しかし、末寺の住職は「この妙信講が新しく発足する」という事を断固反対してたんですね。
この末寺の住職は大変な宗門の有力者でありまして、宗務院の教学部長まで務めておりました実力者であります。「断固これを阻止する」と言ったんです。
だが、この時に、時の法主第六十五世の日淳上人がこの事をお知りになったんですね。御耳に入ったんです。
で日淳上人というお方は昭和30年に御登座になられて、そして、昭和34年に御遷化されたというほんのわずかな御在生だったんですが、まことに英邁な方だったですね。
大変英邁なお方であって、その見識の前にはあのさすがの創価学会戸田城聖二代会長、この人も一目も二目も置いて日淳上人に対して頭を下げておったという事であります。
でこの日淳上人が父の信心を前々からよく御存知であられた。そして、妙信講の御奉公の精神をよーく御理解下さった。
そこで、末寺住職の反対を押し切って、異例の承認をして下さった。
ここに、生まれ変わった新しい妙信講が発足したのであります。これが昭和32年の8月3日、現在の顕正会の発足であります。
この発足集会の時に、私は「法華経に勝る兵法なし」という題でもって講演をした事を今でも覚えております。
要するに
まことに、当時実力者の末寺住職が「絶対に妙信講の発足は許さない」と言ったのが、不思議な事でもって認証された。
でこういう事はまさに「法華経に勝る兵法なし」という事をまず最初に体験をしたものであります。
この末寺の住職は大変な宗門の有力者でありまして、宗務院の教学部長まで務めておりました実力者であります。「断固これを阻止する」と言ったんです。
だが、この時に、時の法主第六十五世の日淳上人がこの事をお知りになったんですね。御耳に入ったんです。
で日淳上人というお方は昭和30年に御登座になられて、そして、昭和34年に御遷化されたというほんのわずかな御在生だったんですが、まことに英邁な方だったですね。
大変英邁なお方であって、その見識の前にはあのさすがの創価学会戸田城聖二代会長、この人も一目も二目も置いて日淳上人に対して頭を下げておったという事であります。
でこの日淳上人が父の信心を前々からよく御存知であられた。そして、妙信講の御奉公の精神をよーく御理解下さった。
そこで、末寺住職の反対を押し切って、異例の承認をして下さった。
ここに、生まれ変わった新しい妙信講が発足したのであります。これが昭和32年の8月3日、現在の顕正会の発足であります。
この発足集会の時に、私は「法華経に勝る兵法なし」という題でもって講演をした事を今でも覚えております。
要するに
「妙信講は小手先の小細工などは一切用いない。ただ信心の2字でもっていくんだ。大聖人様の御眼のみを恐れて進むんだ」
とのこの決意を述べたのであります。まことに、当時実力者の末寺住職が「絶対に妙信講の発足は許さない」と言ったのが、不思議な事でもって認証された。
でこういう事はまさに「法華経に勝る兵法なし」という事をまず最初に体験をしたものであります。