7月10日(水曜日) 晴れ時々曇り

 

今更なんですけど、東京って梅雨だったんですね。

いつ梅雨入りするんだろう? ってずっと思っていたけど、まさか梅雨入りしていたとは・・・。

 

さて、東京都知事選の投票から数日が経ちましたが、結果論ではあるけど、嫌だけど、小池氏(が再選)で良かったのかな・・とはちょっとだけ思います。

開票速報を見て、蓮舫氏は共産党と手を組まなければ当選には至らずも、2位だったと思います。「まさかね」というのが正直な感想。

 

敢えて名は伏せますけど、東京都と東京都民をナメくさったのがいるでしょう。あいつにだけは当選させたくなかったですね。

地方都市の市長をやってたそうですけど、市政を途中で放り出して、「都政を牛耳る」とばかりに立候補して、落選したと思ったら、リップサービスなのかもしれないけど、「今度は国政で、岸田首相のお膝元で立候補する」みたいな発言をしているそうじゃないですか。

 

市長を何年やったか、市長在籍中に何か結果を残したかというのは知らんけど、任期途中で放り出すというのは、そもそもこいつには政(まつりごと)なんてどうでもいいことなんだなって思いました。誰が見ても「Publicity Stunt」でしょう。

 

普通に考えれば、「区市町村政(区市町村の長)→県政(県知事)→国政」っていうのがセオリーだと思うんですけど、道府県を飛び越えていきなり都政というのは、あまりにも考え方が軽んじ過ぎないかって思うんですね。甲子園に出たことが無い高校野球経験者がNPBを経験せずにMLBに挑戦するようなものですよ。だから、「ナメてんの?」なんですよ。

市政がダメなら都政、都政がダメなら国政なんて論理は通用しないし、有権者も騙されてはいけないと思います。

 

頭が良かろうが悪かろうか、社会的な、政治的な筋道を立てないで自己中的な行動に突っ走る奴はいつか鉄槌が下されるよ。

SNS全盛でも、政は先ず、 “民の声” を生で聞くことです。それが出来ない奴は政治家(政治屋)は務まりません。

 

昨今、JR東海の211系が三岐鉄道に売っ払われたというニュースを耳にしましたが、JRの車両を私鉄に譲渡するというのは過去例もあるだけにそんなに驚きはしなかったんですけど、大手私鉄の中古車両を大手私鉄に・・という例同様、今後は加速するのでは? と思います。ただ、車両限界とか建築限界とか線路幅とか、そういった絡みがあるので、上手く適合するかどうかは別問題。ただ単に「下さい」「どうぞ」というわけにはいきません。三岐鉄道は西武の中古車両を走らせていたので、車両の規格等々はクリア出来る、だから211系も大丈夫だろうという判断だったんでしょうね。

 

さて、JR東海の211系といえば、国鉄末期に関東地区以外で初めて211系を投入したのは中京地区でした。当初は腹巻きの色が関東地区とは異なって一瞬、「415系(1500番代)?」と思わせるほど。4両編成2本が当時の神領電車区に投入されてその後も増備は続くんですが、増備分はJR仕様になりました。

今回のアーカイブスはそんなJR東海211系の登場時の模様をお届けします。今から12年前の記事です。

では、どうぞ。

 

 

7月9日(火曜日) 曇り

 

今日は幾分、過ごしやすかったかなって気がします。でも、午前配達時に所持した飲み物があっという間に無くなるというのは、水分無くしては堪えられない状況にあったということ。午後も同じでしたが、久々に残業無しで上がれたのは「せめてもの・・・」という範疇だったのかもしれません。

 

さて昨日の話ですが、またしても “昭和のレジェンド” が冥界に旅立たれてしまいました。

フルーアナウンサーの押坂忍氏、享年89。

我々の世代ではTBSテレビの「ベルトクイズQ&Q」と日本テレビの「特ダネ登場」の司会が真っ先に思いつきますが、押坂氏がいなければ、今のアナウンサー界はどうなっていたか・・・。それだけ “レジェンド” 的な人でした。

