8月19日(水曜日) 晴れ

 

♫ いつの間にか風は秋の色 

  暑かった夏がウソみたい

  ブラスバンドの音どこからか

  妙に切なく響いている・・・

 

この時節、時季になると “お約束” の如く、いつも書き込みたくなるんですが、この件りは我らが石野真子さんが2010年に発表したアルバム「Life is beautiful」に収録されている「幸せになりましょう」の一節。「ブラスバンドの音何処からか・・」というのは甲子園における高校野球の応援でしょう。今日も暑かったけど、風が妙に涼しく感じたのはすぐそこに秋が来ているのだと。でも、空調はまだまだ手放せませんけどね。

 

それはそうと、今日もまた突発欠務が出ました。

いつもの輩ではなくて “第四の男” 。

親が体調不良で・・ということなんだけど、確かに高齢の親が調子悪ければ付き添わなくてはならないのは解ります。んじゃあ、オレは?

昨日、お伝えしましたが、私も家族が月曜から入院して手術して・・です。やりとりは昨日お伝えしたのでここでは割愛しますが、何駄感駄言ってもやっぱり気にはなるもの。でも仕事は休みませんでした。結局、入院することになったようで、「明日も休ませてくれ」と。んじゃあ、オレは? 権利を行使して休んでも良かったんですけど、経緯もあるし、職場も二言目には「人がいない」なので、休みたくても休めないんです。私自身も家族がどうであれ、仕事に穴を空けたくないし、よしんばそうなったとしてあれこれ言われたくないし。

 

というわけで、明日も出勤しますよ。

8月18日(火曜日) 晴れ

 

 

 

立秋は過ぎても、お盆は過ぎてもまだ残暑が厳しいです。ここんところ、ぐずついた天気が続いていたので、「暑い」とは言いつつも、やはり夏空は良いものです。入道雲は季語に成り得ましたっけ?

 

さて、私の家族が何ヶ月か前から体調不良だったらしく(私を含めた家族に話そうとしない)、聞けば腎臓に腫瘍が出来て、入院手術をするのだとか。ふ~ん・・・。その後も細々と話されましたが、ついていけません。なるようにしかならない。

昨日、入院して、今日が手術とは聞かされていたのですが、

 

「病院まで乗せなくて良いのか?」「要らない」

「手術の日は?」「来なくて良い」

「見舞いは?」「それも来なくて良い」

 

というやり取りだったので、私はそれ以上介入しません。まぁ、認知症の父親を連れたり、あるいは放置プレイには出来ないので、家族には家族なりの気遣いがあるのだと思います。

ただ、「手術中に何かあった場合、病院から連絡が来るから、電話だけは出れる体制にしておいて」とだけ。今日は休みだったので、家にはいようと思いました。

 

昼頃、私の携帯電話が鳴り響きました。知らない電話番号です。「もしかして・・?」と電話に出るものの、応答がありません。病院からだったら普通の電話番号だろうし、こっちが「もしもし」と言えば向こうも「もしもし」と返してくれるでしょうから、即座に迷惑電話と判断し、切りました。それが2回ありました。4時過ぎだったか、また電話が鳴り響き、それは普通の電話番号だったので、「もしもし」と出たら、病院からでした。「手術は無事に終わった」との報告でした。母息共々、安堵しています。

 

今回の手術はすぐにどうこうというような手術ではないし、それで死んだ例も無いということなのですが、どっかに腫瘍が転移してたらどうするのさ? そっちが心配だし、気にもなります。まぁ、いいか。話されても解らないし。

家族ってこういうものです。

 

去年は私の白内障の手術がありましたし、ここんところ、我が家は手術が続きます。でも、白内障と腎臓の腫瘍摘出手術とではラベルが違います。白内障なんてカスですよね。

 

以前、このコーナーで「JR西日本の221系に2両固定があったよね」という話をしたことがあります。

221系の登場時、基本的には8両固定、6両固定、4両固定、そして2両固定で構成されてたのは確認できたのですが、いつの間にか2両固定は見かけなくなりました。その記事でもコメントしてくださった方がいましたが、調べてみたら2011年3月までに2両固定は全て4両固定にあらためられた草。

