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「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 天理大学の講師から、母校の東京大学の准教授に栄転された、渡辺優先生は、恐らく、天理教の神学と宗教学(哲学)を架橋するうえで、最高の知性と思われる。東大宗教学科の鶴岡先生の衣鉢を継承するだけあって、その神秘主義研究はフランス大使館も認める優れた研究のようだ。 

 

 その彼が書かれた、以下の論文がある。

 渡辺優(2015)「教祖の身体 : 中山みき考」『共生学』(10),上智大学共生学研究会編,6-44頁。

 

 

 教祖の身体性について、哲学的にも神学的にも同等の熱量で書かれた優れた論考に脱帽した。ただ、教祖伝の史実や、教祖論そのものに重心があり、本席の啓示の意義について、現在の教団的立場を超えないもののように感じられた。そのことは、おいておいても、Yu先生が引用された諸井政一著『正文遺韻』の一節に、むしろ驚かされた。

 

 これは、教祖が投身自殺をされた宮池事件の典拠となるものらしい資料である。

以下、Yu先生の論稿の一節を切りとった。

 

 

  80代を過ぎた老齢になることを、神様は教祖(おやさま)に期待された。その一節の引用なのだが、その前に、教祖がため池や井戸に身投げを試みて、足が止まったことが書かれている。

 

 かしものかりものの理そのものに、みきの身体は、肉体の貸主である神が止めたということになる。

 

 二代真柱によって、教祖の心が神格を帯びて、人間的感情が全くないという公式教義が仕上げられたが、それは無理な解釈である。教祖という女性は確かに老齢となり、怪力を発揮するなど不思議なこともあったが、生身の人間であったことにより意義があるのである。 

 

 40歳での神がかり、貧のどん底への道、亭主や親族からの反対、その中、不思議や奇跡が起きるわけではなかった。神に乗っ取られた中山みき自身は、信仰と懐疑の間に苦しみ、何度も自殺を試みたのは確かな史実らしい。  

 

 一挙に神を信じ切る段階に行かれたのではない。50年の長き雛型の道中で、磨かれ、魂が錬磨され、不思議な力、霊視、人の魂の前生も見れるようになったのであろう。  

 

 啓示現象そのものは、神様がみきの身体を借り受けて、刻限話があり、また『おふでさき』の執筆をさせたものである。

 

 中山みきは確かに、他者としての神を身体的に感じ、涙を流して、創造者しての月日親神の人間世界創造の思惑を我々に伝えようとされた。

 

 80歳過ぎた老婆の語りには、より説得力が増したのであり、その身体性の意義は渡辺論文からも学べました。

 

 以前、以下の論稿で、宮池問題を考察したが、上記の考察に訂正します。  

 

 

参考資料

諸井政一著、諸井道隆編『改訂 正文遺韻』天理教山名大教会史料部発行、昭和28年初版、平成26年復刻,266-268頁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段は経営コンサルタントなのだが、山の中で修験道の修行積まれた方の手記を紹介します。

 

「カエルをおどすなと先輩行者から言われていたが・・・」

  なお「蛙飛び行事」が金峰山の蔵王堂で行われ、修験道のエッセンスを伝えています。

 

 

<山で神仏がやどる動物にいっさい手を出しけてはいけない>

 

 

<数珠を山中に落としてしまい・・・>

 

 

 

 

 天理教の古い文献が国会図書館デジタルコレクションで誰にでも見らるようになり、天理教を攻撃した法蔵館などの出版による書籍や、戦前期の天理教が大日本帝国のもとで国策に協力したことなど、赤裸々に分かるようになりました。

 読者にスピリチュアル系の人が多いので、少し不思議な霊救話を紹介します。

 

 大正4年12月13日に、永(ながい)氏宅で、教会設立のために、御分霊奉祀祭があった時、神鏡に、赤衣を着た女性を80名ほどの参列者たちが見ていたというお話である。以下、そのご婦人の御姿を表現している。 

 

 

 

出典は以下でした。

 

天理大学宗教文化研究所 編『真実の道 : 信仰例話集』,天理教道友社,1952. 405頁。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2976617 (参照 2023-03-19)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おふでさき』第8号の一節から

 

