所有事業者:京都バス(京都)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:京都200 か ・837

社番:151号車

配置:嵐山営業所

初年度登録:2004年

シャシー製造:日野自動車

搭載機関:日野P11C-TI〈pt-i〉型~※

車体架装:ジェイ・バス小松

車両型式:KL-HU2PMEA

車名:日野ブルーリボンシティ・ワンステップ

撮影日:2023年2月11日(土曜日)

撮影場所:京都駅烏丸口

※・・たぶん

 

「今日の1台」ではあまり取り上げる機会が少ない、日野ブルーリボンシティです。ハイブリッド仕様は撮る機会が多いんですけど、ハイブリッド仕様じゃないのはなかなかお目にかからないですね。

 

1985年にフルモデルチェンジを実施したブルーリボンの乗合仕様車。この時は乗合モデルのみならず、観光貸切/高速路線モデルにも「ブルーリボン」のペットネームが冠せられましたが、今回のテーマは乗合モデルですので、所謂「RU6」系については割愛します。

幾度の排ガス規制をクリアし、その都度マイナーチェンジを繰り返してきましたが、その後継モデルとして2000年にデリバリーが開始されたのがブルーリボンシティです。

 

目を惹く斬新なボディデザインに当時の日野自動車の勢いを感じさせまして、2005年のセレガ(二代目)、2006年のポンチョ(二代目)と立て続けにヒットモデルを連発します。

ノンステップ、ワンステップ、ツーステップとラインナップされており、2001年にはHIMR仕様も加わりますが、2005年にハイブリッドに一本化されて、HIMRと一般のディーゼルエンジン車は生産を終了します。

ブルーリボンシティは登場時こそ、日野車体工業製のボディを架装していましたが、2003年以降はいすゞと日野との合弁事業である「ジェイ・バス」に生産が移行し、いすゞエルガ/日野ブルーリボンⅡが宇都宮事業所で生産されるのに対して、ブルーリボンⅡだけはセレガ/ガーラでお馴染みの小松事業所で生産されました。画像の個体は2004年式ですので、ジェイ・バス製になります。

 

京都バスには2001年から導入が始まり、2005年までにワンステップ仕様が13台配備されました。

嵐山営業所に配備されていますが、やはり主たる利用客は観光客なので、オンシーズンには八面六臂の活躍をします。そのせいか、室内レイアウトは都市型を採用し、中扉から後方の床面を段上げしています。

 

 

【参考文献・引用】

バスラマインターナショナルNo.165 (ぽると出版社 刊)

ウィキペディア(日野ブルーリボン)

 

7月31日(水曜日) 晴れのち曇り

 

今日は本来は休み。でも、仕事でした。

2~3日前にお話ししたチームメンバーの問題で、「怖いのはコロナである可能性はゼロではない」とその時記しました。したら、ホントに陽性反応が出ちゃったんですね。最近、コロナ感染者が増加傾向にあるというのは新聞やニュースやSNSとかで問題視されていますけど、「まさかね」って感じ。

 

で、私はそれを月曜日に知りまして、知ったのは良いんですけど、チームリーダーがあからさまに「どうしよう、どうしよう・・・」とシフト表を見ながら困った “フリ” をしています。リーダーなんだから、「どうしよう」って言う前に知恵を絞ってあれこれ考えれってスルーしようとしたのですが、よくよく考えると、よしんば我を通して休んでもその皺寄せは必ず私の所へ来ます。だから余計な詮索をせずについ口走ってしまいました。

「水曜日、出ようか? 二欠よりもマシでしょ?」

それで決まりました。

 

仕事的にはそれほどじゃなかったし、いつもより配達がしやすかった気候だったので、比較的早い段階で仕事は終わりました。休日出勤なので、金にもなるし。

 

でもコロナになったメンバーは前述のように金曜日までは出勤しないです。今日は水曜日、まだ木金と残っています。

シフトを見ると、木金と有休が入っているメンバーがいます。そこで何故

「悪いけど、その計年(前年度の繰り越し有休)、飛ばせない(別の日に付せない)かな・・?」

って言えない?

