BADモード (通常盤)
Amazon(アマゾン)
660〜6,387円

レビュー対象:「PINK BLOOD」(2021)
今回取り上げるのは、ルーツとインプットの幸福な融合によって国内外に通用する楽曲を書き続けて大衆性と専門性を両立させている稀有なSSW、宇多田ヒカルの「PINK BLOOD」です。同曲はTVアニメ『不滅のあなたへ』Season1・2に共通のOPテーマで、現行でSeason3が放送されていることに因んでの選曲となります。最後のアレンジの項に多少の作品語りを交えるので、S2までのネタバレが含まれますよと一応の警告です。
収録先:『BADモード』(2022)
本曲の初出は配信限定のシングルですがそれに拘るとここに言及するものがなくなってしまうため、アルバムとしての収録先『BADモード』の簡単なディスク評を副えつつ、前作『初恋』(2018)のレビュー以来7年以上も空いてしまった当ブログ上のギャップを埋めさせてください。
例によって自作のプレイリスト(【宇多田ヒカル・Utada】は20*3の全60曲編成)から令和以降にリリースされた楽曲に限って好みを明かしますと、上位20曲までに「Electricity」「PINK BLOOD」「誰にも言わない」、上位40曲までに「Goodbye Happiness (2024 Mix)」「One Last Kiss」「Prisoner Of Love (2024 Mix)」「君に夢中」、上位60曲までに「Flavor Of Life -Ballad Version- (2024 Mix)」「キレイな人 (Find Love)」「光 (Re-Recording)」の都合10曲を登録しています。
先にベストアルバム『SCIENCE FICTION』(2024)からの5曲を語りますと、新曲「Electricity」はトライバルなビートメイキングにアダルトコンテンポラリーな発展を見せるオケとモーラ偏重のユニークな譜割りが新鮮でしたし、再録および新ミックスの音源は何れも意義深いアップデートでとりわけ上記した4曲はオリジナルより素晴らしく感じての入れ替えです。
残りの5曲が『BADモード』からで「PINK BLOOD」については後述するとして、全体を見ても部分で見てもメロディラインが実に宇多田さんらしくて安心感を覚えるのと同時に、有機と電子を往来する精緻なトラックが豊かな聴き味を供している「誰にも言わない」をワンツーで気に入っています。
キャッチーでダンサブルという王道のつくりに相応しい中毒性とカラフルな音の積み重ねが物語性を強めてヘビロテ必死の「One Last Kiss」、詞曲編の全てでリフレインとスパイラルのスケープを奏でて何処までも深みに嵌っていく「君に夢中」、個人的には日本語詞のほうが琴線に触れるものがあったボートラ「キレイな人 (Find Love)」と、リストインのナンバーはツボのオンパレードです。
Floating Pointsとの共作である3曲「BADモード」「気分じゃないの (Not In The Mood)」「Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-」はリスト外だけれど評価していないわけでは決してなく、MV記事(No.70)に紹介している通りFPは元より聴き馴染みのある電子音楽畑のミュージシャンなので長尺にシナジーが芽生えているところに可能性を感じました。馴染みの観点ではSkrillexも全盛期に履修済みなため、「Face My Fears」でのタッグは嬉しかったです。
歌詞(作詞:宇多田ヒカル)
表題の"Pink blood"を除く実質的な書き出し、"誰にも見せなくても/キレイなものはキレイ/もう知ってるから"が、本曲に於いては最も心に響いた一節ゆえに仰けから強く歌詞世界に惹き込まれす(以降暫し自分語り注意)。というのもリリース当時は終わりの見えないコロナ禍の中に在ってコミュニケーションが極端に制限されており、加えて私事ながらブログ更新がロープライオリティになる事由が重なっていて、平時以上に発信したい欲が;より正確を期すれば価値ある情報をシェアしたい心理が高まっていたからです。