いまゝてもなにをふしへてきたるのも     (8-74)

    みなこのどふりはじめかけたで

(今までも 何を教えて来たるのも みなこの道理 はじめかけたで) 

 

 道理とは、決まった神の道理であり、一つの未来への変わらぬ神の方法、真実の真理を神様が天保9年から現れて、話をはじめられた。この道理が分かったら、真に心に治まったら、人間は生かされている喜びをもっと感じるのである。道理は人間の絶対的幸福と直結する。

 

 道理の第1は、かしもの・かりものの理である。人間の肉体も食物も自然も万物のすべては神様が用意して、人間を喜ばすために与えているものである。「ぢきもつ」とも第79号では語られているが、形の世界はすべて神様が支配されている世界である。

 道理の第2は、心通りに神が守護するということ。すなわち、永遠の神と人との関係性を意味する。人間は好き勝手にわがまま一杯に生きてきたが、そこに心通りの守護という真理が隠されていたのである。自分の思想が形として現れて、誰でも幸福を感じる。お腹空いた、空腹だ。食べたものがある、飲み物がある。それを頂けて、腹八分目で満足。こうした身近なところから人間の幸せがある。

 道理の第3は、心の自由である。人間には本来的無限の可能性がある。性別、年齢、人種、出自に関わらず、一人一人の人間は主体性、自由の心が与えられている。その自由を支えているのが、陽気暮らし世界を求める神様の最大の贈りものとして人の心の主体性である。  

 

 にんけんをはじめたをやがも一にん      (8-75)

    どこにあるならたつねいてみよ

(人間を始めた親がも一人 どこにあるなら尋ねいてみよ)

 

 教祖(おやさま)を通じて、真実の神、究極の根源神が現れた。神様は人間の親(おや)であり、親神ともいう。人間の喜ぶ姿、楽しむ姿がみたい。そのために、自由の心を与えたのである。世界中にいろいろな信条・宗教、イデオロギーがあっても、究極の実在がここに現れた。それも、天保九年以降、永遠に表れたということである。何時尋ねても、永遠に答える仕組みを神様は本来的に構築された。究極性、絶対性、唯一性を示す、驚くべきお歌である。

 

 

 

月日よりやしろとなるを二人とも

   べつまへだてゝをいてもろたら     (9-5)

 

教祖の書かれた啓示書である『おふでさき』第7号から11号は、明治8年に連続して出されていて、特に明治8年陰暦5月26日に、甘露台の地場定めという重要なことが初めて開示された。根源性、唯一性、絶対性を明かす重要な教えである。一つの独自で唯一絶対の教えが開示されたことを意味する。

 

 そのような一連のお歌の中にある、このお歌も外形的にこれまで十分に理解されてこなかった啓示であり、無形の理からの最新の解釈をここに明かしたい。

 

 月日とは、月日親神であり、月様と日様という二柱からなる神である。

 

 「やしろ」とは、月日の社(やしろ)となった、教祖(おやさま)を指している。教祖は永遠の変わらない、ひながたの道を残された。

 

 「二人」とは、これまで、教祖と三女のこかん様を指しているとされてきた。しかし、何と、この「二人」とは、月様と日様の二人が意味されているという。普通の人間心の発想からは、意外であるが、それが神意だという。

 

 なお、こかん様は、この年の陰暦8月28日には出直される。

 若き神こかんともいわれ、教祖と同様に神意を取り次ぐことが期待されていたが、こかん様は月日の社ではない。月日の社が二人という意味は全く違うということである。それゆえ、上記のように、二人とは、月様と日様という親神そのものを指しているという。   

 

 月日親神の思惑を体現されるのが、教祖(おやさま)である。

 

 その教祖を別間(べつま)にへだてて、おいてもらったら、というお話で、大変なぞめい言葉である。何時、どうして、別間が必要なのかという点がこの時点では不明である。この明治6年には、教祖は存命であり、別間を用意して神意を下す必要はないからである。   

 

 このお歌の前は、月日からの啓示をしっかり聞きなさいと。

 「月日よりどのよな事もしいかりと ゆいかけるでなこれきいてくれ」(9-4)

 

 そして後の歌は、人間が何を言っても神様が救済を引き受けることが説かれている。

   「なにゆうもそれよりしかとうけよふて たすけするぞやしかとみていよ」(9-6)

 

そして、このお歌(9-5)だけ、なぜか浮いた感じである。 

 

 後のお歌(9-6)は、人間の意識に関わらず、救済の永遠性を説いたものである。地場屋敷の本宅で、教祖が存命で働く。御身を隠されてからは、本席を通じて、神の言葉が続いた。この間、地場の本宅での啓示は続いているので、別間は必要がない。

 

 そして、地場の人衆が、神意をうけなくなったら、神様はどうすればよいのか? 