 

 

画像は2002年に撮ったものだそうですが、2両固定は奈良電車区(→吹田総合車両所奈良支所)に集中配置されていたみたいです。

 

クモハ220-クハ220

   1     1

   2     2

   3     3

   4     4

   5     5

   6     6

   7     7

   8     8

   9     9

  10    10

  11    11

  12    12

 

1992年当時の奈良電車区における2両固定の編成表で、12本24両という布陣でした。

奈良ということは、大和路線とか奈良線とかで運用されていたんでしょうね。

意外なのがクモハ221とクモハ220という組み合わせではなく、クモハ220とクハ220の組み合わせだということ。クモハ221がMM’ユニット対応の制御電動車で、クモハ220が1M方式対応の制御電動車なんですって。ややこし・・・。

この当時の奈良電車区には6両固定が3本しかなく、大和路快速で運用する時は6両の穴を埋めるべく、4両+2両での運用に就いたと想像できます。

 

結果的に2両固定は消えてしまいましたが、令和の今になって思うこと、世が世であれば、2両固定って重宝されたような気がするんですよね。105系無き後の桜井線や和歌山線、紀勢本線の和歌山-和歌山市間、福知山線篠山口以北、小浜線、加古川線、播但線等々、221系は耐寒耐雪装備も施されていると聞きましたので、JR西日本の電化路線なら何処でも使えるスグレモノ。まぁ、103系もどきが主力だった桜井線や和歌山線、播但線、加古川線ではロングシートとクロスシートの差で乗客定員に差が出てしまいますが、令和の今だったらそれでお釣りがくるかも。もしかしたら、今度は4両→2両への再々編も有り得るかもしれませんね。

 

 

【画像提供】

ク様

【参考文献・引用】

ウィキペディア(JR西日本221系電車)

 

  

8月17日(月曜日) 曇り

 

お盆休みも終わり、今日から会社という方も多いかと思います。ただまぁ、千葉と熊本の方々はお盆どころじゃなかったですよね。

私は今年も長期の「お盆休み」が無いので、平常通りの動きになります。ただ、電車は気持~ち空いてたかなという気がしました。

仕事そのものもお盆の恩恵を受けて少なく、残業せずに退社しました。こーゆー時でないと “自分の時間” は持てませんね。

明日は有休なので、仕事が終わった後は呑み食いしに行きましたけど、家族連れでうるせぇのがいたので、そそくさと呑んで食って退散しました。結果論だけど、最初から帰りがけに仕込んで家呑みすれば良かったかなと思ったりします。

 

所有事業者:関東バス(東京)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:練馬200 か 3584

社番:D023号車

配置:丸山営業所

初年度登録:2007年

シャシー製造:日野自動車

搭載機関:日野J05E〈J5-V〉型

車体架装:ジェイ・バス小松

車両型式:BDG-HX6JLAE

車名:日野ポンチョ・ロング

撮影日:2026年8月9日(日曜日)

撮影場所:高田馬場駅

 

 

日頃から申してますように、私が日野のポンチョを取り上げる時は基本的にはそのバス会社のオリジナルカラーを纏った個体であることが条件としています。つまり、よほどの理由が無い限り、いわゆる「ラッピングバス」は取り上げることはありません。復刻カラーは車によりますが、「じゃあ、コミュニティバスはどうするんだよ」って声が聞こえそうです。そういえば、このコーナーでコミュニティバスは取り上げたという記憶はありませんねぇ~。

 

さて、高田馬場駅で見かけた関東バスオリジナルカラーのポンチョ。昔、この路線(高田馬場-東中野間)に関東バスの高速路線カラーを纏った日デの “チョロQ” を撮ったことがあり、そして今回のポンチョ。妙に珍しさを感じて撮ったんですが、元々、023号車は武蔵野市のコミュニティバス「ムーバス」専用車だった草。2019年頃に新車に置き換えられてコミュニティ仕様から一般路線仕様に変更になって、塗装も変わった経緯があり、それを機に五日市営業所へ転属、程なくして丸山営業所に転配されて現在に至ります。

 

