デビュー当初の新快速は113系を使用していたというのは皆さんもご存じの事案かと思います。弊愚ブログでも何度か113系の新快速はお届けしているのでここでは割愛しますが、いずれ「アーカイブス」で取り上げたいとは思っています。

 

新快速運転に際して、大阪鉄道管理局は万博輸送の臨電「万博号」で使った113系をそのまま投入したいと考えていましたが、それに難色を示したのが国鉄本社。 “タラレバ” の話になりますが、もし「新快速を運転しよう」という機運にならなかったら、スカ色の113系はどうするつもりだったんですかねぇ~? 東京に戻すつもりだったんでしょうか?

 

侃々諤々あったけど、結果的に本社から承認を得て、新快速の運転と113系を使用することが決まったわけですが、大鉄局の思惑通りにならなかったというのも運転開始当初の新快速を語る上で外せない史実になります。まぁ、鉄道に限らず、どのジャンルでも名声を手にしたものや人、何でも良いんだけど、必ずしも最初から順風だったわけではないです。ものだったら改良を重ねて、人だったら努力を積み重ねて栄光を摑むわけですが、新快速もスタート当初は酷評で、それでも利用客を増やすために様々な改善を積み重ねました。それが今じゃ、山陽新幹線と並び称される、JR西日本のドル箱にまで成長しました。

 

さて、東京でも大阪でも見ることが出来た113系ですが、スカ色になると話は別で、大阪圏では浸透しなかったですね。

「横須賀線の色」として定着したスカ色は、「湘南の海の色と白砂」をイメージしているというのは有名な話。湘南色を「かぼちゃ」と形容されるくらいなら、まだスカ色の方が清らかな気がするんですけど、「須磨の海の色と白砂」とイメージ出来なかったか? さらに101系関西線色の言葉を借りれば、高槻から京都、京都から先は大阪中心部と違って緑が濃くなるエリアになるから、湘南色だと山々の緑に同化しないか? そういう意味で視認性にもスカ色はうってつけだと思うんですけどね。

 

昭和47年、153系に置き換わって新快速運用から撤退した113系。ある車は湘南色に塗り替えられて京阪神快速に身を投じ、ある車は153系新快速と同じ色に塗り替えられて阪和線に転じ、ある車は関西本線電化用に駆り出されたりと、その後の車生は様々。どっちにしても関西のスカ色は昭和47年を最後に見られなくなりました。

 

 

【画像提供】

ル様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.1026(電気車研究会社 刊)