 

 永遠の救済に責任をもつ神様は、所を変えて、別間を通じて、求める者に言葉を与え続けるのだろう。

 

 本来は、地場で聞くべきことを、聞くべき魂の人間を集めて、仕込み直すのである。

 

 

「・・・

      神のやかたの地場さだめ 理を打ち出す やしろ定め  

 神の手引きで 地場に引き寄せ 理の仕込み だんだんに及ぶで 

 なれど その地場から 曇りかかれば どうもならん

 

     地場の掃除 理の掃除 どうしても 遂げにゃならんのや 神の不思議 自由用

 そのために 離れ座敷 別間にて 改め直す 理の仕込みや

 地場でする仕事なれど 聞き分けでけん これがため 

 誠の者を集めて 真の磨きを掛けるのや 別間とは 神の思いが深くある

 縁あるものは 神の見定め 前生よりの 理があるで

 さあさあ うかうかでけんのやで 

 うかうかすると言うは 詞の理 心に刻むこと 忘れることや

 心に 理が治まらねば 成りくる理 人間心で 世界並に思うやろう

 日々に かしもの知らず 世界並に思うなら ほこりの道を行くも 同じこと

 今の旬は 世の立て替えの順序 通りているのや 道の要造りの順序や 

 そのために 大きな心 かかりているのや 

 どんな不思議も見せてある 日々の運び 神の運びや

 神の心かかるから 詞の理 しっかり聞き分け

 聞き分け出来た心をもって 日々通ることなら 

 これから未来 神の運び 必ず 見えて来るのやで

 これまでの詞  よう思案して 心勇んで 楽しむのや

 心さえ 澄んだことなら 今がこの世の始まりや  合掌」(平成9年7月26日 午前8時20分)

 

 かしものかりものが分からず、うかうかしたら、恩を着る。恩が重なり、恩に倒れる。

 貸しもの知らず、世間並に思うなら、ほこりの道を行くも同じこと、と神様は話される。

 

 コロナ禍が3年以上続き、世界には植民地戦争が再発し、巨大地震もある。世界には大掃除の事情が続く。

 

 3月11日は節目の日である。  

 

 見る理、聞く理から魂を錬磨して、心勇んで楽しむことが求めれる。 その澄んだ心が、今がこの世の始まりとなる。 

 

 私の心は余りにうかうかの心が多く、詞の理をしっかり受けていないも同じとのことです。

 

 しっかり通ります。

 

 

 

 

 現教団が『おさしづ』を軽んじ、天啓継承の可能性を無視しながら、教祖(おやさま)のひながたの道をたどりなさいと諭達四号で、強調されております。存命の理をはきちがえて、教祖(おやさま)は存命であると言っても筋が通りません。

 

 改めて、存命一つの理について、『おさしづ』にどのような書かれているのか、復習してみましょう。

 

 本稿の参考資料として、植田義弘氏の『おさしづに啓示された理の研究  第一部 天の言葉』(なるほど編集室、昭和52年改訂4版、42頁)に引用された、『おさしづ』を利用します。

 

 本席の声は、本席様が神がかりの状態、いわゆるシャーンのような状態の中での発言を周囲の筆取り人が書き写し、あらためて清書したものです。本人に後から確認を取ったものですが、中には書き損じも有るかもしれません。どんな漢字をあてるか、音声言語、話言葉を誤って聞き取ることもあるかもしれません。

 この点が、教祖が直々執筆された「おふでさき」とは異なります。

 

 神や神霊、大霊など、超自然からのメッセージを聞き取れる方は、ウェブサイトに溢れていて、玉石混交です。このサイトもそんな大海への一滴にしか見えないでしょう。心ある人にお届けします。  