 

押坂忍氏は1958年に当時の日本教育テレビのアナウンサー第一期生として入社します。日本教育テレビとは、後にNETテレビ(Nippon Education Television)となって、今はテレビ朝日と社名が変わっています。1964年の東京オリンピックで女子バレーボールの実況を担当。平成・令和生まれの方には想像しづらいですけど、当時の女子バレーボール日本代表は「東洋の魔女」と言われ、今とは比較にならないスーパースターでした。

後にNETテレビを退社し、フリーアナウンサーとして各方面で活躍しますが、今となっては当たり前の「局アナ→退社→フリーアナウンサー」の基礎を築いたのは押坂氏でした。

 

で、「ベルトクイズQ&Q」ですよ。

「特ダネ登場!」は子供には理解不能な部分が多々あるので、「ベルトクイズQ&Q」でお話ししたいのですが・・・覚えてないんですよ。しかも、月金の12:00~ですから、学校が休みの時とか、病気等々で学校を休んだ時しか観られませんでした。だから番組の内容等々は覚えていません。ただ、春休み、夏休み、冬休みの時期になると、「子供大会」を開催してくれました。「ピンポンパン」同様に出たかった番組の一つです。

 

最近だとやはり、NHKの朝ドラ「ひよっこ」ですよね。

みね子(有村架純)の元の職場の同僚である豊子(藤野涼子)がクイズ番組に出場し、見事に勝ち抜いてチャンピオンになるというシーンがありますが、そのクイズ番組の司会役で出演していたのが押坂忍氏でした。私も思わず、「あっ!! 押坂忍だっ!」って叫んだくらいですから。

 

晩年・・というか、現役バリバリだった頃から実は病魔に冒されていたというのは死後になって初めて知ることでした。

夫人である栗原アヤ子氏も病気だったということで、我々の知らないところで絶えず闘っていたんですね。

 

 

慎んで押坂忍氏のご冥福をお祈りいたします・・・

 

 

ここは京浜急行バス羽田営業所の “第二車庫” 、いや、 “第三車庫” になりますか。主に予備車や廃車前提の保留車を留めとくスペースになりますが、昔は雨ざらしだったのが今はホテル(京急EX羽田イノベーション)の下に覆われる形でバスが眠っています。

これは一昨日撮ったものですが、いつもはここにいないはずのトヨタSORA(H9901号車)がいたので、思わず撮った次第です。その時は気づかなかったんですが、帰宅後、驚愕の事実を知ることになります。

 

 

後方に注目。

どうしたの?

養生シート+ガムテで応急補修されていますが、何かあったのは明らか。

だから営業所の本所から隔離されたんですね。

事故? まぁ、真っ先にそうではないかと考えますが、事故で無ければあんな補修はしませんよね。

でも、「京急バス事故」で検索してもSORAが関わるような事故には辿り着けません。

 

どなたか、この顛末を知る方のコメントをお待ちしております。

 

所有事業者:西武バス(埼玉)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:練馬200 か 1741

社番:A7-217号車

配置:上石神井営業所

初年度登録:2007年

シャシー製造:いすゞ自動車

搭載機関:いすゞ6HK1-TCS型

車体架装:ジェイ・バス宇都宮

車両型式:PJ-LV234L1

車名:いすゞエルガノンステップ

撮影日:2009年6月24日(水曜日~※)

撮影場所:田無駅

※・・たぶん

 

15年前に「崩れた伝統」ということで取り上げた西武バスのエルガノンステップ。画像はその再掲になります。

一時期、 “日産ディーゼル王国” だった西武バスですが、日産ディーゼルのバス事業撤退とともに、他メーカーのバスが増えつつありました。エルガを撮影したのもそんな思いがあったのだと思います。でも、広い視野で見れば、 “日産ディーゼル王国” って言うけど、所沢エリアではいすゞが多かったり、1970年代に遡るとふそうオンリーだったりと、昔日から “日産ディーゼル王国” ではなかったようです。

