なぜ原発は無くならず、特定秘密保護法は通されてしまうのか | ライブヲタクのアマチュアカメラマン、紋次郎です。

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ジャンルにこだわらず、思ったママも事を時たま、、、忘れた頃に書き留めます。
気が向いたら読んでみて下さい。

何故日本の政府は、小泉元総理が言う様な廃止の方向へ舵を切れないンでしょうか?
原発廃止の世論はこれ程までに盛り上がっているのに。


どうして特定秘密保護法案は国会で通されてしまうンでしょうか?
法案に反対する世論がこれ程様々に取り沙汰されているのに。



「戦争のつくりかた」というバーチャル絵本?が、特定秘密保護法に反対する人々によってネット上で拡散されています。
http://www.ribbon-project.jp/sentsuku


嫌われるのは覚悟で、あえて言います。
こういうやり方・モノ言いこそが、世論が力を持てない最大の理由だと私は思っています。


この種の童話的な比喩は、難しい問題を解り易くイメージさせてくれている「かの様に」みえます。
でも、実際はその逆。解り易いっていう「イメージ」がむしろ曲者です。問題を単純化していく中で、知らず知らず大事な要素が抜け落ちてしまう。中身の抜け落ちた「カラ」だけで問題を考えると、人はいつのまにか「賛成・反対」「善と悪」みたいな単純な二元論に自らを誘導してしまいます。


今回の法案のどこがどう問題なのか。

マスコミ報道の中にも、その大事なポイントを扱っているメディアは私が見聞きした範囲だけでも結構あった様に思います。にも関わらず、世論の大勢は「こんな法律を作る事自体が悪い、だから断固反対」みたいな方向にしか向いていません。

その元凶のひとつが、こうした安易かつ乱暴な単純化なンじゃないでしょうか。


例えば民間企業などの場合、経営上のトップシークレットであっても社員全員に開示し、共有しなければならない、、、なンて馬鹿な話はありません。
国家という組織にとっても何らかの形で機密の漏洩を防ぐための法や制度は必要であり、その事は多くの方が認識している筈だと思います。
その法制度をどういう形にしていかなければならないか。「情報の保護」と「知る権利」の両面から考えなければならない。その上で、今回の法案のどこがどう問題なのか、そこが「反対の理由」にならなければなりません。

「戦前の日本に戻る~」「戦争をやり易くする~」なんていう、どこかで聞いた様なステレオタイプの捉え方をして反対を叫ぶだけならば、「どこがどう問題なのか」なんて難しい事を考える必用など全くありません。
この絵本?も、保護法の内容如何に関わらず制定ること自体が「悪」であるかの様に訴えています。法案をどの様な内容にしたとしても、絵本の方は一言一句変える事なく「断固反対」を叫ぶ理由付にされてしまうでしょう。


話を善悪や賛成・反対」の二元論の枠に押し込めて、「どういう形にすれば良いか」などと考える事は一切ない。ただ強引に綱引きの綱を引こうとしながら「これこそが正義」だという思い込みだけを強くしていく。
そういった理も非もない「力ずく」の反対運動は、たとえ民衆によるものであっても「民主主義」などとは言えない。少なくともその理想に合致するものではありません。
結局は烏合の衆が「イメージ」に踊らされて騒いでいるだけの話で、中国の民衆が日本を糾弾するデモや暴動に加わるのと何も変わる所はありません。

「解り易いイメージ」に惑わされると、本当の問題点は見えてきません。
見えないまま、見ようとしないまま、単純化された安易なイメージだけをシュプレヒコールにしてしまう。

それではデモに何万人集まろうと、どれほど盛り上がろうと、現実の世の中を動かす力になどならないでしょう。
何故なら、そこには「中身」が伴っていないンですから。


政治に対する日本の世論の影響力は、今以てそれほど大きくはありません。
それは必ずしも「政治が悪い」って事だけではない。世論の主体である「大衆」が、効果的で意味のある「ハンタイ」のやり方を身に付けようとしていないからなンじゃないでしょうか。