それが当該のフレーズとどう関係するのか論理の飛躍を疑う人のために言葉を尽くしますと、前提として拙レビューブログの執筆動機は「良質な音楽を深堀りして更なる価値を読者に提示したい」ところにあると明示します。従ってそのアウトプットが疎かな状態でも弛まぬインプットを続けていたがために両者の均衡が崩れていた2021年は、コロナ禍の閉塞感に満ちた世界でも良質な音楽という"キレイなもの"の価値は不変で、時にこのシビアな状況を生き抜く指針になるかもしれないのにその効能を伝えられないジレンマに陥っていたわけです。
要は「自ら勝手に燃やした使命感を果たせずにやきもきしていただけ」に集約されるのだけれど、そんな折に"誰にも見せなくても"という視点は救いの気付きを与えてくれました。文脈は異なりますが先に次点のお気に入りとした「誰にも言わない」も曲名からして秘すれば花ないし沈黙は金の美学を窺わせるもので、自分の中で熟成させた想いは仮令誰に明かさずとも尊いのは真理だと思います。
この書き出しを「レビュー」にというか「他者の手に成る作品」に適用して解釈することの回り諄さは自覚していて、"もう充分読んだわ"のひとつに"上等な小説"が挙げられている点を援用出来なくはないものの(寧ろ否定されているのだから誤った解釈とすら言える)、コンテクストに忠実な読み解きをするなら"キレイなもの"とは"私の価値"を指すのでしょう。そこに"他人"が介在する余地はなく、"自分のため"を肯定して"自分のせい"を否定する選り分けで「自分本位のススメ」が説かれているのが全体のメッセージ性です。
この項の最初に「自分語り注意」と書いたのは、上記の王道解釈に先行して我が意を得たりのパーソナルな解釈を披露することへの喚起であって自虐のつもりはないのですが、本曲の謳う内容に鑑みればこういった前置きすら自分いじめの端緒たり得るので避けるべきなのだろうと受け止められます。"自分の価値もわからないような/コドモのままじゃいられないわ"も、"自分のことを癒せるのは/自分だけだと気づいたから"も、自分軸で生きるために重要な立脚地です。表題の「PINK BLOOD」から導かれる「内に秘められた稀少性と特殊性」は、誰に見つからずともせめて自分だけはその価値を貴ぶべきですよね。
最後に登場する"サイコロ"はここまでの話の流れからするとやや異質に感じられます。"出た数進め"と"一回休め"から双六に使うそれを指し、本家はルーレットだけれど人生ゲーム的な想定がなされているのは明白です。その上で"サイコロ"を振るのは自分であれと、もっと言えば自分の手番で自分の駒は自分で動かせとの主張には首肯出来るものの、偶然が絡む且つ上限が設定されている"サイコロ"の出目に進む数を委ねるのは、ともすると自分の意思決定権を弱めているのではないか?と少し疑問を覚えてしまいました。
そこで意図をもっと深く考えてみたところ、係る語彙選択はいくら自分本位を是としても「自分勝手を勧めるわけではない」ことの顕れかと思います。盤上を手番も出目も無視して突き進んであがり(歌詞中の"王座"に相当し得るもの)に到達すればそれで良しと考えるのは"コドモ"の振る舞いですし、神はサイコロを振らないとは言うものの人生は予測不能がデフォな(隠れた変数を知れたら誰も苦労しない)ので、賽は投げられたとして偶然性に身を任せるのも人生だとすれば、"サイコロ"は自分の意思決定を妨げる道具ではありませんね。
メロディ(作曲:宇多田ヒカル)
ここに書こうとしていたことの幾つかは、下掲Wikipediaページの「評価と批評」のところにソース付きで載せられている有識者のコメントと重複する部分があるため、敬意を表しつつ適宜引用したいと思います。出典元はリンク先でご確認ください。