 

画像の車は2007年式でありながら、平成16年度排ガス規制適合車モデルになります。この年の2月に平成17年度適合車(PKG-)がデリバリーされているので、PJ-代としては最末期モデルになります。都市型で後部ドア4枚折戸を採用したりしましたが、画像の車は1枚引き戸車になります。

 

西武バス時代はそれほど著名にはなりませんでしたが、一瞬、スターになりました。

2019年頃に除籍されて他社に働き場所を求めるのですが、受け入れ先が西鉄バスだったこと。

グループ会社の西鉄バス久留米に転籍して、「2130」という社番を得て現在も稼働しています。

2130号車が配置される(とされる)杷木営業所は元々、西鉄バスの管轄でしたが、1988年に分社して両筑交通となり、2001年に事業再編で西鉄バス両筑となりますが、この辺の変遷が複雑且つ多様化しているのでここでは割愛します。現在は日田バスの営業所となっていますが、2130号車が日田バスに転籍したという記録も記述も無いので、今も西鉄バス久留米にいるんでしょう。

 

西鉄バスはよほどのイレギュラーでない限り、基本的には新車を誂えるのがお約束で、他事業者の中古を譲渡することはあり得ないとのこと。昨今、大手私鉄の中古車両を大手私鉄に・・っていう事案が話題になりましたが、「西武→西鉄」という大手同士の車両授受は鉄道よりも先にバスで実現していたんですね。「西鉄→西武」というのは “ライオンズ繋がり” でもあるし、鉄道もバスも双方で中古車両の譲り合いというのは今後はノーマルになるのかもしれませんね。

 

 

【参考文献・引用】

バスラマインターナショナルNo.148

BUSRAMA EXPRESS 13「いすゞ新型エルガ誕生!」

(いずれもぽると出版社 刊)

西武バスA7-217号車、西鉄バス久留米2130号車を扱った各サイト

ウィキペディア(西鉄バス、西鉄バス久留米)

 

 

7月7日(日曜日) 晴れ

 

七夕です。

皆さんは何をお願いしましたか?

 

 

予てよりお伝えしているように、今日は東京都知事選挙の投票日。

当初は棄権しようかと思ったのですが、選挙における投票は我々国民の義務。それと投票とかけ離れますが、投票入場券は郵送です。私も経験しているように、入場券配達は「キツい」の一言。東京都内の郵便配達員が苦労して配達した入場券を何もせずにそのままシュレッダーにかけるのは配達員に失礼と思いました。

で、何時ぞやお話ししたように、今回は悩みました。棄権はしなかったけど、「不信任」とばかりに白紙投票という選択肢もありました。で、バラしますけど、散々悩んだ挙げ句、ほんの数ミリの “期待” という意味で、蓮舫氏に一票を投じました。名前を書きながら、「蓮舫だったら白鵬の方が良いのに・・」とツイートしました。まぁ、「腐っても○○」じゃないけど、小池氏には自公と連合東京という後ろ盾がいるので、小池氏の当選は確実かなと思います。

今回の都知事選、これもお伝えしたように、候補者は50人以上いたということですが、「どいつもこいつも・・」というのばかり。ある識者が「選挙で遊ぶな」と苦言を呈していましたけど、都知事選に限らず、今後の国政選挙、地方選挙は何処の地域でもこうなりますよ。

 

投票は無事に終わって、そのまま出かけました。

珍しく、高速道路が空いてました。時間がずれたせいもあるんでしょうけど、すんなり目的地まで辿り着けました。

その用事が終わって、江戸川に戻り、シマホで買い物をするんですが、その前にアリオで昼食。しかし、それは時間的にドンピシャリで、アリオ内にある飲食店は軒並み行列と順番待ち。その中から「王将」を選んだのですが、呼ばれるまで小一時間かかりました。

