マリヤの第一の使命は、リベカ、タマルの信仰を受け継ぎ、自身を通してメシヤを誕生させることでした。その際に最大の障害となる可能性を有していたのはザカリヤの妻エリサベツでしたが、逆に、マリヤはそのエリサベツの協助を得て、ザカリヤ家庭の中でイエス様を身ごもることができたのでした。(以下、太字「 」部分は、文先生の御言です。長いので少しづつ区切ることにします。)
「イエス様の家庭において、イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。ではザカリヤの本来の妻は誰でしょうか。エリサベツです。聖霊によって懐胎したというのですが、洗礼ヨハネも聖礼によって懐胎したといいました。
それではマリヤは、どのようにしてザカリヤの懐に入ることになったのでしょうか。誰かの啓示によってでしょうか。マリヤが入るのを見れば、啓示を受けなかったエリサベツは雷を落とさないでしょうか。エリサベツに分からないように入ったでしょうか、分るように入ったでしょうか。
一日目の夜に赤ん坊を身ごもったでしょうか。何回会ったでしょうか。いろいろと問題になるのです。話せばそうなるのです。それならばマリヤには、誰かの後ろ盾もなく一人でできる、そのような度胸があったでしょうか。それはお姉さん(エリサベツ)が紹介してあげなければなりません。
レアがラケルの立場を奪ったので、それを蕩減復帰するためには姉のレアがラケルを祝福してあげなければならないのです。そうしてこそ蕩減になるのです。啓示を受けようがどうしようが、このような蕩減原則においてそのように見るのです。エリサベツが霊的に教えられて兄弟(姉妹)が一つになる立場で、そのことが可能だったのです。
なぜでしょうか。ヤコブの家庭では、兄弟が一つになりませんでした。それならば世界的国家基準で、兄弟が一つになり得る堅固な出発が行われなかったのかという、そのような論理が形成されるのです。エリサベツが自分の夫の前に紹介してあげたそのような問題があるので、近親相姦関係が生じるのです。先進国アメリカは、このような過程を最後まで行って振り返らなければならないのです。神様が許したのでこれが生じるのであって、自然に生じることはありません。
なぜ近親相姦が現れるのでしょうか。自分の姉の夫を妹が強奪するのです。それを近親相姦というのです。なぜヤコブの家庭でレアを入れたのかというと、蕩減法において堕落したエバがいなくては復帰時代がなくなってしまうからです。女性の世界にもカインがいなくてはならないのです。同じ原理です。
イエス様の父は、誰でしょうか。ザカリヤです。その妻はエリサベツです。エリサベツが生んだ子は誰ですか。洗礼ヨハネです。イエス様の母は誰ですか。マリヤです。マリヤは誰と関係して、イエス様を生みましたか。ザカリヤです。誰が紹介したのでしょうか。マリヤが夜、こっそりと駆け込んで関係したのでしょうか。誰かが紹介したのでしょうか。エリサベツが聖霊や天の啓示によって、自分の夫と自分の妹を関係をもたせるようにしたのです。それは普通、イスラエルの法ではできないことです。」 (イエス様の生涯と愛 P60~72 199年10月14日)
新約聖書(ルカによる福音書 1/56)によれば、マリヤは、エリサベツのところに3か月間滞在していました。そこでマリヤは、エリサベツの協助を受けてイエス様を身ごもりました。イエス様誕生の背景には、レアとラケルが一つになった基台があったことになります。しかし、マリヤとエリサベツの使命はイエス様の誕生によって終わるものではありませんでした。マリヤがイエス様を身ごもった後も、マリヤとエリサベツは一つになって、腹中からイエス様に侍り、誕生後もイエス様の成長を見守り、マリヤと相談しながらイエス様の結婚の準備をすべき立場に立っていました。また、洗礼ヨハネに対しては、子供のころからイエス様に侍ることができるよう教育しなければなりませんでした。
「ザカリヤの妻であるエリサベツとマリヤは、彼女たちの二人の子供、洗礼ヨハネとイエス様に関して相談しなければなりませんでした。子供たちがどのように育ち、子供たちを育てるに当たって困難なことなどを話し合わなければなりませんでした。彼女たちは二人の子に関心をもたなければなりませんでした。マリヤとエリサベツは姉妹のような立場でした。したがって、イエス様と洗礼ヨハネは近い関係だったのです。」 (イエス様の生涯と愛 P79 1971年12月25日)
ところが、マリヤとエリサベツは、イエス様の誕生以降、使命を果たすことはできませんでした。
