140. 「直系の息子と一つになる位置に立たなければなりません」 | 御言 missing link

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 エデンの園でアダムが天使長達の協助を受けて育ったとされているように、イエス様もヨセフやザカリヤの氏族という天使長圏において、天使長達の協助を受けて成長するようになっていました。ヨセフを中心とする天使長圏は、イエス様の成長とともに、イエス様を通して心情を復帰し、イエス様が結婚する日を心から待ち望む立場でした。それはエデンの園で天使長達がアダムとエバの結婚式を待ち望むべきであった期間を蕩減復帰するものでもありました。 
 復帰された天使長圏であるイスラエル選民は、神様の善なる僕の立場にありましたが、イエス様の誕生と共に養子の立場に立つことになりました。ただし、実際には、実体のメシヤとの関係を通して僕から養子の心情を復帰できるようになっていたわけであり、時代的に養子の位置に立ったとしても、メシヤとの心情関係を持たなければ実質的に養子の立場には立つことはできません。  
 実際には、イスラエル選民は、イエス様をメシヤとして受け入れることができず、イエス様を迫害し、十字架に架けてしまったため、実質的に養子の立場に立つことができず、僕圏に留まることになってしまったのでした。
 これに対し、第二イスラエル選民であるキリスト教徒は、イエス様をメシヤとして信じることで養子圏に立つ条件を立てました。メシヤの存在なしには、天使長達は自分達の努力だけで実質的養子(忠臣)以上の位置に立つことはできません。ゆえに天使長達の願いは、メシヤを待ち望むことであり、そのメシヤを生む母を探し求めることにもあったと言えます。
 天使長達が母を中心としてメシヤの成長を待ち望む期間が「間接主管圏」に相当します。この期間、天使長たちは、どのような苦難にあってもメシヤの忠臣となり、メシヤを守らなければならないわけです。

「神様の約束を果たすために、神様のみ旨を中心としてこの地に来られた方が、イエス・キリストです。彼は過去の歴史時代において、人間が僕の立場にあるとき、神様と結んだ約束を果たして、養子と真の息子の因縁をもてる立場を立てるために来られたのです。僕が忠臣の道理を果たすときには、養子の位置に立てるのです。それゆえ、復帰摂理歴史を経てきながら、イスラエル民族に僕として忠誠を果たし得る土台を築かせ、養子の因縁を結ぼうとしてこられたのです。
 養子の因縁は、どのように結ぶのでしょうか。神様の息子がこの地上に来なければ不可能なことです。神様の息子がこの地上に来なければならず、その息子の命令を聞いて、それに従順に従ってこそ、養子の因縁を結べるのです。これが旧約時代と新約時代が連結する歴史だということを、私たちは知らなければなりません。
 旧約を信じてきた人々は、僕として養子の恵沢にあずかることを望むのですが、それが正にメシヤが来ることを望む理由です。すなわち、メシヤによって僕の悲しい境遇を越えて、養子圏の立場に進むことが彼らの願いなのです。養子というのは、直系の息子、娘がいないとき、親から相続を受けられる因縁が成立する立場です。
 そのようにして、僕の立場を超越し、神様のみ旨を迎えられる恵沢にあずかることを望みながら歩ませたのが、僕の旧約時代を指導してこられた神のみ旨です。ゆえに彼らは、僕の境遇を免れ、神様の相続を受け得る圏内に入れる特権的なその時を願ってきたのです。それがイスラエルの選民思想なのです。
 イスラエル民族を、世界を代表した民族、外的世界を相続できる民族として約束し、イスラエル民族とユダヤ教を指導してこられたのです。ここで、息子と養子が一つにならなければなりません。僕は、神様の息子が来るまでに養子の土台を築き、息子が受けるすべての困難を解決したあとに息子を迎え入れ、その直系の息子と一つになる位置に立たなければなりません。そうしなければ天国に入れません。言い換えれば、神様の血統ではなく、サタンの血統を受け継いで生まれた息子が、神様の前に養子として公認されれば、直系の息子は、アベルの立場でカインの立場にある養子を復帰しなければならないのです。
 このような歴史的因縁があるので、世界的な因縁を代表した教団と国として、養子圏の立場に立たなければならないのが、イスラエルの国とユダヤ教だったのです。そして、直系的権威に立たなければならないのが、神様を中心としたイエス・キリストが提示したキリスト教と、これを中心とした世界国家でした。」
 (イエス様の生涯と愛 P23~25 1971年3月27日)

 上の御言の中にある次の内容は、文先生によってすべて解決されたことであり、もう済んだこと、今は次の段階に移行している、として受け止めれば、それでよいのでしょうか。

「養子の因縁は、どのように結ぶのでしょうか。神様の息子がこの地上に来なければ不可能なことです。神様の息子がこの地上に来なければならず、その息子の命令を聞いて、それに従順に従ってこそ、養子の因縁を結べるのです。」

「僕は、神様の息子が来るまでに養子の土台を築き、息子が受けるすべての困難を解決したあとに息子を迎え入れ、その直系の息子と一つになる位置に立たなければなりません。」

 このような内容を消化したという自覚・認識はなく、にもかかわらず、祝福によって実子圏にいると言ってはばからず、それでいて、神様のことはわからない。神様と一体となった自覚もなければ、二世にその実体を見ることもできず、漠然と将来・未来に期待して‥‥‥

「養子というのは、直系の息子、娘がいないとき、親から相続を受けられる因縁が成立する立場です。」

「今や『直系の息子』はいないも同然であり、自分たち祝福家庭は、すでに相続を受けた立場にある」と考える人々も少なくないようですが、実際は養子が、直系を無視して親と一つになろうとするあまり、亀裂はますます大きくなってしまっているように思います。
 ただし、現在の私の直系に対する捉え方は一般的な考えと異なるのですが‥‥‥。

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