しかし、まつ住職じゅうしょくは「このみょうしんこうが新しく発足ほっそくする」ということだん反対はんたいしてたんですね。
 このまつ住職じゅうしょく大変たいへんしゅうもんゆうりょくしゃでありまして、しゅういんきょうがくちょうまでつとめておりましたじつりょくしゃであります。「断固これを阻止そしする」とったんです。
 だが、この時に、時のほっ第六十五世のにちじゅんしょうにんがこのことをお知りになったんですね。みみはいったんです。
 でにちじゅんしょうにんというお方はしょう30年にとうになられて、そして、しょう34年にせんされたというほんのわずかなざいしょうだったんですが、まことに英邁えいまいな方だったですね。
 大変たいへん英邁えいまいなお方であって、その見識けんしきの前にはあのさすがのそう学会がっかい戸田とだじょうせいだいかいちょう、この人も一目いちもくもくも置いてにちじゅんしょうにんに対して頭を下げておったということであります。
 でこのにちじゅんしょうにんが父の信心しんじんを前々からよくぞんであられた。そして、みょうしんこう奉公ほうこうの精神をよーくかいくださった。
 そこで、まつ住職じゅうしょくの反対を押し切って、異例のしょうにんをしてくださった。
 ここに、まれ変わった新しいみょうしんこう発足ほっそくしたのであります。これがしょう32年の8月3日、現在のけんしょうかい発足ほっそくであります。
 この発足ほっそくしゅうかいの時に、私は「きょうまさ兵法へいほうなし」という題でもって講演こうえんをしたことを今でもおぼえております。
 ようするに

みょうしんこう小手こてさきざいなどは一切もちいない。ただ信心しんじんの2字でもっていくんだ。だいしょうにんさまおんのみを恐れてすすむんだ」

とのこのけつべたのであります。
 まことに、当時実力者のまつ住職じゅうしょくが「絶対ぜったいみょうしんこう発足ほっそくは許さない」とったのが、不思議ふしぎことでもってにんしょうされた。
 でこういうことはまさに「きょうまさ兵法へいほうなし」ということをまず最初に体験たいけんをしたものであります。