2024年度も上半期が終盤に差し掛かり、もう間もなく下半期ですよ。色々とやり繰りしたら、その “飛ばした” 有休くらい、どうにでもカバー出来るのに、何故それをやらない?

 

そういう意味で、今日の出勤は “損” の一言に尽きます。

7月30日(火曜日) 晴れ時々曇り

 

あっという間に7月も終わろうとしています。

毎日倒れそうな暑さですが、それでもやっぱり夏は好き。でも、齢のせいか、昨今の夏はちょっと堪えますね。

ところで・・・

 

 

配達先でも近所でも見かけなくなったのが犬を外で飼っている光景。

どのお宅でも大小関わらず、人間と同じ空間で過ごしているようです。

前述のように、ここ最近の日本は猛暑日が続き、その合間を縫ってド雨に祟られ、大型台風に襲われるなど、外飼いしている動物にとっても危険な環境にあるせいなのかもしれませんが、そういう意味で「番犬」という言葉も死語になりつつあります。

 

かつて、我が家も犬は外で飼っていて、時折、素っ頓狂な姿を晒すのですが、番犬としての役割を果たしていました。滅多に家の中に入れることはなかったけど、やはり大雨とか台風とか大雪とか、そういう時は避難を兼ねて家に入れてました。でも玄関までね。まぁ、犬に限らず、その頃の動物は外でも生きられるように設計(?)されていたんですよね。今は品種改良か、人間のエゴかは知らんけど、人間の生活を共有するようになりました。良いのか悪いのかは別として。

 

物騒な世の中、番犬の存在意義を考えるべきなのかもしれませんが、犯罪が凶悪化している昨今、犬の力だけでは抑えきれないというのもあるかもしれませんね。

たまに動画サイトで、人間と同じ生活空間でのんびり過ごしている動物の映像を観ることがあります。それを観る限りでは「やっぱり外飼いよりも中飼いの方が良いのかな」って思うこともあります。

 

デビュー当初の新快速は113系を使用していたというのは皆さんもご存じの事案かと思います。弊愚ブログでも何度か113系の新快速はお届けしているのでここでは割愛しますが、いずれ「アーカイブス」で取り上げたいとは思っています。

 

新快速運転に際して、大阪鉄道管理局は万博輸送の臨電「万博号」で使った113系をそのまま投入したいと考えていましたが、それに難色を示したのが国鉄本社。 “タラレバ” の話になりますが、もし「新快速を運転しよう」という機運にならなかったら、スカ色の113系はどうするつもりだったんですかねぇ~? 東京に戻すつもりだったんでしょうか?

 

侃々諤々あったけど、結果的に本社から承認を得て、新快速の運転と113系を使用することが決まったわけですが、大鉄局の思惑通りにならなかったというのも運転開始当初の新快速を語る上で外せない史実になります。まぁ、鉄道に限らず、どのジャンルでも名声を手にしたものや人、何でも良いんだけど、必ずしも最初から順風だったわけではないです。ものだったら改良を重ねて、人だったら努力を積み重ねて栄光を摑むわけですが、新快速もスタート当初は酷評で、それでも利用客を増やすために様々な改善を積み重ねました。それが今じゃ、山陽新幹線と並び称される、JR西日本のドル箱にまで成長しました。

 

さて、東京でも大阪でも見ることが出来た113系ですが、スカ色になると話は別で、大阪圏では浸透しなかったですね。

「横須賀線の色」として定着したスカ色は、「湘南の海の色と白砂」をイメージしているというのは有名な話。湘南色を「かぼちゃ」と形容されるくらいなら、まだスカ色の方が清らかな気がするんですけど、「須磨の海の色と白砂」とイメージ出来なかったか? さらに101系関西線色の言葉を借りれば、高槻から京都、京都から先は大阪中心部と違って緑が濃くなるエリアになるから、湘南色だと山々の緑に同化しないか? そういう意味で視認性にもスカ色はうってつけだと思うんですけどね。

 

昭和47年、153系に置き換わって新快速運用から撤退した113系。ある車は湘南色に塗り替えられて京阪神快速に身を投じ、ある車は153系新快速と同じ色に塗り替えられて阪和線に転じ、ある車は関西本線電化用に駆り出されたりと、その後の車生は様々。どっちにしても関西のスカ色は昭和47年を最後に見られなくなりました。

 

 

【画像提供】

ル様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.1026(電気車研究会社 刊)

7月29日(月曜日) 晴れ

 

熱波地獄。

栃木県佐野市では41℃ですって?