 

 本席様を通じた神の言葉、存命一つの理と同じであることについては、以下の刻限話の最期の箇所に書かれれてありました。

 

 人間側に神意が十分に治まらず、神様はじいっと人間の心を認識しています。現象界における浮き沈みの事態に人間の心は右往左往しています。その中、本当に理を信じて心倒さずに誠の心を立てられるか、たんのうの精神が治まっているかが信仰心として問われるのです。 

 そして本席の言葉は、教祖存命の理と同じであることが改めて明かされているのです。 

 

 教祖や本席様を通じて、人間の肉体や世界は一切、かしもの・借り物の理であること、人間の心通りに神が守護する世界であるという普遍的な真理が何度も何度も語られました。

 そして人間には自由の心があり、その主体性・創造性に喜びの源泉があることが、全人類に普遍的な真理として明かされたのでした。

 しかし人間は心が弱く、形の世界に左右され、真の心の建て替えができません。国際政治の世界でも、NHKスペシャルであるように拒否権という仕組みを作って、一部の大国のエゴがまかり通るのです。 

  

 教祖が存命であることが、本席の言葉が教祖の言葉であることが何度も説かれたのでした。 

 

 お道とは、神直々の言葉を頂き、それにしたがって神の道を歩む、神と人の応答の中で、道が歩まれるのです。

 

 草がしこりて道知れずとは、本当の道を通っていない今の教団体制を神様が預言したものでしょう。

 

 天啓継承の存命の理を真に信じる中に、この道の偉大な役割があり、世界の未来をはぐくむ大責任があるのです。   

 

・・・・・・・・・以下引用・・・・・・・・・・

 

 明治三十七年七月二十七日
 本席身上障りに付願

 さあ/\日を以て尋ねにゃならん日が出て来る。さあ/\日を以て尋ねにゃならん日が出て来る。もうこれ一度どうでもこうでも、どうにも行かんから、一日の日を以て尋ねにゃならん日が出て来る/\。
 皆々よう聞き分けにゃならん。あれこれ取り混ぜの話する。もう長い話ではない。夜が明けたら明かい、日が入ったら暗い事、決まったもの。二つ三つ程の理を諭し置く。よう聞き分けにゃならん。身上どうもならん/\と言うて、日が経った/\。今日の日どういう事諭すなら、皆々これまで餘程の苦労、年限置いたであろ。年限を経た中に、楽しんだ日があれど、苦しみ多い。楽しみは四分、六分は苦しんで居る。ならん/\の日を経った。そこで明らかな事待つであろ。明らかな事待てば、日々に明らかな心を持って、日々運んでくれにゃならん。それはどういう事に思う。どういう事なら、心はめん/\の持ち寄りの心、鮮やかな心に皆々の心治まればよし。一日の日あるによって、日が詰んで了うてはどうもならん。若き者にも、よく仕込まにゃならん。これまで残し置いたる席という。これだけの理諭し、場所とさしづ、これまで時々諭したる事ある。よく心に辨えてくれにゃならん。治まる事もあれば、治まらん事多い。治まらねば、どれだけの事運んでも何もならん。初めは軽き些かな心を傅えて道出けたもの。一時初めから一分始終出けやせん。よく聞き分けてくれ。これまでの道容易ならん道、教え一つの理から年々に道出来て来たる。よう聞き分けにゃならんで。これがいかん、どれがいかん、教え一つの理を放って了て、世界一つの理取り運び、通ろうと思たて通れやせん。餘程難しい。これまでの日を数えてみよ。年限の内一箇年経ったら、これだけ/\と世界映りたで。國々まで及ぼした。世界映し難くい/\と、一寸話して置く。そら何もならんとは言わん。世上の道三四十年以来の道から諭すなら、萬人の中ほんにそれから出来て来た道かいなあと、何處へ行ったとて得心出けんではない、と諭し置こう。成らんと思て行ったとて、さっぱりの日成ってからどうもならん。これまで國々遠く厭わずして出て来る者に、皆諭したであろう。若き者に仕込まにゃならん。柔りこいものは、年寄りも若きも子供も皆々喰うであろ。今席と言うたら教祖とは違うなれど、萬事入り込んでの話すれば、教祖一つ理も同じ事、と諭し置こう。