「なぜイエス様は死んだのでしょうか。ザカリヤは、イエス様が誰の子か知っています。マリヤもイエス様が誰の子か知っています。洗礼ヨハネはどうだったでしょうか。30歳以上になって、そのような家庭の秘密のことを人知れず聞いたことがあったかどうかを考えてみてください。あったのです。洗礼ヨハネまでもが知っている事実なのです。」 (イエス様の生涯と愛 P60~72 199年10月14日)
「聖書では私たちは、マリヤがたった一度しかエリサベツの家を訪問しなかったということを発見します。これはまた別の複雑な話です。もし彼女たちが近い姉妹であれば、彼女たちはいろいろ相談しようとお互いに行ったり来たりしたはずです。ザカリヤとエリサベツも、神聖な赤ん坊であるイエス様に関するうわさを聞きしました。ですから彼は、近所の人たちのこそこそ話のゆえにマリヤが足しげく訪ねてくることを好みませんでした。それでマリヤは、エリサベツの家をそれ以上訪問することができなくなったのです。
もしエリサベツとマリヤの二人が、神様のみ旨のもとに一つになってイエス様の使命に関して互いに行き来して話し合うことができていたならば、事は非常に簡単になっていたでしょう。
イエス様の道をまっすぐにするために来た洗礼ヨハネについて考えると、もし彼が主イエス様を証することができていたならば、洗礼ヨハネを高くあがめていた当時の人たちが、イエス様にもっと簡単に従うことができたでしょう。さらにまた、その二人の母親たちも一つになっていたならば、事ははるかにたやすくなっていたでしょう。」 (イエス様の生涯と愛 P79~80 1971年12月25日)
その結果、イエス様は非常に難しい環境に置かれることなってしまいました。
「しかし、このような不法的な関係で自分の一家に問題を起こすようなことをして、背後が入り乱れた中で生まれたイエス様が正にメシヤになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。
皆さんならば、そのようなイエス様をメシヤとして迎えることができますか。妾の子なのに、妾の子をどうして迎えられるかというのです。自分が絶対服従しなければならない王、祭司長の立場に立てることができますか。できなかったでしょう。百人いれば百人がみな、そのように考えるのが常識なのです。」 (イエス様の生涯と愛 P72 199年10月14日)
ところで、最初の御言の中ほどに、
「エリサベツが自分の夫の前に紹介してあげたそのような問題があるので、近親相姦関係が生じるのです。先進国アメリカは、このような過程を最後まで行って振り返らなければならないのです。神様が許したのでこれが生じるのであって、自然に生じることはありません。」
とあります。イエス様当時の話の中に、突然、アメリカの話が出て、
「先進国アメリカは、このような過程を最後まで行って振り返らなければならないのです。」
と言っておられます。イエス様の時代にあった出来事がもとになって、その2000年後のアメリカの状況がある、ということなのでしょうか。こういう場合、私たち食口は、「蕩減」という言葉でわかったような気になったりするものですが、それ以外に、この部分は、イエス様の時代にあったことが,文先生の時代にもあったということを示唆しておられるということはないでしょうか。あるいは、アメリカそのものが天使長的な立場の人物の例えであるかもしれませんし、そのような立場に立っていたときの文先生ご自身のことを言われた可能性もあり得ます。このような言い方をすると、考えすぎだとか、こじつけだとか言われそうですが‥‥‥。
イエス様当時の人々からみれば、洗礼ヨハネが嫡流、イエス様は妾の系統だったわけですが、神様からみるとそれは逆でした。そして、そのことは誰にもわかりませんでした。
「不法的な関係で自分の一家に問題を起こすようなことをして、背後が入り乱れた中で生まれたイエス様が正にメシヤになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。
皆さんならば、そのようなイエス様をメシヤとして迎えることができますか。妾の子なのに、妾の子をどうして迎えられるかというのです。」
上と同じような理由で、真のご子女様にひどく嫌われた人がいたらしいという話を聞いたことがあるのですが‥‥‥。
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