名古屋の古墳と桜 | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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夕方のローカルニュースで大須の古墳が紹介されました。普段はテレビのニュースなどは観ないのですが。

 

 

那古野山古墳(なごややまこふん、なごのやまこふん)は、愛知県名古屋市中区大須にある古墳。周辺は那古野山古墳公園(旧那古野山公園)として整備されている

「大須古墳群」の内の一つで5世紀中〜後半に造営されたと考えられている。元は南面する前方後円墳であったが、江戸時代禅寺・清寿院の後園が造営される際に、前方部は取り壊された。清寿院に取り込まれて「浪越山」と呼ばれたのが現在では後円部とされる部分で、直径22メートル、高さ3メートル。大須二子山古墳日出神社古墳富士浅間神社古墳とも至近距離にあり、合わせて大須古墳群を形成する[2]

1872年明治5年)に清寿院は廃され、1879年明治12年)に愛知県下初の公園(浪越公園)として開放された。1910年(明治43年)に鶴舞公園が開園すると浪越公園は廃止されたが、1914年大正3年)に規模を大幅に縮小して、名古屋市設置の那古野山公園となった。その後、公園は再整備され、2022年令和4年)2月に那古野山古墳公園に改められた[1]。古墳の周囲は三方をビルなどに囲まれた状態となっている。

 

大須二子山古墳(おおすふたごやまこふん)は、かつて愛知県名古屋市中区にあった前方後円墳

6世紀前半に築造されたと考えられている大型の前方後円墳で、「大須古墳群」の内の1つ。かつては願証寺名古屋分院[1]の後園であり、後円部には尾張徳川家三代藩主徳川綱誠の側室・梅昌院の御霊屋(墓所)やその侍女21人の墓などがあったが、御霊屋は第二次世界大戦の空襲で焼失した。

古墳は戦後の伏見通の拡張や大須球場建設などに伴い1947年昭和22年)頃までに全て破壊されて正式な発掘は行われていないが、銅鏡馬具甲冑などの副葬品が出土したことから、尾張地域を支配した首長の墓と考えられている。なお、出土品は名古屋市博物館南山大学人類学博物館に収蔵されている。

跡地には現在、名古屋スポーツセンターが建つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡山古墳、鶴舞公園隣 昨日の八幡山

 

八幡山古墳(はちまんやまこふん)は、愛知県名古屋市昭和区山脇町1丁目にある古墳5世紀中頃に作られた東海地方最大級の円墳である。

 

八幡神社の祠が頭頂部にあったために、「八幡山」と呼ばれる。

1919年大正8年)鶴舞公園に編入され、1931年昭和6年)5月11日に、国指定の史跡に指定された[1]第二次世界大戦中、陸軍による接収後に高射砲陣地を造るために周囲の樹木は切られ頭頂部が削られた。埋葬部検出の詳細不明。戦後、名古屋市により整形・植林され、現在に至る。古墳は柵に囲まれており、墳丘・周濠には一般の立ち入りが禁止されている。

出土品は正式に発掘されていないため詳細は不明。伝聞による。形象埴輪、朝顔形円筒埴輪が出土したが戦災で失われたという。

 

 

 

昨日の鶴舞公園

鶴舞公園すぐ東の名古屋工業大学の中にも古墳があります。

 

 

 

山崎川の桜、過去写真、今日近くを通りましたが。

 

 

エリックさんX

 

日本には源泉徴収があるのだから、払う税金の合計は北欧と同じぐらい高くつく。 北欧は税金が福祉に回っているのであるが、日本にはそれが無い。 よって日本の市民の生活は苦しくなるばかり。 しかも学校を無料にしないなど未来に投資していない。 衰退するばかり。

 

 

 

 

異邦人さんX

本来「公」たる国家が死力を尽くすべき被災地の復興には、3ヶ月以上も「断水」が続く中、言うに事欠いて「ボランティア不足」が原因だなどと言いながら、開催する必要性や正当性など微塵も無い「万博」には、苦しむ市民から容赦なく巻き上げた税を湯水のように注ぎ込む本邦。文字通りの盗賊政治。びっくりマーク