 

・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・

 

「今席と言うたら教祖とは違うなれど、萬事入り込んでの話すれば、教祖一つ理も同じ事、と諭し置こう。」(明治37年7月27日)

 

 「詞を失ったものは 草がしこりて道知れず 元の悪因縁に戻る心
  神の残念が見えかける ただ現れた神を 澄んだ心で
  見ることが出来る人間が 誠の思案をする 
  誠の思案の土台は 神の広大な守護に守られて 
  人間心を すっかり落とした魂が 魂の性質から思案する神の心
  そこにかしものかりものの教理の 真髄がある」(平成00年9月25日「命捨ててもの覚悟」)

 

「存命のをやの声 忘れて どんな道もないのやで」(平成●●年7月12日)

 

「をやの道 草がしこりて 道知れず 世界並では 世は治まらん」 (平成■■年7月22日)
 

 

 

 令和4年10月26日、ご本部秋の大祭にて、真柱様から、諭達(ゆたつ)第4号が発せられた。脳梗塞か何かで倒られた真柱様であるが、公の場でのご発言に、天理教の信徒達からもかなりの親愛の情が寄せられたことであろう。

 この中で、存命の教祖(おやさま)を慕うこと、教祖の御生涯がひながたの道として、信仰の原型(モデル)であることが改めて、開示されていた。

 諭達(ゆたつ)とは、天理教の教団指導者トップである真柱(しんばしら)が全教にむけて、発する公式の指示書で、現在の神意がわからない中で、教団として最高の神意を自ら開示したものといってよいだろう。二代真柱の正善、三代真柱の善衛、そして現在の真柱の善司様とそれぞれ諭達を出されている。

 

 

 だが、そこには、真柱トップ制における自己矛盾をはらんだ教示内容で、全く新味のない従前通りの教えが書かれていました。明るい展望もなく、予定調和に安住した何の盛り上がりも感じさせないものであった。 

  

 真柱は存命の教祖からの教示を真っ先に受けて、全教にその教えて広める大責任を帯びているのが真柱である。T大宗教学科卒の頭のいい人たちが作った作文に基づく教えであり、そもそも存命の教祖(おやさま)を有名無実化している。  

 

 存命の教祖(おやさま)という教えは、本席様の御啓示によって誕生した教えであることが全く忘却されている。本席のことばが、今なるの教祖の言葉である。 女性である老婆が亡くなり、その後、神意をすでに下す御用をしていた飯降伊蔵が本席と定まって、存命の教祖を体現さたという天啓継承の史実があった。まさに霊気ただよう神の屋敷としての地場がそこにはあった。

 

 本席時代の歴史を学ばないことに天理教の病理がある云っていいだろう。キリスト教神学の歴史から照らして、天理教神学の研究はお寒いかぎりだ。ネポティズムのなか、非中山家には重責が回ってこない。そして飯降家が果たした役割が全く黙殺されている。 

 

 神意の自発的発動として刻限話がある。「ひながたの道・三年千日」の教えは以下の刻限から始まった。

 

 かしもの・借り物の理という神と人間との根源的な関係を自覚し、御守護の有難さを三日でいいから通って、味わって実践してみなさい。そうして、三年千日を通れば、教祖のように五十年も通らずに、真のWELL-BEINGを味わえる道を教えたのである。もっと明るく、頼もしい人生が開けることを教えたのが三年千日の「ひながたの道」の教えである。

 

 私と同世代の今の真柱様の生真面目な態度に人類救済の未来が掛かっている。足元から生まれる神意の発露をつぶさないようにお願いします。

 

 

 

