娘が生まれた時、「英語」をプレゼントしようと英語育児にのめり込んだ母。
それ以来、いつも彼女の人生にプラスになるよう何かを与えることばかり考えてきました。
ただ、モンテッソーリ教育と出会い、ここで初めて立ち止まる瞬間がやってきます。
娘が癇癪を起こせば、気を引く何かを与える
娘が出来ないときは、さっと助けてあげる
与えてあげることが、彼女を幸せにできると疑わなかったあの頃。
「与えることは奪うこと」
そう知った時の衝撃は今でも忘れられません。
何か不快を感じ癇癪を通じて訴えていた娘。
どこかその気をそらそうと、その不快が何なのかを言語化してあげるお手伝いもせずに、ただただ「泣きわめく」ことから離れさせようとひたすら努力。
一生懸命ボタンを留めようと頑張っているのに、「ほら、寒いでしょ!」とさっと留めてあげ、すたすたと目的地へ。
今思うと、彼女の自立の芽をとことん摘んでいた瞬間だったと胸が痛くなります。
Positive DisciplineのJane Nelson博士がこんなことを仰っていました。
まだ何もできないと思いがちな18ヶ月という年齢。
洗濯ばさみを大人が落とすと、拾ってくれるといいます。
本棚のガラスを開けずに本をしまおうとすると、そのガラスも開けてくれるといいます。
1歳の子でも、すでにこれほど大人の役に立っている。
大人が機会を奪うことさえしなければ、たとえ1歳でも子どもは立派なコミュニティーのメンバー。
子育ては与えることばかりに気を取られがちですが、与えることよりも、奪っていないかを意識することの方がよっぽど大切なのかもしれません。
「あれもしてあげたい」
「これもしてあげたい」
そう感じるのは親なら当たり前の感情。
けれども、同時に「奪う」というキーワードも意識していきたいと思います。
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今朝の読書はあきえ先生のこちら。
先日久しぶりに訪れた大型書店でずらっと並んでいるのを見て嬉しくなりました♡






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