小4娘の『2歳からのホームモンテッソーリ♡ときどき英語』。
よろしければ自己紹介もご覧ください。
現在0歳~3歳のモンテッソーリ教師ディプロマ取得に向けて奮闘中の母。
生後一日目から始まる学びの時間を探求することは、非常に興味深いと感じています。
しかし、家庭から踏み出すと…。
Ph.D.取得に奮闘する学生たちと触れ合う職場での時間。
人生における学びの終着点ではないけれど、教育機関という枠組みの中での最終地点。
この長いスパンの学びを改めて見つめてみると、浮かんでくる想いがあります。
我が子に何を期待するか…。
いい成績を期待するのか。
いい大学に入ることを期待するのか。
母の個人的な想いとしては、「学びを自分のものにすること」。
そんな風に感じます。
親に言われたから勉強をする。
テスト範囲だから勉強をする。
いい大学に入るために勉強をする。
誰かのために学ぶのではなく、自分のために学ぶ。
これを実現できるのが「モンテッソーリ教育」だと感じています。
幼児期は自己選択した活動を教師の提示を見ることからスタートするモンテッソーリ教育。しかし、小学校に入ると、自分で考えなければならない形へと徐々にシフトチェンジしていきます。新学年の初めに行うグレートレッスンの提示の後は、一律のカリキュラムではなくそれぞれが選択した学びへ。アカデミックスキルと呼ばれる言語教育と算数教育にプラスして、生物を中心に触れる子たちもいれば、歴史に重点を置く子たちもいます。
モンテッソーリ教師は、学ぶべきことを教えるのではなく、常に子どもたちの「疑問」を出発点としていきます。
「出発点が子ども自身であることが、大人から独立して考え、学ぶことのできる道。」
何度この言葉を恩師から聞いたか分かりません。
低学年まではこのような疑問を投げかけると、教師がレッスンと呼ばれるストーリーテリングや実験などの提示を通じて学ぶお手伝いをしてくれていたのが、高学年に入るともうそこには「提示」そのものが存在しなくなっていきます。小5を過ぎると、主体的な学びが今まで以上に求められ、大人の指導をほとんど受けることなく自らの研究に没頭する子どもたち。
まさに、学びの舵取りを行うのは自分自身です。
来年小5となる娘は、このような学びを一人探求する準備が整っていません。
今はまだ、自分が好きなものを見つけ、そこを母が補助している段階。
けれども、彼女の学びは受身ではないこと。自らが考え抜いた学びであることが、付加価値をもたらしてくれていると感じています。
世の中には、母の知らない素晴らしい学びの形がいくつも存在するでしょう。
我が子に最高の学びを!と考えるのはきっといつの時代も親であれば共通の想い。
そのために日々知識を蓄え、身につけたツールを最大限に駆使しながら援助するのだと思います。
そんなツールがたまたまモンテッソーリ教育だった我が家。
これからも、学びは自分のためにあることを娘自身が実感できるよう、母も学び続けると共に、見守りたいと思います。
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