200.「3回説明してだめなので、涙を浮かべてイエス様は出家をしたのです」 | 御言 missing link

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 2000 年前のイエス様のために神様が準備しようとされた環境は、善の天使長ヤコブ(イスラエル)の子孫を中心とする十二支派により形成された統一王国でした。その国は、カイン・アベル、レア・ラケルという愛の怨讐を超えた家庭を基台にもち、さらに、その怨讐の子孫たちが愛によって一体化した基台の上で造られるはずの国家でした。
 しかし、実際にイエス様当時に準備された環境は、この怨讐圏を蕩減できない状態で引き継がれたイスラエルの国とユダヤ教でした。そして十二支派は、ベニヤミン族を吸収したユダ族しか残っておらず、またユダヤはローマの属国で、独立した国家とはいえない状況でした。
 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の関係は、ザカリヤ家庭はユダヤ教を代表し、ヨセフ家庭は国を代表する立場でした。そして洗礼ヨハネは、十二支派の中心として立ち、それを編成する使命を持っていました。イエス様にとってのザカリヤ家庭とヨセフ家庭はアダム家庭復帰を成すための最小限の基台であり、二つの家庭とヨセフの氏族は全復帰歴史を象徴していました。
 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が勝利したとしても、イエス様をとりまく環境は、非常に厳しい状況でした。イエス様はご自身が祭物になることによって、第二イスラエルを中心とする再臨時代への準備をされたのでした。イエス様を信じたキリスト教徒は宣教師となり、殉教の道を歩みました。もちろんキリスト教には戦争や侵略の歴史の一面が存在しますが、それでも、世界的に基盤を拡げたことの重要性が否定されるわけではありません。 神様はイエス様と聖霊の役事により2000年をかけて世界的にキリスト教を拡大されました。しかし、イエス様は使命途中で亡くなられために、キリスト教を中心とする再臨主のための環境は、国と世界の基盤はもってはいても、それは実体のない霊的は基盤にならざるをえませんでした。
 1920年に誕生された文先生の場合、独立しきれていない韓国と、韓国キリスト教がその基盤でした。文先生は、その基盤の上でアダム家庭を復帰しなければなりませんでした。
 文先生は、イエス様が17歳、27歳、30歳のときに新婦復帰についてマリヤに訴えたと言っておられますが、この内容は文先生にも当てはまると考えられます。文先生17歳 (数え) は1936年です。この年を基準とすれば、天使長圏による環境準備は、少なくとも40年前にさかのぼらなければならないと考えられます。天使長家庭はアダムが生まれる前に環境準備を出発しなければならないからです。
 1936年から40年を引くと1896年となります。この翌年の1897年には朝鮮半島は清国から「大韓帝国」として独立しました。それまでの韓国は、「朝鮮」と呼ばれ、清の属国でした。この独立が実現したのは、日清戦争で日本が勝利したことが大きな要因だったと言えます。このときから韓国は「朝鮮」から「大韓帝国」となりました。現在韓国では、1945年8月15日を独立記念日「光復節」としています。私達食口もこの年を摂理の基点と見ていますが、この1897年も摂理的な節目として重要だといえるでしょう。
 日清戦争終結後、日韓の歴史は、ロシヤとの関係に左右され、韓国国内で親ロ派と親日派が争い、様々な不幸な事件が起こっていくことになります。ここで、私達食口が考えなければならないことは、 少なくとも、日清戦争の日本の勝利によって「大韓帝国」が誕生したという事実と、それが、文先生が17 歳で新婦と出会おうとする40年前の出来事であったということです。
 また、もう一つ注目すべきこととして、1896年にアテネにおいて第一回の近代オリンピックが開催されました。1988年ソウルオリンピックが行われたときの文先生の思い入れの深さを覚えている食口は多いと思います。オリンピック開催も摂理歴史と無関係とは言えません。オリンピックといえば、2021年に開催(もともとは2020年に開催予定)されたのが東京オリンピックでした。1964年にも東京でオリンピックが開催されましたが、その前に1940年にも東京でオリンピックが開催されるはずでした。しかし、戦争により開催はかないませんでした。1940年と言えば、文先生の20歳の年であり、文先生にキリスト教の基台があれば、新婦を復帰して最初の子女が誕生していたと思われる年です。そのように考えると、2020年は、真のアダムが新婦を復帰することができれていれば、 二人の間に最初の子女が誕生した年と重なっているのかもしれません。
 また、文先生の27歳 (数え) の時の1946年から40年を引くと1906年となります。1906年を前後して、朝鮮半島、特に、北朝鮮の平壌においてキリスト教の伝道が全盛期に達していました。この出来事も文先生の誕生前の基台造成と見ることができます。 
 さらに、30歳になる1950年から40年前は1910年です。「日韓併合」がなされた年です。この「日韓併合」は、女性を中心とする新婦圏と深い関係をもって行われた内容と見ることができます。文先生の新婦は、キリスト教を国教とする国から迎えなければならないということではなく、キリスト教圏の背景をもっている女性と捉えた方がよいでしょう。文先生の理想相対は、国籍にこだわる必要なないということです。つまり、日本からも新婦を復帰する路程があったということも念頭に入れて文先生の路程を考えた方がよいでしょう。事実、文先生は21歳から23歳まで日本に留学をしておられました。
 このような一連のすべての出来事が文先生の誕生前に準備されるべきであった基盤でした。では、これらの基盤はどのような結果になったのでしょうか? 韓国キリスト教は、その後分裂していきました。特に、西洋のキリスト教を代表する天主教(カソリック)と監理教(メソジスト派:プロテスタ ント)、長老教(ホーリネス派:プロテスタント)、そしてその中から発生した神霊集団へと分裂していきました。
 文先生は、その中で、監理教と神霊集団に深い関係を持つこととなりました。特に神霊集団を造る中心的役割を担った李龍道牧師は、監理教出身であり、その友人である李浩彬牧師は、文先生の最初の結婚式の主礼を務めています。
 文先生は、世界的なキリスト教圏の中で、この韓国キリスト教を中心として歩まれたと思われます。しかし、アベルの位置に立つキリスト教の分裂によってその立つべき基台を失い、子羊の婚宴をなすことはできませんでした。17 歳 (数え) での新婦との出会いをなせなかった文先生は、25歳の時にイスラエル修道院を訪ねられました。この時の文先生は、2000年前のイエス様の立場で説明するならば、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭を失い、出家して洗礼ヨハネを訪ねていったときと重なります。イエス様の30歳からの歩みは、御言によれば、本来は、27歳 (数え) までに出発すべきであったのを、さらに3 年延長して出発した立場とのことです。

