天理大学の講師から、母校の東京大学の准教授に栄転された、渡辺優先生は、恐らく、天理教の神学と宗教学(哲学)を架橋するうえで、最高の知性と思われる。東大宗教学科の鶴岡先生の衣鉢を継承するだけあって、その神秘主義研究はフランス大使館も認める優れた研究のようだ。
その彼が書かれた、以下の論文がある。
渡辺優(2015)「教祖の身体 : 中山みき考」『共生学』(10),上智大学共生学研究会編,6-44頁。
教祖の身体性について、哲学的にも神学的にも同等の熱量で書かれた優れた論考に脱帽した。ただ、教祖伝の史実や、教祖論そのものに重心があり、本席の啓示の意義について、現在の教団的立場を超えないもののように感じられた。そのことは、おいておいても、Yu先生が引用された諸井政一著『正文遺韻』の一節に、むしろ驚かされた。
これは、教祖が投身自殺をされた宮池事件の典拠となるものらしい資料である。
以下、Yu先生の論稿の一節を切りとった。
80代を過ぎた老齢になることを、神様は教祖(おやさま)に期待された。その一節の引用なのだが、その前に、教祖がため池や井戸に身投げを試みて、足が止まったことが書かれている。
かしものかりものの理そのものに、みきの身体は、肉体の貸主である神が止めたということになる。
二代真柱によって、教祖の心が神格を帯びて、人間的感情が全くないという公式教義が仕上げられたが、それは無理な解釈である。教祖という女性は確かに老齢となり、怪力を発揮するなど不思議なこともあったが、生身の人間であったことにより意義があるのである。
40歳での神がかり、貧のどん底への道、亭主や親族からの反対、その中、不思議や奇跡が起きるわけではなかった。神に乗っ取られた中山みき自身は、信仰と懐疑の間に苦しみ、何度も自殺を試みたのは確かな史実らしい。
一挙に神を信じ切る段階に行かれたのではない。50年の長き雛型の道中で、磨かれ、魂が錬磨され、不思議な力、霊視、人の魂の前生も見れるようになったのであろう。
啓示現象そのものは、神様がみきの身体を借り受けて、刻限話があり、また『おふでさき』の執筆をさせたものである。
中山みきは確かに、他者としての神を身体的に感じ、涙を流して、創造者しての月日親神の人間世界創造の思惑を我々に伝えようとされた。
80歳過ぎた老婆の語りには、より説得力が増したのであり、その身体性の意義は渡辺論文からも学べました。
以前、以下の論稿で、宮池問題を考察したが、上記の考察に訂正します。
参考資料
諸井政一著、諸井道隆編『改訂 正文遺韻』天理教山名大教会史料部発行、昭和28年初版、平成26年復刻,266-268頁。