202.「もし、先生がその霊的集団から3人の女を復帰することができていれば‥‥‥」 | 御言 missing link

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 1945年10月、文先生はイスラエル修道院をたずねられました。このときの文先生の目的は、金百文と一つになって、イスラエル修道院内に十二支派を形成し、後に真のアダムを迎える基台を造ることでした。すでに父母の基台を失った立場であり、その蕩減条件を背負い、レア・ラケルの立場に立つ2人の女性を復帰しなければならないときでもありました。
 失った基台を自ら作らなければならない立場に立たされていたわけですから、このときの文先生の立場はアダムではなく、アダムを迎える天使長の立場です。これまで何度も述べてきましたが、天使長がアダムとの相対的な関係なしに完成することができるという原理はないはずですから、いくら文先生がアダムとしての資質と資格をもっていたとしても、一度天使長の立場に降りられたら、単独でアダムの位置に戻るということはできないはずです。天使長の位置に降りられた文先生にも真のアダムとの相対的な関係が必要になるということです。 
 イスラエル修道院における摂理は、金百文の不信により失敗に終わりました。1946年6月、文先生は啓示を受け、北朝鮮に行かれました。平壌で朴雲女という女性と会い、彼女とともに伝道を開始されましたが、この女性も勝利できず、文先生をサタン扱いするようになり、失敗に終わりました。
 1946年8月11日、牧師たちの反感・嫉妬、共産党からのスパイ嫌疑により、文先生は大同保安所に拘束されました。そこにはすでに服中教の許孝彬とその幹部が捕らわれていたのですが、まもなく許光琳は獄死し、1946年11月21日、文先生も拷問により半死の状態で釈放されました。
 その後興南監獄を経て 1950年、文先生は許孝彬の母を訪ねたのですが、その不信により、準備されたキリスト教の基台を完全に喪失することとなりました。
 御言によれば、文先生は40歳までに御成婚をしなければならない原理的な事情があったとのことです。その3年前または7年前が、準備された神霊集団の使命期間延長の限界だったと考えられます。40歳まで引っ張って、結果失敗ということになれば、次の出発さえできなくなってしまうからです。文先生は、1954年5月1日に統一教会を設立して、イエス様が十二弟子を集めたように、キリスト教とは関係のない人々を集めての氏族編成を出発されました。文先生は、統一教会の正式名称を世界基督教統一神霊協会と名付けられました。本来準備された選民ではないにもかかわらず、「基督教」という名を入れられたのは、キリスト教に代わって、その歴史を背負うという意味があったからでした。
 霊的真の父母の位置に立たれたイエス様を中心とする霊的キリスト教圏の基台の中で、朝鮮半島に誕生された文先生は、本来は、1897年に独立した大韓帝国とキリスト教を基盤にして、キリスト教圏から新婦を迎えるはずでした。しかしながら、アダム家庭を復帰するためには、神様の願いと公式路程を悟る善の天使長が存在し、文先生のための基台を準備しなければなりませんでした。その天使長の位置に立つ人物が、男性と女性、それぞれを中心とする基台の造成を図らなければなりません。しかし、地上にそのような使命を悟った人物が当時存在したとう事実は見当たりません。御言の中にしばしば登場する重要な使命を持っていた人たち(例えば、文潤國氏、李龍道、金百文 等)は、天使長の使命の重要性を語られるための例えだった要素が強いと考えられます。彼らが神様の願いと公式路程を悟って、正しく準備をしていたとは言えないからです。つまり、文先生のために善の天使長の使命を果たす人物は存在しませんでした。このことは、文先生が本来の新婦復帰を成すことができなかったということを意味します。文先生は、メシヤの使命を持ちながら、生まれながらにしてその使命を果たすことができない環境に誕生されたということです。それは2000年前のイエス様と同様です。文先生の御言に 17 歳前後の時の内容があまり出てこないのは、二番目の摂理が重要だったという意味もあるでしょうが、二次摂理からの出発が運命づけられていたからだと考えられます。
 文先生は、もともとご自身の責任ではないにもかかわらず、自ら進んで基台喪失のすべての責任を背負って行かれました。
 第二次世界大戦の終結直後という混乱の中で、文先生は一世の失敗を蕩減復帰する使命をも背負わなければなりませんでした。このときの文先生は、洗礼ヨハネを訪ねて行ったイエス様と同じ立場です。一世のカイン・アベルの失敗を二世のカイン・アベルが勝利することによって蕩減復帰しようとされました。金百文を中心として造られたイスラエル修道院を中心に十二支派を編成し、さらに金百文と一つになって真のアダムの母を復帰しなければなりませんでした。
 まず、氏族の基台を作るためには中心となる文先生ご自身の家庭が必要でした。その家庭はザカリヤ家庭の立場に立つわけで、ヨセフ家庭の立場に立つ家庭も必要だったはずです。さらに、一世の基台を蕩減復帰するために、文先生には、エリサベツとマリヤのような女性が必要でした。韓国キリスト教の中心的立場が監理教でしたから、その中からカイン側の母の立場で立てられたのが崔先吉女史であったと考えられます。

「もし、先生がその霊的集団から1人の男と、そしてその男と一体になった3人の女を復帰することができていれば、それによってエバの復帰のためのすべての条件を立てることができたはずです。旧約時代は老いた女、結婚した老いた女に比喩でき、新約時代は、婚約はしたが結婚できなかった女に比喩できます。 一つの家庭では、その老いた女は、おぱあさんに比喩でき、新約時代の女は、お母さんに比喩できます。そして成約時代の女は、娘に比喩できます。その女は、イエス様の姉妹を意味します。金氏が先生を祝福する前に、そこで先生を証した3人の女性がいました。6ヵ月後に、金氏は天から啓示を受けて、彼は先生の頭に自分の手を載せて、全世界のソロモン王の栄光が先生に臨むようになることを祝福しました。3月の復活節を迎えて、彼の食口を中心として天の役事が起きたのです。それで、自分に従うすべての食□たちの前で、先生を祝福してくれたのです。洗礼ヨハネがイエス様に引き継いだのと同じ役事が起こったのです。白い服を着て祝福をしてくれたのです。原理観から見る時に、アベルは、カインを一つにしなければ行く道がないのです。これが一つになれば、男の世界を統一して、旧約時代、新約時代、成約時代がぴたっと連結されるのです。そうなれば、今までの縦的な歴史時代を横的に立てて、完全に蕩減復帰した勝利の基盤が生じると、そのように見るのです。」 (真の御父母様の生涯路程②)

「私がそのような人生を生きていた間、17歳になり、イエスと言われる人が私の所に来てこう呼んだ。『龍明お兄様。』 私はその頃日本人たちのゆえに、自分の韓国名を使っていなかったが、彼はその名を知っていた。私は彼にこう言った。『私が今日ここに来たのは、あなたと結婚式に参加するためです。あなたにとって難しいこととなるでしょうが、私と一緒に行って結婚することをどう思いますか?』」(2012年7月16日 訓読会)
 
「私が17歳の時、2月にイエスが突然現れ、私を『龍明お兄様』と呼び、『祝福に行きましょう』と言った。彼は、夜の神様と昼の神様が分かれて争っていることを知っていたのだろうか? 私は、彼が誰かを特定するため『あなたは誰ですか』と聞いた。すると彼は微笑んで言った。『もう知っているのになぜ聞きましたか? 時がくればまた来ます。もしあなたが聞いてくれないなら、私があなたを捕まえるか、私が捕まえられるかどちらかを選ばなければならない。』」 (2012年7月16日 訓読会)

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