2000年代前半のジェイ・バスはブルーリボンシティだ、ポンチョだ、セレガだのと、革新的なボディデザインでシェアを拡大させ、ライバルである三菱ふそうを凌駕したこともありました。でも、時が経ってブルーリボンはいすゞのエルガに吸収され、セレガ(ガーラ)もデザイン的に飽きが来て、昨今、フルモデルチェンジを実施したけど、私に言わせれば旧来のデザインをリファインしただけ。インパクトはゼロに等しいです。そしてポンチョも「いい加減、モデルチェンジしなよ」と言いたくなるほど、可愛いスタイルは不変なんだけど、これも次第に飽きてきています。日野が不祥事を起こさず、愚直に堅実にものづくりをしていれば、シェアはさらに拡大されたでしょうし、フルモデルチェンジの際もさらに攻撃的なデザインになっていたはず。重ね重ね、残念でなりません。それはふそうにも言えることです。

 

世はEV全盛期ですが、私の股間を刺激させるバスよ出てこいやっ!(嫌いだけど髙田延彦風に)。

 

 

【参考文献・引用】

関東バスアーカイブス「味わい」

ウィキペディア(日野ポンチョ)

 

機  番:123号機

新  製:昭和32年4月19日

製  造:日立製作所

製造番号:日立No.191721-3

新製配置:沼津機関区

最終配置:宇都宮運転所

廃  車:昭和58年3月11日

            (工事通達第2001号による)

 

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS15

前照灯:原型(ハチマキ状ケース無し)

尾灯:原型内バメ式

正面窓:小窓+Hゴム支持

Hゴム色:黒色

正面ヒサシ:小型

デフロスタ:あり

正面飾り帯継ぎ目:タイプ|

列車電話:無し

電源車制御装置:あり

元空気ダメ引き通し管:無し

スノープラウ:無し

ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ

汽笛カバー:無し

常磐線用列車無線:無し

側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ

側面エアフィルター:原型縦縞タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:EG

 

 

【改造履歴(抜粋)】

昭和35年 3月11日~:臨時検修(施工は浜松工場で同年3月16日に出場)

              車警(A)の取り付け。

昭和35年 6月21日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年6月30日に出場)

              特急用青塗装に塗り替え。

              電源車制御装置の取り付け。

昭和37年 1月25日~:臨時検修(施工は浜松工場で同年1月31日に出場)

              側面ハシゴの改造。

昭和37年12月18日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年12月25日に出場)

              前面に手すりと足台を取り付け。

昭和51年 8月20日~:臨時検修(施工は大宮工場で同年10月12日に出場)

              暖房装置を電気式に改造。

昭和55年10月15日~:全般検査(施工は大宮工場で同年10月31日に出場)

              前面窓をHゴム支持に改造。

              

 

【転配履歴】

昭和33年 3月26日:東京機関区

昭和44年 5月28日:新小岩機関区に貸し出し

昭和45年11月21日:東京機関区に返還

昭和45年12月29日:宇都宮運転所に貸し出し

昭和46年 1月10日:東京機関区に返還

昭和48年12月29日:宇都宮運転所に貸し出し

昭和49年 1月 8日:東京機関区に返還

昭和51年10月13日:宇都宮運転所

 

 

122号機同様、山陽本線姫路電化と東北本線宇都宮電化用の早期落成車として日立で製造された123号機はその生涯の殆どを122号機と共に行動していました。ただ、122号機がJRに引き継がれて平成まで活躍したのに対し、123号機はJRに引き継がれることはありませんでした。

東京機関区時代に20系客車牽引機に抜擢され、電源車制御装置の取り付けと専用塗色(ブルートレイン色)に塗り替えられていますが、参考にした媒体では電源車制御装置の取り付けは「無し」としています。それが正しければ20系牽引から下りた際に外されたのかなと思ったりします。

 

 

 

東北本線か東海道本線か、詳細ははっきりと判りませんが、牽引してるのは東京南局のスロ81系和式客車(大鉄局のスロ81説もあり)。

前面窓がHゴム化されていないので、昭和55年10月以前に撮られたものだとは思うのですが、南局のスロ81も昭和55年に登場しているので、南局だとしたら6~9月の間かなという推察が出来ます。

 

 

日暮里駅ですかねぇ~?