東京もキツかったですねぇ~。

 

さて、今回は予定を変更して再び、いや、三度か、訃報をお伝えすることになります。

前々回は増山江威子氏、前回は小原乃梨子氏・・と、昭和を代表する声優さんが次々に冥界に旅立たれたという悲しいお報せをしてきましたが、「負の連鎖」ならぬ、「訃報の連鎖」は続くようで、今度は山本圭子氏が4月にお亡くなりになっていたことが公表されました。享年83。

 

山本圭子氏といえば、「サザエさん」の花沢花子が有名ですが、その他にも「天才バカボン」のバカボン、「ゲゲゲの鬼太郎」の砂かけ婆役、さらには「赤胴鈴之助」の鈴之助が知られた存在。そして我々の世代にはもう一つ、「がんばれ!ロボコン」のロボコンです。声から、男の子役が多かったようで、花沢さんを見ると、カツオ君にはかおりちゃんよりも花沢さんの方がお似合いだと思ったことがありました。これをのび太に置き換えると、「しずかちゃんよりもジャイ子の方が合っているよ」と言っているようなもの。でも、花沢さんは世話女房になるよなって思いましたしね。

令和の「サザエさん」で誰が花沢花子を演じているのかは存じ上げませんが、あの独特の声は誰にもマネ出来ないというのは確かなようです。

 

「ロボコン」はねぇ、ロボコンもそうだけど、私的にはやはりロビンちゃんですかね。

その役を島田歌穂氏が演じていたというのを知ったのはもう少し大人になってから。

「がんばれ!ロボコン」は初期、中期、後期とあって、登場するロボットがちょっと異なるんですが(後期は完璧に一新された)、あの頃発売された超合金で「がんばれ!ロボコン」に出てくるキャラ全部持っている人は凄いと思います(絶対にいるよね)。

 

「天才バカボン」でバカボンを演じたのは山本氏ですが、バカボンのママを演じたのは先日お亡くなりになられた増山江威子氏、ハジメちゃんは貴家堂子氏でした。貴家氏は「サザエさん」のフグ田タラオが何よりも有名ですが、これで皆、鬼籍に入ってしまったのはただただ「残念」というしかありません。

 

 

慎んで山本圭子氏のご冥福をお祈り致します・・・

7月28日(日曜日) 晴れ

 

夏本番ですが、日が落ちるのが少しだけ早くなりましたね。夏至とか7月の上旬とかは7時過ぎてもまだ明るかったのにね。

 

今日は当初、休みでした。それでも少し早めに朝食を済ませ、鉄博にでも行こうかなと軽く準備をしていたその時です。スマートフォンがけたたましく鳴り響きました。この時間帯(朝の7時過ぎ)の電話はかなりやな予感が・・。ビンゴでした。

今日出勤予定のメンバーが、出勤はしたものの、フラフラになりながらの出勤だったそうで、熱を測ったら38度で、これでは仕事をさせられないから帰すので、(仕事に)出て来い・・という内容でした。

代わりの出勤・・・断ってもよかったんですが、この時間帯、消去法でいっても、他のメンバーはどうせ「用事がある」と断るでしょう。私も用事がないわけじゃない。でも、このまま我を通して休んだら、きっと明日は地獄になるだろう。それと休んだこともネチネチ言われるだろう。そう考えた私は出勤することに。

幸いにも、日曜日の割りには仕事の量はそれほどではなく、明日の自分のために少々仕込むことも出来たし、残業はせずに退社出来ました。

 

