そして、戦後に妙信講の折伏がぐんぐん伸び始めた。確か二千所帯ぐらいまで行ったと思っております。
そして、昭和30年の事でありまするが、所属しているお寺の住職からこういう話があったんです。
その寺には、妙信講の他に本因妙講とか妙傳講とか十いくつの小さな講中があって、全くそれらは墓檀家でもって折伏弘通も展開せずに伸びなかった。
そこに、妙信講だけがその所属のお寺の中でぐんぐん伸びている。
それを見て住職が「妙信講はぐんぐん伸びて結構ですけれども、他の講は一向に伸びない。どうか『○○寺法華講』こういう事にして、一つ末寺単位の法華講を一まとめにして指導してくれませんか」というような事を言ってきたんですね。
そして「その『○○寺法華講』として講頭に就任してほしい」という事を父に言ってきたわけであります。
その時父は大いに躊躇をした。
だけれども「もし大同団結するという事が広宣流布のためになるならば」という事で、ついに決意をして、ここに妙信講を発展的に解消した。これが昭和30年の事であります。
そして、末寺単位の法華講講頭に就任をしたわけなんです。
ところが、1年2年経って、そこに見たものは何かというと、僧侶の広宣流布を忘れた腐敗堕落の姿でありました。
そして、寺の法華講というのは何かというと、要するに、こういう腐敗の僧侶の生活を助けるための檀家組織だったんですね。
日寛上人が「無道心の者は、仏法を途世の具とする」と仰せられておりまするが、このように「広宣流布の事を思わない。大聖人様をただ利用するだけ、考える事は自分の生活だけだ」というような僧侶が際限もなく供養ばかりを貪り取る。
こういうような腐敗の僧侶についておって果たして広宣流布の御奉公は叶うのか。
ここに「何としても新しい妙信講を結成しなければいけない。そして大聖人様への御奉公をしなければいけない」という決意がここに起こされたわけであります。
そして、昭和30年の事でありまするが、所属しているお寺の住職からこういう話があったんです。
その寺には、妙信講の他に本因妙講とか妙傳講とか十いくつの小さな講中があって、全くそれらは墓檀家でもって折伏弘通も展開せずに伸びなかった。
そこに、妙信講だけがその所属のお寺の中でぐんぐん伸びている。
それを見て住職が「妙信講はぐんぐん伸びて結構ですけれども、他の講は一向に伸びない。どうか『○○寺法華講』こういう事にして、一つ末寺単位の法華講を一まとめにして指導してくれませんか」というような事を言ってきたんですね。
そして「その『○○寺法華講』として講頭に就任してほしい」という事を父に言ってきたわけであります。
その時父は大いに躊躇をした。
だけれども「もし大同団結するという事が広宣流布のためになるならば」という事で、ついに決意をして、ここに妙信講を発展的に解消した。これが昭和30年の事であります。
そして、末寺単位の法華講講頭に就任をしたわけなんです。
ところが、1年2年経って、そこに見たものは何かというと、僧侶の広宣流布を忘れた腐敗堕落の姿でありました。
そして、寺の法華講というのは何かというと、要するに、こういう腐敗の僧侶の生活を助けるための檀家組織だったんですね。
日寛上人が「無道心の者は、仏法を途世の具とする」と仰せられておりまするが、このように「広宣流布の事を思わない。大聖人様をただ利用するだけ、考える事は自分の生活だけだ」というような僧侶が際限もなく供養ばかりを貪り取る。
こういうような腐敗の僧侶についておって果たして広宣流布の御奉公は叶うのか。
ここに「何としても新しい妙信講を結成しなければいけない。そして大聖人様への御奉公をしなければいけない」という決意がここに起こされたわけであります。