まず宇野維正さんの「終盤にようやくコーラスが来る構成」に関しては、当ブログのメロディ区分のルールに於いても同様の理解です。"Pink blood"の繰り返しはアドリブ的に捉えて特別の用語を宛がわないものとして、【"誰にも"~がフック*1 → "他人の"~がAメロ → "私の価値"~がBメロ → 再びのフック×1.5 → 2番Bメロ×2 → サビ(=コーラス)×2】という楽想で認識しています。
※ 1 ややこしいので本文中では省きましたが、このフックはコーラス(β)と捉えてもOKです。上記で言及しているサビと同義のコーラス(α)でも、ハモりやバックコーラスを指すコーラス(γ)とも異なる概念ゆえ、詳細が気になる方は先にリンクしたルール記事を参照してください。後の※2にその定義を丸々セルフ引用するためそちらをご覧いただいても構いません。
最後に満を持してサビが表れる楽曲の例としては、まさにその点をメインにレビューしたことがある浜崎あゆみの「SURREAL」(2000)や、アルバムのラストナンバーならではの意図を察せる相対性理論の「バーモント・キッス」(2009)などが挙げられます。近しいけれど違うタイプとしてはサカナクションが好例で、サビとは別にラストのメロディが最も盛り上がる楽曲、「ミュージック」(2013)・「さよならはエモーション」(2014)・「ナイロンの糸」(2019)のような楽想とはまた別です。
とはいえ両者はサビの同定に必要な知覚情報「どの程度の変化量を以て作編曲上のダイナミクスを強く意識したか」の差異で根拠が揺らぐ、即ち主観的な物差しに依存しているため明確な区別がしたいわけではありません。何方のケースでもここで意識して頂きたいのはただ一点、終盤に一度限りのピークが来る楽曲は積み重ねの果てにカタルシスを覚える展開を見せるということです。Aメロの変則形がラスサビの如く振る舞うという特殊性から先に例示しなかったものの、宇多田さんの楽曲でなら「桜流し」(2012)を適例としても良いでしょう。
この点を意識して「PINK BLOOD」に向き合ってみると、楽想的には最後に唯一のサビが表れることに相違ないのに、カタルシスを覚える展開かと問われたらそういう系譜にはないところに特筆性があります。旋律のテンションは終始一貫しており、プレコーラスにあたる2番Bメロはアレンジに多少の落ちメロ感があるけれども、その反動を利用してサビに移行するといった大仰さは一切なく、ぬるっとサビメロが鳴り出すという意識の流れを窺わせる泰然自若さが意外性の本です。フックもA/Bメロもサビも役割上等価だからこその産物と言えます。
Günseli Yalcinkayaさん曰くの「minimalist beats」は文字通りビートへの言ですが上述の通り楽想自体も確かなミニマル性を有していますし、各メロディにフォーカスしても〝譜割りやリズムの複雑性を切り離せば〟フレージング自体はシンプルなのでこれまたミニマルです。ナラティブな音運びが目立つのは一度しか登場しない短いAメロぐらいで、フックはリフよろしく楽器が担うのも可としたいほどに非主旋律的ですし、レイドバックに特徴付けられるBメロはフラットなラインと相俟って洗脳的(歌詞に照らせば自己啓発的)な進行が陶酔感を高め、待望のサビメロも派手に展開せずキャッチーな繰り返しが耳に残ります。
このように飽くまでメロディだけを部分部分で取り立てればミニマルミュージックに相応しい紡がれ方をしているとの聴き解きであって、注釈した通り言葉と音価の関係性だったりトラックとのリズムギャップだったりを考慮すると寧ろ複雑な作り込みがなされていると解るところが奥深いです。中村浩之さんによる「ポリリズムに聴き馴染めない人にも聴きやすくしていて凄い」との評は、演奏家の視座からこの多層的な構造を分析したものと共感します。
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最後にいしわたり淳治さんの論評を適従に値する素晴らしいものとして紹介しますと、フックのメロについて「ものすごく日本語をはめにくい」と記述されていることには頗る同意です。だからこそ本記事でも「コーラス(β)*2と捉えてもOK」または「リフよろしく<中略>非主旋律的」との表現を先にしており、これらはつまるところモーラ言語を乗せようとは普通考えないメロディラインに日本語が据わり好く納まっていることの衝撃に基いています。
