こんばんは、スタッフ吉田です!

 

ネタバレになっちゃいますが、

常春だった病棟内で基本半袖で1ヶ月間過ごしたので

ちょうど2年前の今ぐらいに術後退院して

外との気温差にびっくりしたのを思い出します…(笑)

 

チューリップ黄難病児の母として 第1回 第2回 第3回


先週の続きです。

今回は付き添い入院スタートのことを書きます。

 

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Aくんママとメッセージのやりとりをし、

少し先が見えてきたような気がしました。


スマホの検索履歴も過去の症例など難病についてだけでなく

付き添い入院に必要な準備物や買ったほうが良いもの、赤ちゃんの付き添い入院の体験談など

 

入院に対しての心構えのための前向きな検索に変わりつつありました。


ただ正直入院前に心構えが出来ていたかというとそうではありませんでした。


というのも、検査入院は入院日だけ決まっていて退院日は設定されていませんでした。

もしかすると検査だけだったら数日〜1週間で退院するかもしれない。

でもそのまま手術することになったらいつ帰れるか分からないという状態でした。

どっちに転んでもいいように、まずは1週間分の入院準備をし、それ以外に用意したものというと、、

家の中の場所の指示が出来るように部屋中の写真をありったけ撮り

入院が長引いた時の追加の着替えやゲームなど暇つぶしグッズ等荷物も用意しました。
(写真は夫に追加の荷物をお願いする時、あれが欲しいこれが欲しい、というときにすごく使えました!どこに置いたっけ…ってのが無くなるので(笑)

暇つぶしグッズは後述しますが結局付き添い入院が想像以上に多忙で使えず…。)


そしてついにやってきた検査入院の日。


福島市にある、福島県立医科大学附属病院
後に息子がながーくお世話になる病院となります。

 

小学部のときの恩師が医大の中にある支援学校に勤めていた時に遊びに行ったり、

友達が入院していた時お見舞いで行ったりと指で数えるほどしか行ったことありませんでした。



スーパー等で使う大きいカートに溢れんばかりの荷物を積め、
当時新設されたばかりの✨ピカピカ✨のみらい棟(小児科・産科がメイン)に向かいました。


あとは正直断片的しか覚えてなく…

かなりの量の説明を受け、かなりの量の書類を書き、

息子は点滴のルートがなかなか刺さらず1時間ほど格闘され、

点滴のせいなのか病院の雰囲気のせいなのか四六時中機嫌が悪く泣く息子に付き添い、

プレールームに連れて行ったりDVD見せたり、

毎食前の慣れない薬を飲ませ離乳食の量の多さに驚きながらなんとか少しずつ食べさせ、

点滴の影響でオムツが1,2時間も持たず服やシーツまでビショビショになったり、

咳で吐かれたり、離乳食で汚れた服を一日何度も着替えさせたり、

自分にも嘔吐物がついてしまい自分と息子の着替えが想像以上に足りなく困ったり、

4人部屋だったのでわたしは聞こえないですが、おそらく隣の子が泣いててそれに釣られて息子まで泣いたり夜泣きが激しく夜間授乳も頻繁で寝不足。

ある意味私は他の子の泣き声や隣の生活音等が聞こえなくてよかったかも…と思っちゃいました。

昼間は沐浴や一日3回の検温に5回の吸入と必要なときの痰吸引でてんやわんや。

週3回、常勤の保育士さんに預けての30分間のシャワータイムが息抜きってぐらい、もう自分の食事を摂る時間が無いぐらいでした。

↑グダグダ長いので読み飛ばしてもいいです(笑)

書いても切りがないぐらい、付き添い入院はもうやることが盛り沢山でした。
 

 

プレールームでは他の乳幼児もいて、たまに一緒に遊んだりしていましたが

このときは親同士の交流は会釈程度で会話はそこまでありませんでした。

 

この病棟は結構術前術後の子が多く長期入院の子もいたのですが、

なんの病気を抱えているのか全くわかりませんでした。

医大で手術入院してるぐらいだからそれなりに重い病気なんだろうな、としか推測できませんでした。

 

私からなんて声かければいいのか分からず

おそらく向こう側もどう接していいか分からないように見えました。

 

 

また、この間は家族には追加の荷物や洗濯の持ち帰り、

シャワーや1Fのコンビニへの買い物の間だけ息子を見てもらう程度で

長時間やお泊りの交代はしませんでした。


まだ息子が母乳を必要としていたのが大きかったのですが、

このときまでもワンオペで息子を預けたりと長時間息子から離れることはあまりなかったので

一晩だけでも人に預けることが想像出来なかったのです。。

 

今思うと、冷凍母乳でも作って一晩でも無理矢理にでも付き添い入院を経験してもらえればよかったな、と思いました。

こちらがいくら大変だって言ってもなんだか家族に伝わりきってない気がしました。

前回でも書きましたが、経験は大事ですよね。。

 

看護師さんは本当に良くしてくれて、筆談、身振り手振り、簡単な手話が分かる方も1人ほどいました。

 


ただやっぱり孤独感はありました。


入院してからもAくんママとメッセージやりとりをし、気持ちを紛らわせようとしました。

 

何度も書きますが、本当にAくんママの存在はとても大きかったです。

 


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今日はここまで…。

次はやっと手術前の話に入ります💦

 

 

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