしこの事に異を唱えるならば、法主に背く事になってしまう。
宗門においては、時の法主のこの権威は絶対ですよ。
ここに、全宗門の僧侶の中で一人として「正本堂が御遺命の戒壇である」とこういった事に異を唱える者が誰もなかった。
もちろん無智の信徒は「猊下様のおっしゃる事なら」といって全部がそれを信じて「いよいよ御遺命の戒壇が建つんだ」「大聖人様の七百年来の悲願が達成されるんだ」という事をみんなそこに思いこんでしまったわけなんです。
ここに、御本仏日蓮大聖人の一期の御遺命はまさに破壊されんとしたわけであります。