ロックバンドでデビューして、一時はオリコンチャートを騒がせた俺だが、数年後にはファンに飽きられてしまった。
 事務所もコロコロ変わり、ホールで行っていたライブもライブハウスになり、ラジオに営業で出演しては小さくなっていく会場の事を訊かれれば、客が入んねーんだから仕方ないだろっ!と思いながらも笑顔で
「もっとファンとの距離を縮めたい」
とお決まりのコメントでお茶を濁し、其のライブハウスも徐々に小さくなり、
 やがてバンドは解散したー
 やはり音楽一本で家を建てるのはそうとう難しい。此の世界、一曲、二曲ヒットが有っても続かないと駄目だ。家は買えい、現実問題として銀行のローンの申請が下りないからだ。そして其れでも俺は此の業界にへばりついている。
 ソロになってからもアコースティックギターを片手に地道に全国のライブハウスを回り、音楽活動は続けている。生活は何とか食っていける程度で裕福ではない。ほとんど女房に食わせて貰っているみたいなものだ。

 其なある日、大阪のアメリカ村にある小さなライブハウスでライブを終えた俺に有り得ない事故が起きた。
 ライブ後スタッフとお決まりの打ち上げをしていた時、たまたま二つ隣の座敷で今では数少ない大阪のファン達が呑んでいた。
 どうやら其の中の一人がトイレに立った時に俺を見つけたらしく、成り行きで一緒に呑む事になった。
 最初のうちは俺も其の場を楽しんでいたのだが、どうやら其の中の一人が酔いも回ってきた所為かだんだん俺に対してタメ口になり、カラんできた。そいつは俺の昔一緒にバンドを組んでいたギターの大のファンで、バンドが解散した理由は俺の我が儘だと思っている様で、俺に対しての口振りに小さな棘が端々にある。
 最初は此でも一応ファンなのだから大切にと聞き流していたが
「お前の女房は寺の住職らしいな。早く音楽辞めて坊主になりやがれ!」
少し酔いも回っていた俺は
「俺は婿養子で寺とは一切関わりは無い!住職は女房だ!坊主にはならない!俺は音楽を続ける!」
と半ば本音で事情の知らない相手には分の訳の判らない答えを返してしまう。すると相手は何故かいきなり俺に向かって襲いかかって来た。
 まさかそんな事で襲いかかって来られると思っていなかった俺は不意を付かれおもいっきり殴り跳ばされてしまった。其して奴は止めに入った数人を蹴散らし俺の上に馬乗りになると2、3発殴り、何を思ったのか落ちていた割り箸を手に取り、割り、其して其れを俺の両目に突き刺した。