明治二十二年十一月七日 午後十時四十分
 刻限御話
さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある。聞けば一つの理がある。二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。あちらへ廻り、日々の處、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん。ひながたの道通れんような事ではどうもならん。長い事を通れと言えば、出けんが一つの理。世界道というは、どんな道あるやら分からん。世界の道は千筋、神の道は一條。世界の道は千筋、神の道には先の分からんような事をせいとは言わん。ひながたの道が通れんような事ではどうもならん。どんな者もこんな者も、案ぜる道が見え掛けてはどうもなろまい。一日二日経ったらと言うたら、どんな事やと思て居たやろ。ちゃんとしてやる道は見るも同じ事。ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。これをよう聞き分けて、何處から見ても成程やというようにしたならば、それでよいのや。十年あとの道は、どんな事を説いても、いか程説いても、そんな事は無い、何を言うやらと言うて居たのや。國々の者やない。そこからそこの者でも分からなんだ。なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き盡せん道を通りて来た。なれど先年も二千年も通りたのやない。僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。何程急いたとれ急いだとていかせんで。ひながたの道より道無いで。ひながたの道がどんな日もある。ひながたの道にはいろ/\ある。誠の道も蒔いた事がある。なれども、何年経てばこうという理が、外れてはあろうまい。世界には何を言うやら大工がと。日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居る。十のものなら八つという。後二分の處放って了うは八分という。難しい。後二分というたら僅かや。まあ何年居てくれたら、内も結構や。なれどもどうも半端である。十年の間、八年の間の苦労は容易やない。なれども、まあ後二年は何でもない。八方明けたら明らかや。もう僅か、まあ三日の辛抱さえ仕遂げたら、誰に遠慮は無い。皆貴方々々と言う。ひながたの道が出してある。ひながたそばにある。めん/\もたった三日の辛抱すればひながたの道が。以前々々は、我が/\のようにして通りて来たのや。三日の日はこせんという理はあるまい。どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。まあたった三日や。三日は分かろうまい。今と言うたら、今の事のように思う。ひながたの道を通れば、僅か年限の間に、何と分からなんだなあ。前々は我が俺がと言うて居たなれども、どうもあんな者とも知らなんだと、世界から言うのは、まあたった三日の間や。三日の辛抱さえしたら、どんな道があるやら分からん。あちらも狭ばい、こちらも狭ばい。あちらも廣め、こちらも廣めに運ぶ。三日の辛抱したら、今の三つが、三日経てば何ぼに成るやら分かりゃせんで。一日々々の日が近寄る、何處から見ても出るも、ほんに見るも、ほんになあと言う日は、まあ三年の間や。三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。そこで、難しい事せいとは言わん。古い型のひながた、見えてある事分からん。一年後というものは、大方成るかと思えばどんと行き、これではならんという處から、一寸道を開き掛けた。まあ/\世界から見れば往還。細道は通りよい、往還通り難くい。何を言うと思う。往還通り難くいという理聞き分けたら、三日の間や。なれども、これまで細い道を通り来た故、大き道に成るのやで。三年やそこらの事は、三日の日の事思えば直きや。三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。たったそれだけの事が分からん。そこで皆んな一つ/\の理を寄せてくれるよう。僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や。
 

 天理教の教会本部神殿の東礼拝場の目の前に、かつて三島神社という地元の産土社があり、鏡池(宮池)というちょっとした池もありました。神社は1988(昭和63)年に北大路沿いに移転し、1999(平成11)年に宮池も埋め立てられたようで、一帯は更地になっています。 昭和62年の夏に修養科に私はお地場でおりましたが、その時は、三嶋神社の木陰で涼み、宮池の亀を眺めていました。  

 

現在の三島神社については、以下のサイトがすぐに出てきます。

 

 

 

 宮池は、教祖が天啓となる前に、何度も願掛けで祈願した神社でした。また神がかりの後、夫の無理解もあるなかで、御身を身投げをされた池でもあり、重要な史跡だと思われます。だれがこのように重要な史跡を移転したり、つぶしてしまったのでしょうか。 Who destoried the historical monument of Oyasama ?  

 

 これに関して、以下のサイトでその理由や顛末分かります。ある霊能者の発言も書かれていて、スピリチュアルな視点からの批判もありますが、それを割り引いても、合点がいきました。

http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf

 

 「三島神社移転、鏡が池埋め立て事変考」の記事も著名な天理教の研究サイトで、この問題を詳しく取り上げています。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mishimajinnjyaitenco.html

 

みきの苦悶ー宮池事件

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden_27miyaikezikenco.htm

 

 

 神社の移転に関わった本部員のI先生もその後、身上に倒れています。  

https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000gd7n9-att/q3tncs00000gd7wx.pdf

 

 