「餃子の王将」に行くと必ずいオーダーするのが特製XO醤と白醤油を調味料に使った「極王焼きそば」。美味しいです。

「大阪王将」はあるんだけど、「餃子の王将」は西葛西には無いんだよなぁ~。出店して欲しいです。

 

昼食を済ませて、シマホでの買い物も無事に終わりました。

何を買ったかは後日、報告します。

 

 

ここ最近、エアコンの効きがよろしくありません。

きっとエアフィルターが想像を絶する汚さなんでしょうね。

何せ、買ってから一度もフィルター掃除、してないもん。

エアフィルターを掃除しないと、効きが悪くなるだけでなく、電力消費もハンパなくなるらしいので、一度、いや、季節が終わったら、あるいは季節に入る前にフィルターは綺麗にした方が良いと言われました。

 

今度の土曜日は「もはね会」という、私が冠スポンサーの呑み会があります。

ホントは前任局のOBを集めようと企画したのですが、集まりが殊の外、よろしくなかったので、協力者である先輩に会の延期を具申、その代わりに「もはね会」をやることにしました。2022年11月以来、約1年半ぶりになります。

その予約をLINEでしようとしたのですが(その居酒屋のLINE会員になっているから)、「日時」、「人数」、「席だけ」で予約しようとしたら、「その日は予約出来ません」というメッセージが。「あれっ!?」と思って、電話予約に切り替えたら、すんなり「大丈夫です」という回答。安堵すると共に、何でLINEでは予約不可だったんだろう?

そういえば、随分前に夜行高速路線バス「ドリーム号」の予約をした時もそうでした。ネット予約しようとしたら、「その日のその便は満席」と出て、諦めきれなかったので東京駅のJRバス窓口で再申請したら呆気なく獲れた。今回も同じケースですけど、あの仕組みを知りたい。

 

 

明日も35℃を越す猛暑日が予想されています。

皆さんもこまめな水分補給と適宜な空調利用で暑さに堪えて下さい。

 

DD54が牽引する客車列車が駅に佇んでいます。

山あいの長閑なローカル線的な風情を醸していますけど、ここ、何処だと思いますか?

考える前に答えを出してしまうと、実はここ、福知山線の中山寺駅だそうです。

撮影年は不明ですが、昭和50年代前半であるのは間違いなさそう。一部媒体では、「晩年のDD54は播但線での運用に限られていた」という記述があるんですが、少なくとも昭和52年まで福知山線で客車列車を牽引している記録があることから、播但線に限っていないことが判ります。

 

さて、撮影地である中山寺駅、今でこそ橋上駅舎になっていますが、昭和52年当時は地上駅舎で福知山線の前身である阪鶴鉄道時代の駅舎をそのまま使っていました。そして今も昔も相対式ホームですが、ホーム屋根は一部にしかなく、跨線橋はなくてプラットホームを刳り抜いて構内踏切を渡って反対側のホームに向かう典型的なローカル駅。

また、当時は北口のみで今のように南口はなく、駅員さんはいるけど改札業務は行ってなく(中山寺駅は昭和46年に無人駅化になったもよう)、南側は田んぼが拡がっていたそうです。北口のみだった駅前には雑貨屋さんが1軒あるだけの寂しい駅前広場。

んだから、「ここは中山寺駅なんだよ」って言っても誰も信用しないかも。

 

中山寺駅は兵庫県宝塚市にありますが、市内にあって大阪へのベッドタウンである筈の中山寺駅が何でここまで寂れているかというと、沿線住民の殆どが阪急宝塚線を利用していたから。国鉄の中山寺駅と阪急の中山観音駅とは至近ですが、栄えていたのは勿論阪急。