 幸い脳迄達するほどではなかったが、俺はやはり失明した。
 2、3日の間はワイドショーで騒がれたらしいが、生憎俺には其れを見る事は一生ない。

 其れから数年、点字も覚え、社会復帰は出来ないものの何とか徐々に障害者としての生活が出来る迄になった。
 嬉しい事に目が見えなくてもギターは弾けるので今では趣味としてギターを弾き歌を唄っている。暇なので練習ばかりしている。技術面では昔を軽く凌ぐ程だ。
 生活は有り難い事に女房が何とかしてくれているのと障害者保険でなんとかなっている。家で何もしないのも悪い気がするので、時々女房の説法を聞きに来た檀家さんの前で唄う。女房の宗派である浄土真宗には既にシンガーソングライターの尼さんもいるらしいので、説法の場で俺が唄うのも何となく受け入れやすい気がする。或いは俺が自分の為にそう思っているだけなのかもしれないが…
 其なある日、近所で不幸が有り女房と俺の介護兼本山から来て修行をしている小僧が法事に呼ばれて行く事になった。
 此はまぁ、よくある事で俺は一人暇を持て余しながら、一番音の良く響く、本堂でギターを静かに奏でていた。
 俺は中中眠る気もなれず、只々諾々とギターを弾いていると真夜中だと云うのに突然外から俺の名前を呼ぶ低い男の声がした。
「迷惑でしたか?すいません、中中寝付けなかったものでつい…」
俺がそう云うと影は
「いや、違うんだ私は貴方に頼み事が在って来たんだ」
どうやら男の様だ。
「こんな時間に何なんですか?其れに俺は盲目なのですよ。頼み事なんて多分聞く事は出来ません」
「そう云わず話だけでも聞いてくれ。私も頼まれて来てるんだから」
其して男は語りだした。
「貴方は昔かなり有名なバンドの方だったそうじゃないですか。私の雇い主が昔から貴方の大のファンでどうしても貴方の生の歌が聴きたいときかないのです。事故に合い今は活動をしていない様ですが、今も拝見させて頂いておりましたがギターを弾いていらっしゃる。其処で貴方に今から私に付いて来て頂いて弾き語りのライブをして頂きたいのです。機材はそろっていまし、ステージの準備も出来ています。貴方も久しぶりにファンの前でおもいっきり唄いたいでしょう。何よりギャラは弾みす。其の代わり簡単な秘密は守って頂きます。なに、簡単な事ですよ。簡単な…」
明らかに怪しい。だが、本音はおもいっきり唄いたい。自分の働いた金で女房に何か美味いものでも食わせてやりたい。何よりロックがしたい。
 戸惑ってしまう。強盗ならこんな回りくどい事を云わなくても盲目の俺など襲うなら今襲えば良い事だし、寺にも隣の小屋の様な自宅にも俺のポケットにも金はほとんどない。しいて金目の物を上げるなら本堂の寺関係の物だが、流石にこいつが泥棒でもこんなデカくて売り捌きにくい物などは盗まないだろう。何よりバチ当たりだ。
 其な事を色々考えたが、結局奴が俺に嘘を云っても利益が思いつかないので、俺は男に付いていく事にした。
 俺は手を引かれるままに付いて行く。すると男は
「貴方には見えないだろうが此処に車がある。此に乗って頂くのだか段差に気を付けて乗ってくれ」
「車は乗り馴れている大丈夫だ」
そう云って乗り込む。
 暫く車は眠った街中を静かに走り、何処かへ到着した。
 男は車を下りて家人を探しに行き、暫くすると声から判断するにチョビ髭とスリーピースの似合いそうな老紳士っぽい男を連れてきた。
 其して老紳士は俺の手を取り屋敷のへ。
 屋敷は思っていた以上に広く角を何回曲がったかなどとても覚えきれるものじゃぁなかった。
 暫く行くとどうやらステージに到着したらしい。
 老紳士が
「此処が今夜のステージ中央です。貴方のすぐ後ろには椅子も用意をしておりますのでどうぞお使い下さい。其れではリハーサルを行って下さい。水はペットボトルに入って椅子の隣に用意しいています。用意が出来次第にお客を入れますので」
そう言うと老紳士の足音はステージの裾へ消えていった。
 手探りでマイクを探す。少し椅子の近くにマイクを持ってくる。
 既にスタッフがしてくれているとは思ったが念の為マイクテストを行う。
 次にギターをケースから出し、正確にチューニングして、サウンドホールに通称57と云われるマイクを向け一番気に入る音を探す。少し歌いながらマイクとの音のバランスをみる。少しモニターの音量が小さい気がしたので正面に向かって音量を上げてくれと云ったら、何処にスタッフが居るのかは知らないがすぐに良い塩梅に調節された。其して音色を決め、PAに空間系の注文をし、テストする。
 用意は出来た―
 其れをまたスタッフに伝えると其のまま待っていてくれと指示があった。
 徐々にステージの下が騒がしくなっていく。
 俺は此の騒がしさからするといったい客は何人ぐらい入ってるんだ?などと考えていると、急に俺が昔ライブで必ず使っていたファンクの名曲、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのダンス・トゥ・ザ・ミュージックがオープニングSEとして流れ出す。打ち合わせもしていないのに…出資者も俺の事をよく判ってくれてる様だ。
 同時に電動カーテンが開く音がしてワッと騒ぐ声がした。久しぶりの感覚だ。胸が高鳴る。最初は怪しいと思ったが嬉しい限りだ。
 合図を送りオープニングSEを止めてもらう。
 其して俺の曲で唯一オリコン7位迄上り詰め、大手進学塾のタイアップをとった曲のイントロのアルペジオを静かに奏でる。
 其して一瞬のブレイク
 客席の温度が変わるのが肌で解る。
 荒々しいギターのリフに5弦と6弦を巧みに使いベースのパートを入れる。此のテクニックは目が見えなくなってから暇に任せ練習し過ぎた為に出来る様になった。後、要所要所にはギターの色々な所を叩きドラムの代わりにもする。
 ギター一本でするロックンロール。
 何人入っているかは知らないが客のノリは良い。俺のテンションも高くなる。俺は今出来る全てを唄とギターを弾いて表した。
 此処数年味わった事ない最高の夜だ。
 アンコールも一度あり、ライブは大成功に終わった。
 其して御満悦の俺を舞台袖で待っていた老紳士は
「主もさぞ喜んでいます。其処で、明日より6日間毎日今日と同じ時間に此処でライブを行って頂けないでしょうか?」
「喜んで。こちらからも御願いします」
「其れは、其れは非常に心強い御言葉です。では明晩も同じ時刻に今晩案内した男が迎えに参ります。…其れから、只一つだけ御願いがあります。我が主はお忍びで此の場に居ます。だから貴方が此処でライブを行った事はけして口外なさらぬ様にお願い頂きたいのです」
俺は軽い調子で
「そんな事ならお安いご用」
と云い、老紳士の安堵の溜め息の音を聞いてから
「では家には女房もいますしそろそろ帰ります」
そう云って帰して貰った。
 家に着いた時にはもう明け方近かった。
 女房も小僧も静かに寝息をたてている。法事で疲れたか俺が出て行った事など知らない様子だ。
 俺も疲れたので寝る事にした。

