友ヶ島要塞跡の規模はすごかった
和歌山の旅、二日目は、友ヶ島要塞跡に行ってきた。まず、友が島要塞の場所はここで、兵庫県の淡路島と和歌山市の間にあるこの島だ。この島は、大昔から黒船などの外敵が現れたため、大阪湾の防衛として主要な役割を果たしてきた島らしい。そして明治時代には大日本帝国陸軍によって要塞が築かれている。基本的には住民票は登録されている人がいない無人島だが、一応海の家があるようなので、そこに住む人がいる、という点では有人島でもある。行き方はこうだ。南海電鉄の和歌山市駅から、加太駅まで行く(おおよそ25分)。加太駅まで行ったら、徒歩で友ヶ島汽船の船の発着場を目指す。徒歩で約20分。タクシーも駅に止まっている場合もあるが、田舎なので台数も少なく、居ない場合も多いようなので、あまりタクシーは当てにしないほうがよいだろう。加太駅に電車が到着したと思ったら、あら、かわいい電車だ。「めでたい電車」と地元で愛され、吊革が魚の形になっているらしい。加太駅に到着。田舎なので小さくこじんまりした駅だ。住宅街をぬって船の発着場まで歩いていく。観光で来る人はほとんどが同じ方向に歩くので、それについていけばよい。電柱にも船の案内板はある。ここが船の発着場だが、朝8:30には到着したのに、すでに並んでいる。3日土曜日が大雨で欠航になっており、一日置いて5日月曜が晴天になったので、観光客が一斉に集まったらしい。島でしか買えないガイドブックが200円。なお、友が島汽船の時刻表は上記の通りだ。GWや夏季以外は便数は少ないのだが、「当日の状況により臨時便を運航する場合があります」と書かれており、私も9時の船を見込んで30分前には到着したが、すでにチケットを買う人の行列で9時のチケットは買えなかったが、臨時便で9時30分のを出すということで、それに乗れた。また、帰りの便も14:30、15:30の便が増便されていた。だから、例え予定の時間よりも遅れたとしても、増便される可能性はあるのでとりあえず行ってみたほうがよい。(そこは保証はできないが)大人往復2200円。なお、申し込み時に日帰りか宿泊を聞かれ、日帰りの人は夜も島に居残っていないことの確認として、戻ってきたときにチケットの回収と、それでも連絡がとれない場合に備えて、携帯電話番号を記入する。増便になる場合は、船の予約番号を渡される。チケットが買えた!よかったわ~!船はこんな感じで、少し小さめ。定員80名と書いてあった。少なくとも私が知る限り、9時と9時30分で満員で2回出ているので、最低でも160名は島に出かけていることになる。船で出発! 青空で海も真っ青で気持ちがいい! 今日は良い天気だ!友が島に上陸。入り口はこんな感じ。島の様子はこんな感じだ。一応、店はあるのだが、店はこの1件のみだ。食事やお菓子やビールは買える(観光価格は入っているけども)ちなみに、飲み物を買えるのもこの一カ所のみなので、島を回る際は、必ずここで飲み物を買って行こう。ちなみに、友が島の散策マップはこんな感じだ。砲台跡が第1~第5まであり、かなり規模の大きい要塞だったことがわかる。ちなみに、私が行ったのは第2,5,4,3砲台までだ。第1は行っていない。この中で、最も保存状態がよくて規模も大きく、面白いのは、第4,3砲台だ。そして、これらを見るには、それなりに登山も入るので、結構大変だ。観光客の中にも色んな人がいて、軍服のコスプレの人もいたが、こういうマニアな人は軍服を着て、当時の雰囲気を体験したいのだろうな、と思う。しかし、逆にひらひらスカートでヒールの若い女性も歩いており、いや、ここ登山も入るけど、大丈夫?と思ったり。島内に、すでに倒壊しかかっている民宿の建物の跡が何軒か、シャワーの痕跡もあるので、おそらく、大昔は観光客で宿泊者も多かったのではないかと思われる。現在では、そこまで泊まる人もいないということだろうか。これは海の家で、ここは現在でも営業中。この島で現在もある唯一の宿泊施設だ。泊まりたい人は静かな島で時を忘れて一晩過ごすのも一興かもしれない。まずは第二砲台跡だ。第二砲台は海辺の近くに建てられており、経年劣化で倒壊しており、立ち入り禁止になっている。第二砲台は多少坂道は登るが、最も緩やかで登れる場所だ。ここから、第5、第3、第4と向かう場合は登山が入るので、注意が必要だ。本当にこんな山道を歩くので、注意が必要。ここは第5砲台跡だ。第5砲台は草が生い茂り、保存状態はあまりよくない。ただ倒壊はしていないので、弾薬庫の中は見学できる。第5砲台からさらに山道を登り、ほぼ山頂近くにある第3砲台跡に移動する。ここが最も規模が大きい。図面を見てわかる通り、〇の場所が砲台の設置場所で、最大で8基設置していたんだ、ということがわかる。そして、〇〇と〇〇の間に沿うように、その下に地下通路があって弾薬庫が形成されていて、これが迷路のように入り組んでいる。まずはこの階段を下りていく。中に入るとこんな感じだ。弾薬庫が3つあり、写真は最大規模の弾薬庫。第3砲台はこのように明かりが設置してある。弾薬庫の間にこのような隙間が設置してあり、奥は行き止まり。これは、小窓に明かりを置くようになっており、その明かりを交換するための通路だったようだ。