スニ41+12系というフォーメーションは急行「八甲田」。

こちらはHゴム化された後なので昭和55年以降ということになりますが、「廃車時の形態」ではデフロスタは「無し」とされています。でも、デフロスタは付いてますね。

(以上2枚はタ様提供)

 

 

 

東北本線で荷物列車を牽引する123号機。

ヒガハスですかねぇ~?

風景から朝に撮影したのではと思ったりします。

(は様提供)

8月15日(土曜日) 曇り

 

昨日も申しましたように、今日は終戦の日。

私も言われてみればそうなのかもしれませんが、日本人は “その時だけ” 悲しみに暮れて、もう二度とこんなことがないようにって祈りますよね。例えば1.17、例えば3.11、例えば9.1、例えば東京大空襲があった日(3月10日)、例えば沖縄での戦いおが終わった日(6月23日)、例えば広島と長崎に原爆が落とされた日(8月6日と9日)、そして8月15日。戦争は1945年以降ありませんが、災害で言えば前述の1.17、3.11、9.1の他にもっと増えます。そうすると日本は1年中鎮魂していなければなりません。そういう意味で言えば、 “その時だけ” というのもありなのかもしれませんが、自然災害とかは忘れた頃に突然として襲ってきますので、これはいくら科学が進歩して「明日の何時何分に地震が来ますよ」的な予想が出来たとしても、それでも発生した時は人間は無力になります。だから無慈悲かもしれませんが、 “その時だけ” 、犠牲に遭った人達の冥福を祈るようにしています。

 

そして、この終戦の日とお盆の終末は被りますが、子供の頃から「あぁ、夏が終わる・・・」という一抹の寂しさを感じていましたし、今もその気持ちは不変です。何駄感駄言っても夏が大好きな私は、夏の終わりを誰よりも哀しく感じてしまったりします。上には上がいるかもしれませんけどね。日没の時間も早まってるし。

 

お盆休みが終わると、また人々は会社に向かって仕事をします。ご苦労様です。

東北・上越新幹線開業前の上野駅は特急・急行から通勤電車まで殆ど秒単位で列車が行き来し、ホームに列車が無い時間が無いくらい、活気に満ち溢れていました。昭和57年に新幹線が開通して東北方面の列車に大鉈が振られましたが、大宮発着の暫定開業だったこともあって、中距離を中心に首の皮一枚、列車は残りました。しかし昭和60年3月に新幹線が上野まで乗り入れると今度は有無を言わさず在来線の優等列車は廃止の憂き目に遭い、残ったのは上州方面と常磐線の特急、そして夜行列車。急行についてはこの改正で殆どが廃止されて特急へ吸収されていきます。

 

東北・上信越方面に限らず、急行列車の経路はなかなかどうして意味不明なものばかりで、経由地へダイレクトに向かわず、彼方此方クネクネしながら目的地へ行く列車が多かったのは確かです。今回はそんな列車を取り上げます。

 

 

普通、上野から水戸へ行くには、常磐線の特急「ひたち」、あるいは急行「ときわ」に乗るのが一般的ですが、もう一つ、上野と水戸を結ぶ急行列車がありました。それが「つくばね」です。1日1往復。夕方と朝しか上野駅に顔を出さないレアな列車。通勤急行の役割を担っていたのかと思ったらさにあらず、で、「つくばね」は水戸線を経由して水戸へ向かっていました。水戸というよりも、実際の起終点はその先の勝田ですけどね。

 

「つくばね」は昭和37年10月に気動車準急でデビューしたのですが、最初から水戸線経由でした。そしてその当時は水戸行きの編成と真岡線(現、真岡鐵道)の真岡や茂木に向かう編成があり、おそらく下館で分割・併合を行っていたと思われます。

昭和41年に急行に格上げ、昭和43年10月の改正で電車化されるのですが、水戸線はその前年に電化されているので、それを受けてのものになります。

 

 

表は昭和54年12月現在の「つくばね」の時刻表になります。

急行とはいっても、水戸線内は普通列車となります。

主要駅である小山駅が通過扱いになっていますが、「停まらない」のではなくて、「停まれない」んです。小山から水戸線に入る「つくばね」は短絡線を介して東北本線から水戸線に入るため、小山駅には立ち寄れないのです。停車して進行方向を変えるという手法は採らなかったみたいですね。そこでその見返りじゃないけど、「つくばね」に乗る乗客が小山駅以北へ向かえるように、間々田駅に停車して乗り換えさせる方策を採っていました。

 

「つくばね」にはグリーン車が連結されていましたが、水戸線内はどういう措置だったんだろう?