 次に起きたのはもう昼に近かったが誰も怪しまない。元々俺の生活のリズムなんてバンドマンらしく無茶苦茶だ。
 俺はワクワクしながらギターを片手に今日の夜は何を唄おうか考えていると、すぐに夜になった。もちろん昨夜の事は誰にも云ってなかった。
 今日は女房と小僧は出て行く用事はないものの二人とも寝るのは早く、今はもう微睡みの中だ。
 昨日と同じ時間、男が現れた。
 俺は昨夜と同様に男に付いて行く。
 其して昨日と同じ様にライブを成功させて帰って来た。
 しかし、帰って来ると俺が抜け出していた事がバレて大騒ぎになっていた。
 女房も盲目の俺が一人で出て行って心配しているようで
「夜中に一人でいったい何処に?危険ですよ。寺に籠もってばっかりだから、たまには息抜きも必要でしょうけど、私に一言断ってから行くべきですよ。もしもの事があったら…行くならせめて誰か友達と一緒にでも」
と云う。俺は女房に一言
「スマン」
とだけ云い後は約束した事なので俺は堅く口をつぐんだ。
 しかし勘の良い女房は此の時にすでにもし俺が今日も夜中にこっそりと出て行く様なら後を尾行しろと小僧にいっていた様だ。
 其してまた夜になり、女房と小僧はそれぞれの寝床に消え、俺は本堂で迎えを待つ。
 暫くするといつもの男が現れ、俺を連れ出す。
 同時に小僧も尾行を始めるが盲目の俺は一切気付かない。
 しかし、俺を連れ出した男は其れを見破ったか偶然かは知らないが小僧の追尾を逃れ俺をいつもの会場に送る。
 慌てたのは小僧で俺が行きそうな所を虱潰しで探したが、結局見つからない。
 とうとう小僧が諦めて浜辺づたいに帰ろうとした時、遠くの松林の墓地の間からギターを激しくかき鳴らし聴き馴れた音が聞こえて来たらしいので見に行く事にした。
 其処には小僧が思った通りギターを弾いている俺が居たのだが、周りを取り囲んでいたのは、数えられない程の青白い鬼火だったと云う。
 小僧はビックリして駆け寄り、俺の名前を呼んだが、無視されたらしい、目が見えなくなって何事も耳に頼る俺でも烏合の衆の中から只一人の声など聞き分けられる訳などない。
 其処で小僧は今度は近付いて俺の耳元で大きな声で呼んだが、俺にとっては最高に盛り上がっているライブをしている時に曲を途中で止めるなんて俺には考えられない。だから俺は無視してやった。
 しかし一曲唄が終わった瞬間にまた耳元で喧しく声がするので
「ライブの邪魔をするなっ!」
と物凄い見幕で怒鳴ってやった。
 しかし、小僧からすると、俺が目が見えない事を良い事に、無数の鬼火にたぶらかされているのは紛れもない事実なので、小僧は俺におもいっきり当て身を喰らわせて気を失わせ、力ずくで急いで寺へ連れて帰った。
 寺へ帰って女房が温かい食べ物を与え、少し落ち着いた俺に、詳しく説明をするようにせまった。
 しかし俺は長い間話す事を躊躇った。だが、とうとう自分のした事が善良な妻を驚かせ、かつ怒らせた事に気付き、始めから起こった事を話し始めた。
「貴方は今大変危ない目にあっています。余りに音曲が巧いばかりに、こんな思いがけない難儀な目にあってしまったんです。もう判ったと思いますけど貴方の昨日居た場所は人の家でもライブハウスでもなく墓地だったんですよ。貴方が考えていた事は亡者が呼びに来た事の他は、みな心の迷いです。一度亡者の云うことを聞いたんで、すっかりその手中に落ちたんです。既にこういう事があったうえに、またしてもあの連中の言いなりなったら…八つ裂きにされますよ。昔からよく云われている事なのだけど…まさか自分の夫にそんな災難が降り懸かろうとは…しかも運が悪い事に今夜も私は法事に呼ばれて貴方と一緒にいる事は出来ません。でも安心して下さい。出かける前に貴方の体に御経の文句を書いて亡者から守りますんで」
 日が沈まない間に女房と小僧は俺を裸にして、筆をとって、俺の胸や背中、頭、顔、頸、両手、両足、足の裏迄も体一面に長い時間をかけ御経の文句を書き付けた。
 俺には、さっぱり意味が判らない。
 其して出かける前に女房は
「私が出かけたらすぐに縁側に座って待っていてください。そうするとまた亡者が呼びに来ると思いますが、どんな事があっても決して返事をしたり身動きをせず、口もきかず、ただじっと座っていて下さい。座禅でもするように。もし身動きをしたり音をたてたりしたら其の時はもう最後です。でも心は乱さず怖がってもいけません。助けを呼ぼうなどと考えてもいけません。助けようにも助けられないですから。ちゃんと私の云う通りしていれば危難は退散して、もう怖いものは何もなくなります」
 女房と小僧が出て行って俺は云われた通りに縁側に座った。ギターを傍ら板敷の上に置き、座禅の姿勢をとったまま、じっとしていた。気を付けて咳きもせず、聞こえる程の息もつかずに、幾時間も幾時間もそうしていた。すると何となくだが瞑想と座禅の違いが判ったような気がした。
 やがて道の方から足音が近付いて来るのが聞こえてきた。其れは門をすぎ、庭を横切り縁側に近付いて、俺のすぐ前に止まった。
 低くて重々しい声が俺を呼ぶ。
 思わず返事をしてしまいそうになったが息を殺してグッと堪える。
 声がまた俺を呼ぶ。
 三度声が俺を呼ぶ。
 俺は石の様にじっとしていた。するとその声はこうつぶやいた。
「返事がないー奴は何処だ?」
どうやら本当に声には俺が見えないらしい。此の全身の御経は半信半疑だったが目の前の俺が見えてない様だから信じるしかないだろう。
 縁側に重い足音がした。
 足音はおもむろに近付いてきて、俺の前で止まった。俺の鼓動につれて全身がガタガタ震えてるのを感じたが
 あたりは、しんと静まりかえっていた。
「ギターは此処にある。が、奴はー耳が二つあるきりだ!…道理で、返事をしない訳だ。返事がしたくても口がないのだ。耳の他には、何も残ってない。では…わが主に、此の耳を持って行こう。出来る限り仰せのとおりにしたという証拠に…」
 その刹那俺の耳は鋼の指で捕まれもぎ取られるのを感じた。
 俺は余りの痛みに悲鳴をあげることすら出来ずにいた。
 俺の顔の両側から生暖かいどろどろとしたものが、ぼとぼと落ちるのを感じたが、手をあげようともしなかった。否、出来なかった。
 重い足音が縁側づたいに遠ざかり、庭へ降り、道路の方へ、出て行って、消えていった。
 気配が消えると同時に俺も気を失った。
 日の出前、女房が帰って来た。すぐに裏手の縁側の俺の元へ急いで行くと、何だかねばねばしたものを、踏みつけ滑り、ぞっとしながら、声をあげた。
 しかし俺は其処に座禅の姿勢をとったまま、気絶して座っていた。
 女房が慌てて、何か叫びながら俺を揺すり、漸く気が付いた。
 俺は女房に支えられる形で抱きしめられると、女房の声を聴き安心した所為か急に見えない瞳から涙がどっと溢れてきた。
「可哀想に、可哀想に。此はみんな私の手落ち、酷い手抜かり…体中くまなく御経の文句を書いたけど耳だけが落ちていた。其処は小僧に任せたはずだったのに…でも、あれがちゃんと書いたかどうか確かめなかったのは重々私が悪かった。…だけど、其れはもう致し方ない。このうえは、ただ一刻も早く傷をなおす事だけを考えて。元気を出して芳一、危険はもう退散したわ。もう二度と、あんな亡者に悩まされる事はないわよ」