突発の原因はおそらく熱中症だと思うんですけど、金曜日も熱中症の症状が出たから休むメンバーがいました。金、日と2日連チャンで私はとばっちりを受けることに。オレに何の恨みがあるんだよ・・・・。

時節柄、熱中症にかかりやすいのは重々解るつもりだけど、仕事に対する意識というのか、どう考えても欠如しているようにしか思えないんですよね。ただ怖いのは、コロナの可能性も消えてはいないんですね。検査キットでは陰性反応だったらしいですが、それだって100%正しいとは言えません。最近、コロナ感染者が増加傾向にあるらしいいから、そういうのも視野に入れとかないとね。

 

「ふざけんなよ」的な日曜日でしたが、大相撲名古屋場所は優勝決定戦の末、横綱が何とか優勝したのは一筋の光明でした。

 

7月27日(土曜日) 晴れ時々曇り

 

夏本番ですが、秋田県や山形県では大雨で大変なことになっている地域があるようで、不幸にも犠牲に遭われた方に対しては心より哀悼の意を表するとともに、家屋が浸水したりの被害に遭われた方は1日も早い復興をご祈念申し上げます。梅雨末期の大雨は時に災害をもたらすレベルの雨量に達することがありますが、「被害に遭わないよう」って言ってたって、いざとなったら何すれば? とパニクるのが人間です。そうは言っても先ずは命ですよね。

 

今日は一段とクーラーが効きませんでした。

冷房にしたり、除湿にしたり、温度を下げたり、窓を閉めたり・・とありとあらゆる事をやりましたが、効果無し。

来年はフィルター掃除しよう。買ってから一度もフィルタ掃除をしてません(それが一番の原因だったりして)。

 

大相撲名古屋場所は14日目。

早い段階で照ノ富士関の優勝が決まるかと思ったのですが、足踏み状態。結局、千秋楽まで持ち越しになりました。

優勝争いは横綱と思わぬ伏兵、隆の勝関が名乗りを上げ、今日の直接対決でも隆の勝関が一気に寄りました。

千秋楽の取り組みはまだ決まっていませんが、横綱と琴櫻関は決まっています(たぶん)。問題は隆の勝関が誰と当たるか。

明日の相手と横綱の勝敗によっては、逆転優勝も有り得るわけで、横綱に優勝してもらいたいけど、「おにぎり君」にも頑張ってもらいたい。

「頑張ってもらいたい」といえば、序盤にそのエールを送っていた貴景勝関と霧島関が残念な結果になってしまいました。

霧島関は出直しの中の出直し、貴景勝関は来場所10勝すれば大関に戻れますが、双方とも場所が始まる前から万全な体制ではなかったのが取り組みを見れば判ろうもの。それでも休んじゃえば、結果的には同じになります。だから出場したんでしょうけど、そんなに甘くはなかったですね。

 

WNを見ていたら、午後から大気の状態が不安定で、7時以降は雨になるという予報が出ていました。確かにおやつの時間帯に江戸川区ではゴロゴロ鳴ってましたしね。

今日は隅田川の花火大会でしょ。大丈夫かな?

 

一度面と向かって言われてみたい。

「怒ったかんな 許さないかんな 橋本環ぁ~ん奈っ!」

多分、私は死ぬでしょう。

 

所有事業者:大分バス(大分)

仕様・用途:観光貸切仕様

登録番号:大分200 か ・700

社番:12897号車

初年度登録:2015年

シャシー製造:日野自動車

搭載機関:日野A09C〈AT-Ⅶ〉型

車体架装:ジェイ・バス小松

車両型式:QTG-RU1ASCA

車名:日野セレガ・ハイデッカ

撮影日:2021年7月25日(日曜日)

撮影場所:江東区若洲

 

 

2015年以来、約10年ぶりになる大分バスです。

興味は1ミリも無いけど昨日、今日辺りからオリンピックがパリだかロンドンだかで始まりましたよね。3年前の東京では日本全国から観光バスを動員して関係者輸送に奔走したのを思い出しましたが、画像もその時のものです。大分交通は見かけなかったけど、大分県からはこの大分バスと亀の井バス、そして西鉄グループの日田バスが参加してました。

