しばき隊は、現実社会に現れた「正義の味方」だ | ライブヲタクのアマチュアカメラマン、紋次郎です。

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ジャンルにこだわらず、思ったママも事を時たま、、、忘れた頃に書き留めます。
気が向いたら読んでみて下さい。

タイトルは残念ながら覚えていないが、昔読んだ漫画に出てきた「正義の味方」が強く記憶に残っている。
確かにその主人公は「正義の味方」なのである。その物語に登場する、絵に描いた様な「悪人」を残虐なまでにやっつけていく。それで、確かに「悪」は滅んでいった。

だが、物語は決してめでたしめでたしのハッピーエンドでは終わらない。

悪役の権力者が叩き潰された結果、その悪人が経営していた(悪の巣窟である)町て唯一の大企業も当然潰れてしまう。そこで過酷な労働を強いられていた多くの人達は今度は働く事すら出来なくなり、一層困窮してしまう。


「正義」・・・なんて虚しい言葉だろう。

私だって「不正や不条理を正そう」という熱意までも否定するつもりではない。
ただ、それに「正義」というある種のレッテルを貼る事によって、思考は硬直してしまう。

殊更に「正義」もしくはそれらしい主張が叫ばれる時には、それはもう純粋な熱意の表れとは限らない。もはや憎しみに被せる仮面でしかなくなっている事がいかに多い事か。

私が今まで経験してきた様々な場面でこの「正義」に出くわす毎に、そういう思いは深まってきた。



しばき隊と名乗る集団は、レイシスト(差別主義者)を「しばく」と言いながら非暴力を標榜している。その最大のターゲットは「在日特権を許さない市民の会」、通称「在特会」だ。
私も「在特会」の悪評を耳にした事はある。表向きの主張以上に、デモなどの中で在日朝鮮人に対するひどい嫌がらせや暴行が頻発している事を指摘しているのは、彼等しばき隊だけではない。


だが、在特会の活動自体の是非は、私の話にはそれほど重要ではない。

肝心なのは、しばき隊の行動が現実にどういう結果をもたらすだろうかという点だ。


しばき隊が在特会に対して行っている行為は、決して「非暴力」などと言える様なモノではない。カツアゲにも等しい実質的な暴力行為だ。法律家などと相談して「違法性はない」といったような主張もしているが、法に触れるはどうかなどどいう問題ではない。
彼等自身がネット上で公開している映像で怒声が飛び交う様子は、チンピラどうしの小競り合いそのもの。いつ殴り合いの大喧嘩が始まってもおかしくない様な、低俗な挑発・脅迫の応報が繰り広げられている。

にもかかわらず、しばき隊の野間易通氏は今も非暴力を標榜し、違法性なないから問題ないと繰り返し主張している。

彼等は「自分達はレイシストの差別的な犯罪行為を阻止している」とも言っているが、私が見た限りではそんな様子は確認出来ない。twitter上でその事を指摘しても、野間易通氏からはそういう映像の提示はなかった。やはり、カツアゲの様な小競り合いの映像ばかりしかないのだろう。

そんな事ばかりを続けて、一体何ンになるのだろうか?
たとえ彼らが言う様にナニガシかの蛮行を阻止出来たとしても、それはむしろ事態を悪化させる事にしかならないのではないか?

例えばもし仮に、「しばき隊をしばく会」みたいな集団があったとしよう。

彼らはしばき隊の行動を阻止する為に「合法的な暴力行為」を繰り返すだろう。そうなったら、しばき隊の面々は反省し、考えを改めるだろうか?

そんな事はありえない。逆に対抗措置を考え出して、もっと行動しようとするに違いない。 

今の様な暴力的なやり方を今後も続ける限り、それは仮想の「しばく会」と全く同じ。

結局、ただ単に火に油を注いでるに過ぎないだろう。 


そういう意味で、彼等しばき隊は私の記憶にある物語の「正義の味方」そのものだ。
彼ら自身は、きっと世の為人の為という「つもり」でいるのかも知れない。もともとは純粋な熱意が動機であったのだろうとは思う。

だが、彼等自身が公開している映像は、チンピラの恐喝や小競り合いとしか思えない暴力行為に溢れている。そこにある「正義」は、もはや憎しみをカモフラージュするための仮面でしかない。
そうやって彼らは気勢をあげ、またこれからも火に油を注ぎ続けるのだろう。


正面切って彼等にこんな指摘をしても、なんだかんだ理屈をつけて聞く耳は持たなかった。
彼らがいつか目を覚まして、もっと違うやり方にエネルギーを振り向ける事を願って止まない。