 俺は暫く入院して、耳の傷は完治した。
 其して此の不思議な出来事を、エンターテイナーとしての俺はどうしてもほっとくのがもったいなく思え、もう一度此のエピソードと共に『耳なし芳一』という名前で音楽業界に殴り込んだ。
 次の年の夏はあの怪談を語らせたら日本一の稲川淳二とタックを組んで、各地で俺の不思議な体験を語ってもらいながら二人で仕事を回り話題を作り、FUJIROCKではオールナイトイベントに参加させてもらい、草木も眠る丑三つ時の俺の出番の前にも稲川淳二に語ってもらい、其の後俺の超絶テクニックを披露してやった。其の夜は大盛り上がりだった。

 其して俺はまた日本のオリコンチャートを騒がす存在になり、人気も昔以上になったが、一方ワイドショーに出ては『耳なし芳一の人生相談』などと云う馬鹿な仕事も引き受けなくてはならなくなったが、其のかわり4年後には寺の横に新しく家をキャッシュで建てた。

            了

 

 

 

 

 

お問い合わせはLINEからどうぞ

⬇︎

 

 

 

 

 

 

 

世界中の足元をゴキゲンにする、立岡靴工房です。

 

雨が降る時、防水スプレー使いますよね

例えばサフィールの防水スプレー、ガスで噴出するのではないので最後まで無駄なく使い切れるものがあるんですが、使い方が間違っている人が多いので注意喚起のブログです。

 

まず。

エナメル素材には使えません。

 

エナメルのツヤツヤした光沢がなくなります。

 

光沢がなくなるだけなら良いんですが、白っぽく曇ってしまいます

何かしらの化学反応が起こって、元に戻らなくなるので気をつけてください。

エナメル用の補修クリームみたいなものをつかって、多少は直ることもありますが、ほぼ無理です。

 

 

続きまして、

②防水スプレーを振る量が足りてない

 

これ結構あるんですが、靴の周りを1周だけさらっとスプレーしてないですか?

薄い色の靴や、微妙な素材の靴だと遠慮してしまうかもしれないけど

表面がスプレーで濡れたな〜。というくらい振りかけてください。

 

布のスニーカーとかの場合は、その倍くらい。

靴全体がしっとりしたな〜。というくらいで、ようやく効果が期待できます。

念の為、目立たないところで試してみて、色落ちやシミにならないかどうか確認してね。

 

 

 

③換気が悪いところでスプレーしてる

 

これ結構ヤバくてですね。

吸い込むと体に悪いって注意書きがしてあるにも関わらず、屋内で振りかけている人が多いです。

特に玄関とか。

ドアを開けて振りかけるだけでは不十分。

ドアの外で振りかけてください。

 

靴屋さんでも、お店の中で振りかけてる人を見る事がありますけど基本は屋外でお願いします。

たぶん靴屋の人が靴屋の中で振ってるから、それを真似する人がいるんだと思うけど

最悪の場合、肺炎になって死にます。

 

防水スプレーって、防水効果があるじゃないですか。

防水効果ってことは、表面に水を通さないコーティングが作られるわけですけど

肺の中に多く吸い込んでしまって、肺の中にコーティングが出来たらどうなると思いますか?