グリーン車は開放されていたのか、あくまでも「グリーン車」としての扱いだったかは不明です。

 

東北・上越新幹線が上野まで乗り入れるようになった昭和60年3月に廃止されましたが、画像はその前日、さよなら運転を行った際の1枚になろうかと思いますが、水戸線内も急行として運転しなかったからか、全然目立たない列車でもありました。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1980年12月号 (日本交通公社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第3号「関東」 (新潮社 刊)

ウィキペディア(つくばね、水戸線)

8月14日(金曜日) 晴れ時々曇り

 

昨夜の千葉の大雨は想定を遙かに超越していましたね。

知り合いにも何人か千葉在住がいますが、長生村在住の真子友「大丈夫」、松戸市金杉在住の後輩も「大丈夫」、でも、同じ松戸在住の上司は「庭が水没した」と言ってました。そして不幸にも亡くなられた方もいるんですよね。ご冥福をお祈りいたします。

彼方此方で道路が冠水した映像を観ましたが、結果論だけどアンダーパスはよろしくないですね。オーバーガードだとそれなりに土地が必要だしね。

 

明日は終戦祈念日。

正式には「終戦記念日」なんでしょうけど、前々から「記念」を用いるのはどうよ? って思っているクチ。恒久平和を願う日なんだから、「終戦祈念日」にすべきでしょう。そして、8月12日を「山の日」と定めているのもムカつく。確かにこの時期はお盆休みで、どうやっても8月15日は皆、休むんでしょうけど、8月15日こそ全国民が恒久平和を祈るべきだと考えていますので、解っていても8月15日を「平和の日」とするべきと思っています。

 

そしてこの時期になると、閣僚を始めとする政治家が靖国神社を参拝する光景をテレビとかで散見します。表向きはそうなんでしょうけど、どう考えても「○○行為」にしか見えないんですよね。

でもね、敢えて言いますけど、靖国神社に参拝する時間があったら、その時間を熊本と千葉に費やしてくれ

 

それでも靖国に行こうものなら、その政治家はきっと誰もが嫌いになると思います。

8月13日(木曜日) 曇り時々雨

 

 

厳しい残暑は何処へやら。

台風15号の余波じゃないのに、ここ数日、ふざけた雨が降ります。

 

今日はお盆とあって、仕事量が少なくて午前中で全て終了したのは良いんですが、大気の状態が良くないということで、降らなくても雨合羽を着た状態で仕事をしました。お陰で全身ムレムレですよ。

午後は職場内での作業になったんですが、おやつ時くらいかな、すんごい雨が降りました。皆も雨具は持って行ったと思うけど、中にはビショビショで帰ってくるのも。

 

そのツケが私にも回ってきました。

残業はしませんでしたが、西葛西に着いたらすんごい雨でした。

少し待ちましたが、止む気配がないので、意を決して帰ることに。したら都バスが大変なことになっていました。

聞けば新小岩周辺で大渋滞で、ダイヤが大幅に乱れてるとか。新小岩駅のJR総武線を潜るアンダーガードが冠水したのかな?

バスは通らずとも、冠水して通行止めになろうものなら、それだけでも付近の幹線道路は大渋滞になりますしね。

 

何とか帰宅しましたが、千葉県の東、市川市や松戸市、千葉市、佐倉市、八千代市などはレベル5の大雨特別警報が発令されたとのこと。

この周辺の方々は先ず、自身と家族の命を守るようにして欲しいと思います。間違っても「近所の川、大丈夫かな?」と見に行かないで下さい。