弾薬があると明かりを交換できないから。弾薬庫から階段を上っていくとこういう通路が横に一列に通っており、砲台が設置してあった場所につながることになる。このトンネルが、大砲2基+合計4カ所の間に地下通路と弾薬庫が3カ所形成されており、それぞれ行き来できるのようになっている。第3砲台の奥には、兵員の宿舎などが残っている。室内にも入ることができて、奥は通路で行き来できるようになっているようだ。荒れてはいるが、管理棟の跡や電力設備の跡も残されている。一旦、船着き場まで戻る。船に乗っている人もいるが、左側に並んだまま船に乗れていない列が見える。多分これは、帰ろうと船には並んだものの、定員オーバーで乗れなかったのだろう。帰りの船は増便はされているが、乗れなかったら1時間待つしかない。さらに1時間並んだまま船を待つくらいなら、もう1か所くらい見学できるよな、ということで、ここから第4砲台跡まで向かうことにする。第4砲台は島の左側で、もう一度登山が入る。体力に自信があればもう一度上る、体力に自信がなければ、椅子に座って1時間待つしかないので、ここが判断すべきところだ。第4砲台に向かうと、もう一度登山道が続く。海が見えるが、底が見えてとてもきれいだ。第4砲台に向かうと、構造物が見えてくる。第4砲台は、第三砲台よりも若干規模は小さいものの、それでも大きい。ちなみに第4砲台は長らく立ち入り禁止されており、ようやく立ち入りの目途がたったため解禁されたそうだが、解禁されたのは2022年12月なので、解禁されてからまだ2年程度しかたっていないようだ。解禁後に来たのはよかった。少し行くと門柱が見える。その横に、簡易的な懐中電灯が設置されている。そう、ここが第3砲台との違いで、第3砲台はランプが点灯されていたが、第4砲台はランプがないのだ。ちなみに、ここであまり使われていなさそうな懐中電灯を選ぶのがコツだ。要はみんなが使ったやつだと、電池が切れるのが早そうで最悪、電池がなくなったら暗いトンネルを歩くことになりそう。みんな心理的に左側から持って行くのではと推測し、私は中央から選ぶことにした。最初に兵員の宿舎が見える。その右側に入り口となるトンネルがあり、ここを懐中電灯で進んでいく。懐中電灯だとこんな感じだ。本当に薄暗い。途中は水が浸水して通れない個所もある。弾薬庫の照明を入れるための通路。階段もまじで薄暗い・・・砲台を接続する通路だ。奥の右手側の光は、別の観光客の方の懐中電灯。ここは本当に薄暗いので、薄暗い場所から突然人が出てくるとびっくりする。砲台跡の作りは基本的に第三砲台と同じだが、こちらのほうが結構土砂が堆積しているようだ。さらに奥に行くと奇妙な部屋があってこの左手に階段があるこの階段はこのようにらせん状になっていて、この階段を上ると、外に接続しているようだった。時々こういう細い階段があって登ってみると行き止まりで空だけが見える、という場所もある。これはこの隙間を通して、地上から物資を下ろしていたらしい。第4砲台跡から出てすぐ、外で作業している管理のおじさんと出くわした。そのおじさんは、皆が島から出た後に、見回りをするから一人で入ることはザラで、目も暗闇に慣れたから海中電灯なしでも行ける、と言っていた。いやいや、ここを皆が帰った後に見回りをするのは真面で怖いと思うが、やはり、そこは慣れなのか、、、戻ってきて、缶ビールとお菓子をたしなむ。ここで船で友が島を後にする。帰りはまた加太駅まで歩き、電車を待つ。電車は青の「めでたい電車」だ。(調べたところ色違いで4つ走っているらしい)青はデザインはこんな感じで、吊かわにカニが入っている。ということで、初めて友が島要塞を見てきたが、ここまでの規模の要塞は見たことがない。おそらく、日本一ではないかと思うが、これよりも規模の大きい要塞跡は存在するのだろうか・・・私が今まで要塞跡を見てきた中で、個人的にランクを付けると①友が島要塞②対馬要塞③猿島だ。友が島要塞は規模も大きく、大変見応えがある。見る価値は十分にあるので、出来れば行っていただきたい。なお、友が島は遊泳、焚火は禁止になっており、当然のことながら遺跡への落書きなど論外なので、その辺は十分に注意していっていただきたい。ただ、平日など人が少ない時期は、極力やめたほうがよい。その理由は、やっぱりこの薄暗さは怖い。観光客が多いからこそ、行ってもそこまで怖くない。もっとも、動画を撮りたいからあえて人が少ない時期に行くのであれば止めはしないが・・・ちなみに、補足しておくと、加太駅から船の発着場の間に第三砲台跡というのがある。さらにその北のほうにも砲台跡があるようで、この地図を見るだけでも友が島だけではなく砲台跡が残っており、大阪湾防衛の重要拠点であったことがわかる。さすがに北側の砲台跡までは徒歩では行くことは難しいだろうが、もし、船で友が島まで渡らなかったとしても加太駅近くの第三砲台跡は見ることができるので、最悪船が欠航した場合でも、加太駅近くの第三砲台跡を見ておけば、友が島まで行った気分になれる、というわけだ。私が今まで要塞跡を見てきた中で、友が島要塞が、最も最大規模で見応えがあった。これは忘れられない記念になったと思う。これよりも大きいところがあるのか、一応ネットで調べてはみるか。