 

呼吸が出来なくなって、死にます。

 

なのでお気をつけください。

 

 

 

 

 

靴屋がおすすめする防水スプレーはこちらです

⬇︎

 

 

 

 

ガスでブシューと出るやつはこちら

⬇︎

 

 

 

 

 

 

 

 

お問い合わせはLINEからどうぞ

⬇︎

 

 

 

動画で解説しました

 

こんにちは。立岡靴工房の立岡海人です。 突然ですが、自己紹介します。 

少し長くなりますが(約8,000字、さらっと読んで5分くらい)良ければお付き合いください。

 


 

今日のBlog。自己紹介の目次

  1. 名前の由来
  2. 家族構成
  3. 仕事のこと
  4. 趣味
  5. 人生のピンチ
  6. 夢とか、目標とか
  7. 新型コロナウイルスの影響

 


 

自己紹介。1.名前の由来

 


 

改めて自分の事をまずは、名前の由来から。

 

  IMG_4310 

 

 

自慢出来る程の達筆では到底ないんですが、結構自分の字が好きでして 時々で字の感じって変わるんですよね。落

ち着いてきたなぁ、とか大変そうだなぁ、とか。 

 

わたくし生まれも育ちも岡山県は岡山市の中心部。

 

岡山城の殿様であった池田光政さまが自分の身の回りのものを揃えるために方々より集めた商人がつくったマチ、表町商店街で3代続く革靴屋の4代目として産まれました。 

 

屋号が立岡商店。先祖代々、立岡の姓を名乗っていたという事になります。 

ちなみに立岡という姓は、全国では3000人ほど。滋賀県に500人ほど住んでおるそうです。

 

  スクリーンショット 2017-06-05 11.53.25 

 

 

これ、昭和20年代、戦後の頃だそうです。写真中央右端に

「旗と履物 立岡商店」

 

とあります。

 

 

 

  ピクチャ 1 

 

 

 

これは戦前の表町商店街の地図をデータ化したものなんですが、(近所のおっちゃんが自慢気に持ってきた)

 

 

 

  スクリーンショット 2017-06-05 11.58.31 

 

 

立岡国旗店とあります。昔は旗を売っていたんですね。 

(黄色い丸が付いているのは、戦死者があったことを示しているそうです) 

その他にも、古い資料はまだまだあるんですが立岡の歴史はこれくらいにして

 

 

 

  スクリーンショット 2017-06-05 12.05.48 

 

 

名前の「海人」について少々。(かいと、と読むんですがほぼ一発では変換されません)

 

 

  こんがり伊是名港ドボン大会 

 

 

これは、沖縄の写真です。 

 

本島へ戻るフェリーが出発した直後、みんなで海に飛び込んで見送る瞬間を当時14才くらいの私が写ルンですで撮影したところです。

 

世代によっては懐かしかったり、知らなかったりすると思いますが、写ルンです。

最近またちょっと流行ってるみたいですけど。 

 

それで、立岡家はおじいさんおばあさんとシングルマザーと犬1匹の家庭だったんですが、お母さんが沖縄が好きで「海」に関係するような名前を付けたいと思ったから。と聞きました。

 ちなみにお母さんの名前は「洋子」。洋々と育って欲しい。とおじいさんおばあさんは付けたそうですが、本人曰く「洋々と育ちすぎた」と言って笑っていました。

 

確かに。

 
 

一人歩く子供 

 

 

 

(これも沖縄の写真。離島(伊是名島)の更に離島(屋那覇島)。 

 

それはまあいいんですけど、沖縄では漁師のことを海人うみんちゅう)と言いまして これは良い!となったようです。

「カイくん」と言う音も良かったみたいです。 

 

ボツったみたいですが、もう一つの候補は「カムイ」くん。沖縄or北海道かと。

キラキラネームかと。 

そんなかんじです。 

 

最近は「たっちゃん」or「たっつん」とか「カイトさん」と呼ばれる事が多いです。

 

 


 

2.家族構成

 

 

 

 


一緒に住んだり、住まなかったりしても家族と思うことがあります。

 子どもの頃は、岡山の実家でお母さんとおじいさん、おばあさん、犬1匹。

  一人っ子だったけど、兄や妹みたいな、幼なじみよりも少し近い友だちが何人か。

 

 

  IMG_3552 

 

 

 

彼の名前はセト。

瀬戸大橋が出来た年に産まれたから。シバとセッター犬のハーフで14年生きた。 

 

中学生くらいでおばあさんが寝たきりになって、自宅介護が始まった。

(まぁまぁ大変)

 

 大学生の頃、京都の木造下宿アパートで一人暮らし。(←1年住んで、火事になって引越し) 

 

 

2年目くらいで犬が老衰で死んだ。

 

良い死に方だったけど、寂しかったな。 

 

途中20歳くらいからは木造一軒家をシェアハウスみたいにして友だちと3〜5人暮らし。 

(いつでも誰かが居間にいる。知らない人も出入りするような京都っぽい感じ) 

 

この頃、兄のような幼なじみが事故死。生きてたら良かったのになぁ。と思います。 

 

就職が決まった頃、当時の地方商店街というか小売業は急下降を続けていて、インターネット販売と郊外型のショッピングモールに完全に押されていて、靴屋も例外じゃなかった。 そ

れでも就職を祝ってくれて、 頑張って来いよ。とおじいさんは言ってくれた。 

 

介護と靴屋の景気が悪くて大変だったと思うけど。 

 