されに、歴史をさかのぼり、二代真柱様の時にすでに、この移転問題が懸案事項だったことが書かれていました。

 

 その二代真柱様の時代、昭和の初めの時にもすでにこの問題がありました。

昭和10年にすでに、教会本部が移転問題のために、住民の同意を得させようとしていたことが以下の文献で分かりました。

 『天理教罪悪史 続』(田中豊洲,昭和10年)の176ページ「天理教本部の横暴ぶり」は、まさに三島神社移転に関する教会本部の動きについてでした。 

 参照:田中豊洲 著『天理教罪悪史』続,邪教撲滅期成同盟会,昭和10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1108884 (参照 2023-02-10)

 

 こうした天理教批判書は、一面的理解のもとに偏見に満ちた記述で読むに堪えない論理があります。しかし、当時の史実や時代の思想を知るうえで、ある程度参考になりました。

 

 

 

 地場屋敷は神屋敷であった時代から、明らかに人間が支配する汚れた地場となっていったという道の裏面史として、

記録に残します。  

 

三ッ みなみてゐよそばなもの
かみのすることなすことを

 

 地場の建て替えに向けて、発信者自身がいかに地場の理にそう心作りができるか、さらに精神を鍛えていきたます。

またいずれ、いつかは、目が覚める次世代の真柱後継者ご家族にも期待します。

 

 

『おふでさき』第7号は表紙に明治8年弐月と書かれていて、そのころ教祖が御執筆されたものである。甘露台の地場定めを5月に控えて、7号は神意の重要な刻限話が和歌形式で開示され、黙示論的な神の切迫感が特色のお歌が多いの特色である。

 

 7号のお歌に、以下がある。

 

 いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら(7-35)

 

 Hitheto, I have told you that the beginning of the world is now. But you wondered what I really meant.  (VII-35)   [Inoue and Eynon(1987), p.153]

 

<真理の掘り下げ>

 これは大変神秘的なお歌なのですが、よくよく考えさせる深い神意が内蔵されていると思われます。私達人間は時間軸の中に生きていて、タイムマシーンによってこの時間を乗り越えることは出来ない。過去―現在ー未来という時間軸の中で、生きていて、まさに今を生きている。過去を後悔し、未来に希望をもつのが人間であり、その人間は常に今は生きている。その大現在の今から、過去や未来を想像することは人間しかできない不思議な思考力である。

 この世始めた創造者としての神は、時間軸も空間もはるかに超えた視座から森羅万象を支配されている。ハジマリは無であり、時間も空間もない。味気ない世界であった。ハジマリという概念すらなかった。そこで、何と神は人間創造を思いつかれた。

 元の理の創成神話を晩年の教祖は高弟たちに語ったが、書き取られたものはすべて是認されなかった。神意は深く、人間の想像をいつも超えていて、開示されるまでは誰にも知られないのが神様の思惑である。

 9億9万9千9999年かけて、人間世界が創造されて、約束の刻限がきて、教祖が天保9(1838)年10月26日に神の社となられた。そして、この明治8(1875)年についに、人間創造の原点という地場・甘露台が地上に初めて明かされるという「地場定め」、それは宇宙創成史の大事件がまじかに迫っている。

 今はいつでも今であり、その今において、人類と世界が創造された時点における永遠の神意がすべて一なるものとして解け合っている感覚がこのお歌に込められている。

 全人類が本源的に人類の母である教祖を慕って、地場に参集して、甘露台を囲んでかぐらつとめを拝する。つとめは創造原理であり、救済原理を象徴した最高儀礼である。

 永遠の神の思惑を今感じとり、喜び勇んで末代の道へ。人間が神の思惑を知って信仰の人として、陽気遊山ができる人間として進化発展することが本来的に人間のDNAに内蔵されている。

 

 永遠につづく神の言葉を頼りとして、コロナ禍の夜明けはまじかに迫りました。ウサギの年、還暦の今年は、いよいよ仕事面でも多忙となりそうです。  

 

 大亮さまの奥様のFB(2023.1.5投稿)より

 「うさぎのように、耳を立てて周りに気を配り、ピョンと誰かのために素早く動けるように頑張ります!」

 

 しっかり周囲に配慮して、今年も一年働きます。