197. 「韓国から受け入れられなかったために多くの問題が生じるようになりました」 | 御言 missing link

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 1920 年に誕生された文先生は、本来、生まれながらにしてキリスト教を中心とする世界的天使長圏の基台を持つべき立場でした。
 文先生は 17 歳から20歳までに新婦を復帰しなければなりませんでしたが、生まれながらの基台を持てなかったがゆえに、そのみ旨を成就できず、25歳の時に神霊集団を尋ねられ、アダム家庭復帰の道を開こうとされました。
 1945 年の第二次大戦後の摂理史は、キリスト教一世がすでに失敗してしまった後の、二世を中心とする摂理と見るべきでしょう。マリヤを中心とする新婦復帰から、洗礼ヨハネと十二支派を中心とする新婦復帰へと移行した時期に当たるとみることができます。
 第二次世界大戦によって、国家的洗礼ヨハネの使命をもつアメリカが、圧倒的な軍事力と核の力によって世界の中心に立ち、国際連合を提唱し、国際連盟の時には常任理事国入りしなかったアメリカが常任理事国に加わり、最も発言権を持つ国となりました。
 文先生は、この時、つまり、1945年から1952年までの7年間は、キリスト教が文先生を迎え入れることができていれば、世界が一つになっていたであろうと語られています。

「本来1945年にキリスト教文化圏世界が先生を支えたならば、先生の今日のような法廷問題ということはあり得なかったのです。その時は、アメリカを中心としてキリスト教が世界を支配し、歴史始まって以来キリスト教文化圏が世界を代表することのできる第二次世界大戦の直後だったのです。これは歴史上の千載一遇の好機でした。キリスト教が世界を支配することのできる時だったのです。
 ではキリスト教思想から考えてみるとき、再臨のメシヤはいかなる時に来られるのかと言えば、キリスト教が世界を支配することができるそういう基盤をもった時です。分かりますか?(はい)。歴史上、そのような時が今まであったでしょうか。その時こそ、正に神が最終的な摂理のために働くことができる二千年のキリスト教の歴史において前にも後にもないチャンスだったのです。神様はその絶好のチャンスを知っておられ、この二十世紀のローマとしてアメリカをキリスト教国とし、世界にキリスト教の基盤を広めてこられたのです。そのためにアメリカがキリスト教文化圏を代表する中心国家として繁栄していったのです。この時、レバレンドムーンはイエス・キリストの使命にあり、キリスト教は二千年前のユダヤ教の立場にありました。そしてアメリカはローマの立場にあり、韓国はイスラエルの立場にありました。これらはすべて神側になっていたのです。一つの側に立っていたのです。神側にいたのです。イスラエルがローマの統治下にあったのと同じように韓国が直ちにアメリカの統治下に置かれるようになり、法的に軍政に入ったのです。李承晩大統領はキリスト教信者だったので、キリスト教を中心とした大統領の国家形態が始まったのです。そして蕩減の法則によって、個人から家庭、家庭から氏族、民族、国家、世界へと歩まねばならない路程が始まります。もしメシヤを認め一体化するならば、これらが一度に7年間ですべての路程が達成される、そういう状況にありました。先生が40歳になる前に世界の復帰は終わっていたかもしれないのです。そうすれば、そのようなキリスト教を背景としてお母様が来られたでしょう。ある意味ではイギリスの女性の中から選ばれていたかもしれません。一度に成されるのです。
 先生はどうすれば世界を早く復帰することができるかということだけを真剣に考えています。しかし、実際に先生をよそに、その運動が韓国から受け入れられなかったために、再蕩減しなければならず、多くの問題が生じるようになりました。もし受け入れたら、韓国における運動は世界的、宇宙的、天宙的な運動となっていたことでしょう。もし、英国の代表がお母様になっていたとしたら、アメリカが生んだ息子のような立場です。自然にお母様に頭を下げ従ったことでしょう。どれほど早かったかしれません。」
(愛天日 1984年5月20日ベルベディア)

 文先生は、1945年10月、イスラエル修道院を訪ねられました。このとき、もし金百文が文先生を受け入れていれば、キリスト教国家に迎え入れられ、7年間で天国ができるはずであったというのが私たちが学んできた摂理観です。
 1945年当時の文先生の立場は、イエス様が洗礼ヨハネのもとを訪ねられた時と同じ立場であり、二世を中心として一世の失敗を取り戻す期間であったと考えられます(イエス様との年齢のずれは、イエス様の公生涯の出発が延長されていたためです)。しかし、神霊集団の失敗により、文先生は、イエス様のように本来準備されたキリスト教圏以外の人たちを中心として公式路程を歩まざるを得なくなりました。この時に集められたのが、 現在の統一教会員たちであり、準備されてはいなかった異邦人の群れでした。
 文先生は、統一教会をヨセフの氏族の位置に立て、その中に「イエス様の立場の人」を迎え、第一・第二イスラエル選民の歴史を再度通過し、そのご生涯のほとんどをかけて復帰摂理歴史を失敗しなかった形に蕩減復帰されました。
 アダムの立場を文先生が蕩減復帰し、2000年前のイエス様の立場を、1960年に誕生された「イエス様の立場の人」が蕩減復帰し、二人が次に現れる真のアダムの前に祭司長(復帰された善の天使長)の位置に立つことになったのでした。そのようにして、第一イスラエルの失敗と第二イスラエルの失敗を世界的な基準で取り戻したのが、陸と海を中心とする蕩減復帰摂理だったと考えられます。そしてこの基台における勝利圏は、あくまでも次に現れる真のアダムのための環境であり、その環境が整えられたのが2013年の「基元節」だったということになります。

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