仕事を始めて、当時の彼女と二人暮らし。RCマンションの住みやすさに感動したが、山が近くムカデが出る。

(ある時ベルボトムを履いた瞬間、裾から出てきて足が腫れて病院に行った思い出など) 

 

 

共同のアトリエ、LDK、寝室。で住みやすかったけど、途中で一軒家に引っ越し。 

腰椎椎間板ヘルニアで働けなくなり仕事を辞めて、収入が減ったのでまた下宿アパート暮らし。 

 

しばらくして、再びシェアハウス生活。

学生の頃から一つ屋根の下で過ごした人たちは、今から思えば家族のような関係だったと思います。 

 

岡山で寝たきりだったおばあさんの先が長くないとなった頃、何が起こるか分からないなら家族と一緒にいようと思って実家に戻っておじいさんおばあさんとお母さんの4人暮らし。

 

 

いろいろ決断して、当時の彼女とは別れた。 

 

家族のあり方って、どれもこれも当たり前なものはなくて、ひとつひとつが完全にオリジナル。 

 

立岡家は商売人の家系だったので、基本いつも全員靴屋の仕事をしているから土日祝日はむしろ稼ぎ時。

それでもよく遊んでくれた方だと思う事があります。 

 

おじいさんは話が上手で、若い時は満州にいたこと、戦争でシベリアへ抑留されたこと、日本へ帰って苦労して仕事をみつけたこと、あるときおばあさんに出会って立岡家になったこと、いろんなことを夕食時には話してくれました。

(そういえば、仕事の話は一切しなかったな) 

 

おばあさんは立岡家の本家だったので戦争では苦労したものの、死ぬまで上品さを持ち続けた人。 

 

寝たきりになって不自由したと思うけど、自宅介護で家族に囲まれて見送られて幸せだったんじゃないかな。

ある夏の朝、眠るように息を引き取ったおばあさん。

良い死に顔でした。 

 

 

葬式が終わってしばらくした頃の夢の話。

 

おばあさんは最期まで寝ていたベッドの上を羽が生えたようにぐるぐる飛んでまわっていました。

(たぶん本当に飛び回っていたんだと思う) 

 

あと、「お母さんにありがとうって言っておいてね」とも。 

おばあさんを亡くしたお母さんは悲しみが深すぎて、近くにいるけど気が付かないんだって言ってた。

 

そういうこともあるんだろうなぁ。と。 

 

それからもおじいさんは強く生きた

おばあさんの事が大好きだったから辛かったと思うけど、靴屋をなんとか守らないといけない。という使命感とともに強く生きた。そんな感じがする。 

 

 

ベリーダンサーの嫁と結婚が決まった時も、喜んでくれた。それで気が抜けちゃったのかなあ。

段々元気がなくなって、ほろっと死んじゃった。

丁度11月の商店街が街を上げてのワゴンセールをする直前。

 

葬式の翌日からワゴンセールをやって、なんか大変だったけど商売人の死に様を見たって感じ。

 

 

商売人が、商売の足を引っ張る訳にはいかない!

 

という何かがあったのかもしれない。 

 

それから、嫁のお父さんもほろっと死んだりしたので結婚が先延ばしになったんだけど 結婚するまでのしばらくは、お母さんと二人暮らし。

 

結婚してからは、嫁と二人暮らし。 

 

2年前に靴屋が火事になったのもあって、実家にお母さんと嫁と3人暮らし。

 

 で、その後で実家を建て替えることになってお母さんは近所のマンションで一人暮らし。

 

私は嫁と嫁のお母さんと嫁の実家で3人暮らし。+猫が2匹。猫は可愛い。

 

18581984_1687188801310416_2104182497434650590_n 

 

 

最近ようやく慣れてきて、写真を撮らせてくれるくらいには近づけるようになった。 

 

そして、靴屋と自宅が新築されたので、またお母さんと、嫁と3人暮らしになった。

 

子どもはまだいない。 

 

 

 

まとめ。

 

家族みんな好き。

 

おまけに、ちょっと良い話。 

 

火事の後、すぐ近くに仮店舗を出したんだけど閉める事になった頃にお母さんとイオンモールで食料品を買うことになりショッピングカートにトマト缶とかスパイスとかを入れていた時。

 

 「今まではお互い仕事の関係ばかりだったけど、この瞬間はなんか家族っぽいな」 と何かじんわりくるものがありました。

 

小さい子どもの時、以来だなぁと。 

 

やっぱし一緒に仕事してると、売り上げが落ちると仲良くしにくくなったりするからね。

 

 


 

3.仕事のこと

 

 


 

 

今はこのようにオーダーメイドの靴屋の仕事をしていますが、なぜこの道に進んだのかというとやっぱり家族の仕事を見てきたから。というのが一番のような気がします。 

 

腰椎椎間板ヘルニアで仕事をやめて、さぁ再就職しようという時に実家の靴屋をやろうと決めたのは、

 

「これは家族である自分にしか出来ない事だ」

 

と思ったからでした。

 

 

他の仕事は、自分の他にいくらでも代わりがいると。

 

 少なくとも、ずっと会社を守ってきたおじいさんが生きているうちは靴屋を廃業させるわけにはいかない。とも思いました。

 

 

だから、おじいさんが死ぬ時まで頑張ってみようと。 

 