※ 2 そもそも歌詞カードに載っていなかったり載っていても括弧書きで示されていたりするパート、ボーカルは存在するけれどもメインのそれと比べると音量が控えめだったり特殊なエフェクトが施されていたりするパート、オケに重なる形で楽器的な使われ方をしている断片的なボーカルトラックを含むパート、ふたつの主旋律を繋ぐ役割を持った短めのパート、…等々がコーラス(β)で表され得るものです。本曲では特に下線部が根拠となります。
いしわたりさんも続けて宇多田さんの「言葉のはめ方」について「簡単なようでこれはなかなか出来ることではない」と感心していて、これは本曲に限らず僕が宇多田さんの楽曲全般に対して抱いている無比無類と思う美点です。基本的な理念では韻律の扱いに長けたアーティストをこそ好み、殊に歌詞と旋律が不可分に結び付いて秀逸な響きとなっているフレーズに高評価を与えるのが自分の感性と言えますが、宇多田さんに限ってはこの点で異端の扱いをしています。
即ち本曲のフックに顕著なように言葉の嵌め方には強引なところがあると常々感じていて、並のSSWであればその強引さは単なるマイナス要因でしかないのだけれど、宇多田さんの手に掛かるとその強引さに気付き難くなるというか、絶妙な歌い方と律動をコントロールするセンスによって、歌詞と旋律のコンビネーションに新しい正解を提示し続けているとの認識です。収録先の項で「モーラ偏重のユニークな譜割り」との短評を書いた「Electricity」もその一例で、本曲とは逆に日本語詞が合いそうな旋律にシラブル言語を乗せて気持ち良く成立させているところに面白みがあります。
以下のリンクカードはタイトルの通り、岡崎体育さんが譜割りについてのこだわりを述べた外部記事へのものです。本記事の理解を助ける内容でもありますので、併せてご覧いただければと思います。岡崎さんの係るこだわりに関しては、当ブログでも今日の一曲!岡崎体育「潮風」~超個人的レキシコグラフィーを副えて~(+「私生活」)にて触れているつもりです。
アレンジ(プロデュース:宇多田ヒカル)
低音域と高音域にある骨子のビートは打ち込みらしく無機質な印象を携えつつアーバンなR&Bのリズムを刻んで洗練されているけれど、中音域には有機的な出音が鏤められていてドラムスに限らずギターやシンセの断片的なサウンドが重なって賑やかに聴こえます。先掲のWikipediaページにて高橋敦さんが指摘するところの「いわゆる『揺れもの』エフェクトの多用」は、確かにトラックメイキングのコアと言えるでしょう。
2度目のフックから俄に存在感を増す温和な電子音にフシの善性の芽生えが垣間見えた気がすると唐突に作品語りを交えまして(OPで当該部はカットされているけれども)、シンセベースと絡み合ってバウンシーなグルーヴに支配される[1:08~1:18]が個人的なベストモーメントです。
メロディの項で「アレンジに多少の落ちメロ感がある」とした2番Bメロの入りから鳴り出すやや不穏なウワモノにも高い物語性が宿っており、ある意味では最強のチート能力を幾つも備えているのに守るものが多過ぎる王都防衛戦にてジワジワと追い詰められていく無力感を暗示するようで切なくなります。それが"落ちる涙"を表現した滑奏で切られるのもエモいです。
サビで再びその不穏な伴奏が微妙に聴こえを変えて戻って来ますが、今度は落ちメロではないためウワモノほど主張が強くなく、ゆえに絶望のスケープに閉ざされているというよりは、それを受け入れて前進することを決めた覚悟と希望を奏でているよう聴こえます。
本曲は『不滅のあなたへ』のために書き下ろされたわけではなく、コロナ禍の煽りを受けて未発表曲のタイアップにせざるを得なかったという背景に成立しているものの、結果として詞曲編の全てがフシの成長に沿って展開していくかのように設計されているため、これ以上なく相応しいテーマソングです。