「電化と非電化の差」なのか、「単線と複線の差」なのか、「運賃の差」なのか、「高頻度ダイヤとローカル線ダイヤの差」なのかは知らんけど、この頃の福知山線と阪急宝塚線との差は歴然でした。昔から「国鉄対私鉄」の対抗図式が鮮明だった京阪神ですが、こと福知山線に限れば、その競争から置き去りにされていた格好になります。昭和55~56年に福知山線が複線電化されて電車が走るようになっても変わりませんでした(橋上駅舎化は昭和57年)。

 

そんな状況が一変するのはJR化後。

宝塚市が推し進めた土地区画整理事業で南口が新設され、バスやクシーが乗り入れられるようになり、地下駐輪場、商業施設が出来ました。住宅整備も進み、駅員配置を復活させ、快速列車の運転も再開されるようになり、徐々にJR対阪急の対決図式が変わっていきました。決定的になったのは平成9年のJR東西線の開通でしょうか。それまで大阪止まりだった福知山線の列車をJR東西線に直通運転させるだけでなく、JR京都線にも乗り入れるようになり、利便性が格段に向上。平成15年には快速と丹波路快速が停車するようになりました。

 

画像を見ると、貨物取り扱いを行っていた頃の側線と貨物取り扱い用のホームが残されています。貨物用ホームは大阪寄りに設置されていたので、画像の列車も大阪行きであることが判ります。別の昔の画像を見ると、駅構内の複線間隔が広く取られており、中線があったことを物語っています。多分、優等列車を通過させるのがメインの中線ではなくて、貨物取り扱いとの関連性が強いと予想しました。

 

ここまで大化けした中山寺駅ですが、今回はDD54が主役じゃなかったようです。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

国鉄機関車 激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)

JUGEMブログ「カメラほんのかけだし」

FC2ブログ「ゲバゲバの楽しいカブト虫・クワガタ採集と廃道・カナヘビ・電車」

ウィキペディア(国鉄DD54形ディーゼル機関車、福知山線、中山寺駅、中山観音駅)

7月6日(土曜日) 晴れのち曇り

 

出勤したくない土曜日。

憂鬱な気持ちで出勤したら、思いの外、大した仕事量ではありませんでした。たまにはこーゆーこともあるんだ・・・。

お陰で午前の仕事はチャチャッと終わらせて、午後の準備に取りかかるのですが、天気予報(WN)を見ると、おやつ時辺りから雨が降るという予報になっています。なら、休憩を削って、なるべく早く午後の仕事を終わらせようと考えました。

その甲斐あって、配達中は降られずに済みましたが、雨合羽を持参し、尚且つ長靴を履いた重装備だったから(雨合羽はいざっちゅう時に用意しただけ)、午前の配達時より汗の量が多くなりました。

職場に戻って月曜日の準備をしていたら・・・

 

 

外は異様に真っ暗になって、次第に横殴りの雨になっていました。

これが “通常の土曜日の仕事量” だったら、やられてたでしょうね。

でも、ド雨は15~20分くらいで、次第に明るくなってきました。その頃には仕事も終わっていたので、「ワンチャンッ!」とばかりに着替えて職場を出るのですが、まさかの “第二波” に襲われました。その手があったか・・・。

 

夕方に降るド雨を昔は「夕立ち」って表現して、それはそれは何気に風情がありましたけど、今はもう、風情どころじゃなくなってますし、「夕立ち」という言葉も死語になりつつあります。

そして夕立ちの後は些か涼しくなったものですが、降った後でもムシムシ。これも地球温暖化の影響なのかな?