で、おじいさんを見送った後。もう少しだけやってみたくなって今のオーダーメイド靴を専門にする業態に変わっていったということになります。 

 

おじいさんが言っていた言葉で、ずっと心に残っている言葉があります。

 

「正直な商売をしなさい」

 

時代が変わり、人が代わっていっても、その時々で常に正直であれ。と。 

 

適正なものを、適正な価格で、ごまかしたり、嘘を言ってはならない。 

 

勝手に、家訓と思って生きています。 

 

 

 

あと、ちょっとした職歴としては → もんじゃ焼き屋 調理補助、ホール接客業務 → ホテルの宴会サービス → なんか、色んな事の調査 → 太陽光パネル設置 → ホテル厨房の深夜清掃 → エクステリア関係土木作業 → デパート催事の販売員 → 建築設計デザイン事務所、図面製作、施行補助 → 靴、カバン修理 → 居酒屋、厨房、ホールどっちも などを経て、今の靴屋です。

 

 


 

4.趣味のこと

 


 

 

まずは、ベリーダンサーの嫁と過ごす事。

 

  16807178_1574504632578834_1546194251271443663_n

 

 

 

あと、ディジュリドゥ演奏

 

 

 

  ディジュ斜 

 

 

 

 

幸せな事に、ベリーダンサーの嫁とディジュリドゥ演奏で共演することが夫婦の面白いことになっています。

 

 最近はタイミングが合わずにワンステージまるっと共演というのは機会がないんですが、それでも同じ舞台の上で、表現者としては平等な立場でそれぞれのパフォーマンスをする。という共通体験を持てる事は貴重だと思います。

 

 

 

 

 

△-misumi-(ミスミ)

 

という名前で、ダンスディジュリドゥバイオリンパーカッションのバンドで、たまにイベントで演奏しています。

 

  17342721_1614523148576982_8368118233635725503_n 

 

 

(最近は、ちょっとしたホールで小芝居のような事もやるようになった。2017年2月撮影)

 

 

 あとは、料理。

 

カレーつくるのとかかなり好き。 スパイス系大好き。 

 

一品つくって、良い感じに皿に盛れた時はドーパミン出る。 

 

数品か同時に作って、いいタイミングで一緒に出せた瞬間は結構気持ちいい。

 

 

 

 

  11070796_1039424429420193_870434978899075462_n 

 

 

 

あと、ボルダリング。

 

 

屋内専門。アウトドアに行くほどじゃない。 

個人プレー系好き。というか、チームプレイ系が無理。

 

上手く出来ない。 

 

最近だと少し大人になったので、フットサルはじめました。

 

 

 その他、ハマりやすく、すぐ飽きるので過ぎ去った趣味多数。

 

 

 基本的には個人プレー系早く動かないもの、ゼロから1をつくるのではなく1を1αにしたり1’にするのが好き。

 

 

 


 

5.人生のピンチ

 


 

 

 

なんか人と話す時に聞いてて面白い話ってなんだろう。と言う話をしていて

「それぞれが人生でピンチを乗り越えた方法って知りたくない?」

 

って話になりました。 なので、頑張って書いてみます。

 

 


 

借金と、火事と、歴史と仲間たち。

 


 

 

まだ事業継承する前で、丁度火事になる2015年春くらいの話なんですが、借金がなんやかんやで1,000万近くありました。 

 

 

今は靴屋を建て替えるのに、当時よりも金額は多い借金がありますが、返す当てのある借金というか計画性のある借金です。 

 

2年前の借金は、「もう少しだけ頑張ってみよう・・・!」という思いだけが先行して、計画性の無い借り入れなどを繰り返した結果でした。

 

現実的にはどうやったら返済出来るのだろう。と半ば諦めかけながら、しかも目隠しをしたような状態で走り続けていたような気がします。 

 

それでもオーダーメイドの靴が少しずつ軌道に乗ってきたところだったので、「何とか乗り越えられるかも・・・!」と思っていた矢先の火事でした。

 

 

 

 

 

  CJHppOAUkAAI2PQ 

 

 

 

この時、火事が大変でしたね。って話になるんですが 実は正直なところ、「これで借金が少し楽になるかも」と思うくらい資金繰りがキツい状況でした。 

 

実際には楽になるどころかもっと大変になるんですが 目隠しをしたまま走っていたのが、火事で立ち止まった事により目隠しが取れたので

 

(というか、現実を直視せざるを得ない状況になった

 

ある意味ピンチなんですがチャンスというか、今ならそう言える。って出来事でした。 返済に悩んでいた借金のことだけでなく、火災保険の話、土地問題、相続のこと、4代続く靴屋なので、4代分のいろいろな事が火事をきっかけに次々と出てきました。

 

 

火事の1年後くらいですかね、一番キツかったのは。

 

笑ってはいるんですが、まぁまぁ痩せました。

 

13124626_1275676789128288_4479945039842725113_n 

 

 

奉還町のKAMP靴の展示会とディジュリドゥのLIVEでゲストに松本族が来た時の写真です。 

 

今は順調に体重も戻ってきて、嫁にはこの頃くらい痩せてる方が良いと言われますけど 乗り越えられたのは靴屋が長年積み重ねてきた信頼と、少し残っていた資産があったことでした。

 

昔からのお客さんから 『頑張って!』と言われたり

 

