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DD51牽引の客車列車が東海道本線の山科駅を通過しています。
東京地区、名古屋地区、大阪地区ともに、普通列車に関しては既に東海道本線ではほぼほぼ100%、電車化が達成されておりまますが、何故ここに旧形客車が? しかもディーゼル機関車に牽かれているなんて・・・? とお思いの方も少なくないかと。
種を明かせば、この列車は東海道本線の列車ではなくて、草津線の列車だと思われます。ただ、外側線の通過線を走っているということは、回送列車じゃないでしょうか。

先程もお伝えしたように、昭和国鉄の時代は昭和黎明期を除けば、何処の地区でも殆ど普通列車に関しては電車化されていますが、それでも名古屋駅や京都駅、大阪駅には普通客車列車が乗り入れていました。名古屋だと関西本線、京都だと草津線と山陰本線、大阪だと福知山線の列車に客車列車が設定されていました。また、いずれもDD51牽引だったりしますので、関西地区ですとこの光景は特に珍しいものではありません。首都圏は上野駅に辛うじて客車普通列車が残されていましたけど、いずれも電気機関車が牽引していました。

山陰本線の客車普通列車は比較的本数が多いですが、草津線は朝夕のみの設定で、日中は気動車が主役。そんな草津線も昭和55年に電化が完成して電車が走るようになりましたが、客車列車は残されました。関西本線の直通列車に関係する列車のようですが、電化と時を同じくして使用車両が50系客車に置き換わりましたので、画像はそれ以前に撮られたものではないかと思われます。
昭和53年当時、朝3本あった草津線の客車普通列車、1本が関西本線からの直通列車で、いずれも京都行き。そして夕方は2本になりますが、亀山行きは設定されていません。1本は12時台に草津駅を発車しますので、もしかすると、3本のうちの1本が草津へ回送して、この12時台の列車に充てているのかなという気がします。画像の列車はそれじゃないかなって気がします。

いずれにしても、東海道本線を堂々と走る客車普通列車は、昭和30年代の急行列車を彷彿とさせるもので、特に山科界隈では、あの築堤の大カーブを駆け抜けるわけですから、東京地区のヲタからしたら、やっぱり羨望だったんでしょうかねぇ~? きっと、 「欲を言えば、 (牽引機関車は) ゴハチだったら・・」 と思ったに違いありません。
当時、小学生だった私にはあまり興味の沸くことではなく、その良さに気づいた時には 「時既に遅し」 でした。


【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
国鉄監修・交通公社の時刻表 1974年1月号、1978年8月号 (いずれも日本交通公社 刊)
時刻表 1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)
鉄道ファン No.245 (交友社 刊)
ウィキペディア (草津線、山科駅)