7月5日(金曜日) 晴れ

 

今日も厳しい暑さでしたね。

配達途中で目が回り、動けなくなりました。しばらく配達を中断して水分を補給して少し楽になったので、配達を再開し、それ以降はそーゆー症状は無くなりましたけど、皆さんも気をつけて下さいね。

 

明後日は東京都知事選挙の投票日。

下馬評でもそうでなくても、現職の小池氏と蓮舫氏の一騎打ち的様相になっています。

ウチの組合は蓮舫氏を推していますけど、ウチの組合の親元である連合東京は小池氏推しなんですよね。蓮舫氏が共産党と手を組まなければ連合東京も蓮舫氏でいく筈だったんですけどね。

でも、私は蓮舫氏はどうなんだろう? って。どう転がっても都政は無理と思っているクチです。

小池氏もそろそろ飽きてきたし、東京オリンピックの “恨み” もあるし、そろそろ・・・って思うんですけど、小池氏と蓮舫氏以外の候補者は「カスとクズと不審者」ばっかりじゃないですか。世間的には蓮舫氏も「カスとクズ」に入るんでしょうけど、他の「カスとクズと不審者」に比べればまだマシな方。でも、何となく煮え切らないんですよねぇ~。

もっと蓮舫氏もビシッとしていれば、こんなに悩むことはないんだけど、ウチの組合が推しても今回は小池氏じゃないですか?

 

投票日って大相撲名古屋場所の初日でしたっけ?

そっちの方が気になるわ。

 

所有事業者:フジエクスプレス(東京)

仕様・用途:高速路線仕様

登録番号:足立230 あ 6405

社番:P6405号車

配置:フジエクスプレス江戸川営業所

初年度登録:2024年

シャシー製造:三菱ふそうトラック・バス

搭載機関:三菱6S10(T2)型

車体架装:三菱ふそうバス製造

車両型式:2TG-MS06GP

車名:三菱ふそうエアロエース

撮影日:2024年7月4日(木曜日)

撮影場所:フジエクスプレス江戸川営業所(※)

※・・許可を得て撮影

 

 

フジエクスプレス様のご厚意で、納車・登録を終えて昨日配備先の江戸川営業所に到着したばかりの新型エアロエースを撮影させていただきました。

「撮りにおいでよ」という連絡自体は昨日あったんですが、連絡をいただいた時は既に日が暮れていて、さらにしこたま呑んでいたため、葛西から江戸川営業所がある本一色に向かうのは不可能と判断し、ご無理を言って今日にしてもらいました。

 

富士急グループでふそうはそんなに珍しいことではありませんが、これがフジエクスプレスの江戸川営業所となると話は別。バスファンならご存じかと思いますが、フジエクスプレス江戸川営業所は元の富士急行観光江戸川営業所。富士急行観光時代から一部のイレギュラーを除いて日野が単独過半数の組織率だったことから、ふそうを導入するのはまさに「崩れた伝統」。しかも、富士急本隊を始めとする他所様からの移籍ではなくて、2024年登録の真新車ということで、これもまた、「崩れた伝統」に拍車をかけています。

さらに「これ、折戸なんだよね」という説明を受けて、高速路線仕様であることも判りました。

 

高速路線仕様となれば、高出力エンジンが求められますが、今の日野は高出力の13リッターエンジンは例の不正事件の絡みで製造が中止されています。2年前辺りから9リッターエンジンの製造再開が認められ、ついこないだも9リッターエンジンを搭載したセレガの2024年モデルを発表していましたが、今のフジエクスプレスにしてみれば「選択肢がなかった」のかもしれません。

 

今回、富士急グループではエアロエースを10台ほど導入したらしく、各会社に分散して配備させましたが、富士急グループにとって初の「令和顔エース」になるのかな?

おそらく10台全て高速路線仕様だと思われますが、フジエクスプレス江戸川営業所には画像のP6405とP6404の2台が割り当てられました。

“取材後” 、安全祈願のお祓いをしたとのことで、就役後も安全運転をお願いしたいです。

 

最後にフジエクスプレス江戸川営業所様に謝意を申し上げたいと思います。

 

 

【取材協力】

フジエクスプレス株式会社

フジエクスプレス(株)江戸川営業所

【参考文献・引用】

年鑑バスラマ2023→2024 (ぽると出版社 刊)