「堕落は16歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、17歳で結婚についてマリヤに話したのです。 17歳の時に結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、3年後に3回説明してだめなので、涙を浮かべてイエス様は出家をしたのです。 だれがイエス様の相対にならなければならないのでしょうか? それが洗礼ヨハネの妹です。サタンが汚した血統は完全に切ってしまうのです。完全になくなるのです。サタンは家庭破綻と青少年破綻をもたらしました。アダム家庭でなされた世界家庭の破綻を、世界版図で成したのです。それがサタンが行き着く終着点です。」 (ファミリー97/3 P31  第14 回「愛勝日」の御言 1997年1月2日サンパウロ)

 27歳(数え)からの文先生の路程は、1907年を出発点とした天使長圏を中心とする50年路程から見ると、1957年が限界期限となりますが、3年間延長した1960年が、文先生がキリスト教を中心として家庭をもつべき最後の時であったと推測することができます。1960年に行われた聖婚式は、このような摂理的背景を持っていたと考えられます。そして本来であれば40歳の時は、文先生の孫が誕生し三代圏を確立する時でした。この時に家庭を持つことができなかったならば摂理を延長することさえできなかったでしょう。
 本来キリスト教と国を基台にして出発すべきあった文先生は、その道を失い、メシヤとしての宿命と次のアダムのための環境を準備するという天使長の使命を兼ねて歩まれることになりました。その出発が、イスラエル修道院をたずねられた1945年10月のことでした。
 キリスト教と国という二つのホームチャーチは、文先生の子羊の婚宴を勝利できなかったことによって、神霊集団を中心とする摂理へと移行されました。この神霊集団は、洗礼ヨハネが荒野で集めていたユダヤ教の二世を中心とする集団の立場です。
 実際に男性の神霊集団の中心となった金百文牧師は、キリスト教から迫害され、また女性の集団の中心となる許孝彬も迫害を受けていた異端集団でした。どちらの集団が文先生の基台になったとしても、韓国国内で受け入れられることは簡単ではなかったでしょう。まして白人を中心とするキリスト教国家に受け入れられることは、1945年当時では、ほとんど不可能なことであったと思われます。それでも、のちに集められた統一教会の群れに比べれば、より役に立ったであろうことは間違いないでしょう。7年で地上天国ができるという話も、この段階では、よほどの奇跡が起こらない限り無理な話です。7年でできるとするならば、原理をすべて悟る善の天使長家庭とその家庭を中心とする氏族、さらに天使長国家が存在し、イエス様の心情と原理を悟った国家的背景を背負った天使長的位置に立つ中心人物とそれに絶対服従する聖別されたキリスト教を中心とする世界的基台があって初めてできる内容です。
 文先生は、天使長圏50年(1954~2004「十勝日」まで) 路程と新婦圏40 (1963「天勝号」~2004「十勝日」まで) 年路程の中に自らの生涯路程の50年を中心として摂理されてきました。50年は、25年を一路程期間とすると長成期完成級の位置になります。この長成期完成級の位置が天使長圏が新婦を中心として繋がる分岐点になります。そして40年路程を見る場合、20年路程を一路程期間とするならば、40年目はやはり長成期完成級の位置に当たります。さらにその20年路程の中にも三次7年路程が存在します。その中の第二次7年路程の最後の年、14年目が長成期完成級の位置になります。この長成期完成級の位置になる年が摂理的に天使長圏が新婦を中心としてアダムにつながる分岐点であり、ここからアダム家庭と天使長家庭の共同圏が形成されていくようになります。霊的実体世界として存在する宗教圏が、新婦を中心として形成された新婦圏に吸収され、実体世界であるアダム家庭につながるようになるわけです。このことを文先生は、「接ぎ木」、「血統転換」、「入籍」、「大移動」という言葉を使って語ってこられたのでした。

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