 

大分バスは、大分市中心部を縄張りとする大分バス本体と、津久見市や臼杵市を縄張りとする臼津交通(元大分バス臼杵営業所)、山間部の豊後大野市を縄張りとする大野交通(元三重営業所)、そして竹田市を縄張りとする竹田交通(元竹田営業所)で構成していましたが、2010年に大野交通と竹田交通が合併して大野竹田バスとして再出発しています。

 

1960年代に近鉄グループに加入しましたが、2005年に大分バスグループが整理回収機構による私的整理を行うと、ここで近鉄との関係は解消され、新たな資本関係ということで西鉄が手を差し伸べました。経営努力を行った結果、2010年に債務超過を解消し、出資者の一つである大分県は2013年に出資を引き揚げました。ただ、西鉄はあくまで出資しているだけで、西鉄グループには入ってないと思われます。

 

債務超過は解消したと言っても、路線バス事業を取り巻く情勢は厳しいことに変わりはなく、コロナが追い討ちをかけているのが現状のようです。そんな中、高速路線バス事業は堅実な数字を上げており、現在は福岡行きの「とよのくに号」、長崎行きの「サンライト号」、そして関西行きの「SOLIN号」を運行しています。

 

大分バスの外板塗色は1967年から採用されたもので、デザインは若干異なるものの、一般路線/貸切共々、白+濃紺がメインの配色になっています。

車種構成は日野と三菱ふそうがメインですが、組織的には日野が与党かなという気がします。それも2010年現在の状況なので、それから14年が経った今、組織率はどのようになっているのかは不明。

 

 

【参考文献・引用】

バスラマインターナショナルNo.121

年鑑バスラマ2015→2016

(いずれもぽると出版社 刊)

ウィキペディア(大分バスなど)

 

 

ネタが無い時とかに重宝するのが過去のデータを引っ張り出すこと。

今回は今から7年前にうPしたNo.442をお届けします。

電車化が進んでも、東海道本線には昭和の中頃まで機関車牽引の客車列車が乗り入れていました。もっとも、その列車は東海道本線本体の列車ではなくて支線系の列車で、そのまま東海道本線に乗り入れるケースになります。

昭和らしいといえば昭和らしいんですが、天下の東海道本線で客車普通列車が見られるのはなかなかどうして、稀有なシーンだと思います。

ではどうぞ。

 

 

 

弊愚ブログでも諄いほど申し上げていますが、私はリトラクタブルヘッドライト大好き人間。

その発端となったのがランボルギーニ・カウンタックということも事ある度にお伝えしています。

普段はヘッドライトを隠しているんですが、使用時にパカッとご開帳するのが私心に興奮します。

パカッとご開帳して、カウンタックやフェラーリBBのように格好良いものもあれば、誰とは言わないけど、思いっきり間抜け面もあります。

 

日本車でリトラクタブルヘッドライトを採用したのはトヨタ2000GTが最初ですが、画像左端のマツダ・サバンナRX-7は明らかに「スーパーカーブーム」に便乗してのもの。何気にヒットはしたけど、「操縦性に難あり」と泣いた奴(可哀想だから名前は伏せます)もいました。

今は保安上の理由でリトラクタブルヘッドライトは法律上、装備が出来ないことになっていますが、そういう規制が無い頃は一種のムーヴメントになりました。

 

順不同ですが、トヨタだとカローラⅡ/ターセル/コルサ姉妹、セリカ、MRⅡ、スプリンター・トレノ、スープラ、日産だと180SX、サニーEXA、マツダだと画像にも映っているサバンナRX-8、コスモ、ホンダだとプレリュード、三菱だとGTO・・といった具合に、リトラクタブルヘッドライトを装着していればヒット間違いなしとさえ言われていました。

 

私はポルシェ944ターボでその夢は結実しましたが、たった2ヶ月で手放してしまったため、リトラの魅力を思う存分堪能出来ませんでした。もうちょっと堪え忍べば、スーパーカーの、ポルシェの、リトラクタブルヘッドライトの魔力にドップリとハマっていたかもしれませんね。