商店街の仲間や、地元でもほとんど知らないような人からも応援をいただいたり メディアの方が復帰の取り組みを取材をしてくれたり 銀行や支援機関の方もいろいろなサポートを考えてくれました。 

 

 

あと、同世代の経営者仲間たちが皆キツい中でも頑張っている姿をみて

 

「自分もやれるだけやってみよう・・・!」

 

と思えた事も、元気になったひとつでした。 ちょっと話それますが、この時に確信したことがいくつかあって

 

 

「音楽は人の傷ついた心を癒す事が出来る」

 

ってこと。

 

 

 

 ピアニストの妹尾美穂さんが岡山でドラムサークルを主催していて、火事の後でまだ間もない頃に招待いただきました。 

 

 

その時、音楽に触れながらだんだんと泣けてきて、なんか自分は結構キツかったんだなぁと、音楽で心が緩んできて始めて気付くくらい、張ってたんだなあ〜と思いまして、ダンスにも同じ事があると思うんですけど、そういう話です。 何の話だっけ。

 

 

そうそう、キツい時に頑張れる元気を貰える同世代の仲間の話。 

 

といっても、同世代だけに限らなくて

 

 

同じ方向に向かう仲間たちがいると、頑張れる

 
 

って話。 

 

 

で、同じ方向に向かう仲間って、一番はベリーダンサーの嫁なんですよ。

 

 

 価値観は少しずつ違うところはあるけど、何でも相談出来るパートナーが近くにいる事がとても幸運なことだし、ありがたいことです。 

 

 

例えばどこかの勉強会に参加して、こんなこと教えてもらったよ。

っていうことも嫁に全部フィードバックする

人に説明するってことが学習には良い効果があるらしい。 

 

そんな感じです。

 

 

 


6.夢とか、目標とか


 

 

 

人生の目標。 

 

■嫁といつまでも仲良くすること。 

 

■おばあさんを見送ったおじいさんのように、嫁の最期を看取る。 

 

■おじいさんが死んだように、良い感じで息を引き取る。 

 

■そのためには、家族を大事に。自分のおかあさんと、嫁のお母さんしか今はいないから。 

 

 

 

仕事について 

 

■立岡靴工房で新しいブランドを立ち上げる 

 

■ブランドができたら、展示会したい 

 

■靴づくりの技術や知識を次の世代に繋げる準備を始める 

 

■とりあえずYouTubeから。まずは目指せ10,000人

 

 

 


7.新型コロナウイルスの影響


 

 

 

さて、そんなこんなで2017年7月に靴屋がリスタートしたわけですが 

2018年には中四国で大雨が降って、靴屋の被害はなかったけど全体的に皆んな落ち込んでしまったし 

2019年には靴づくりが上手くいかなくなるトラブルに見舞われたり 

2020年には皆さんご存知の新型コロナウイルス感染症が世界をすっぽり包み込んでしまいました。 

 

 

靴業界も、最初は材料の供給がストップしたり、工場をクローズしたりと生産体制が不安定になってしまいました。 

 

 

オーダーメイド靴の納品が大幅に遅れたり、時間がかかり過ぎてしまったことで注文をキャンセルさせてもらったりもしました。

 

 そんな今までやっていた対面でのオーダー靴販売が完全に転機を迎えることになった中で、コツコツ育てていたYouTubeからパティーヌや染め替えの仕事をいただく機会が増えたり オンラインショップで靴のメンテナンスや加工材料が売れるようになったり いろんな補助金とか、給付金といったサポートをいただきながら、なんとか靴屋を続けさせてもらっています。 

 

 

 

だけど、立岡靴工房は全然諦めてないです。 

 

 

はっきし言って、靴メーカーも廃業するところが出てくると思います。 

 

 

それでも、今のチームは全員で力を合わせて生き残ろう!と団結しています。 

 

というか、コロナで全員の状況が大変だからこそ、一緒に商品開発を本気で始めました。 

 

具体的には、新しいパティーヌパンプスの企画がスタートしています。 

 

目標だった、展示会の計画をはじめました。 

 

 

新しいサービスを紹介するプロモーションビデオをつくります。 

 

 

YouTubeの登録者数が、もうすぐ2,000人になります。 

 

そして、今までにないくらい多くの事業計画をつくっています。 

 

 

新しい夢に向かって全力ダッシュする立岡靴工房をこれからも応援してください。

 

 

 

立岡靴工房は世界中の足元をゴキゲンにします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 
 
 
 
 
 
 

おまけ.占いではこんな感じです。 ベリーダンサーの嫁がいまして、昔からしいたけ占いが好きで。 スクリーンショット 2017-06-05 11.05.50 「魚座と射手座のアーティスト性」って記事に

『まぁまぁわかるわー』 (靴屋:射手座。ベリーダンサー:魚座。)

というか、「魚座と射手座のアーティスト性」を読んでもらえれば大体それです。 あと、動物占いだと確か面倒見の良い黒豹です。 六星占術では土星人 (+) で、霊合星人(二面性があるってやつで、浅田真央と同じ) 九星占いでは九紫火星と言われた事があります。 アーユルベーダ的にはヴァータピッタです。 惑星数智学的にはケートゥが・・・。ってもう良いですね。結構やっとんのかい!みたいな話で。 分かる人には大体分かったと思いますが、やっぱり占いはインドが一番すごいってことです。