久しぶりに、平成時代の「神の詞(うた)」シリーズの続きです。00さんという若き女性から下された13度目のご啓示が以下のものでした。平成2年ですから、1990年で、まだ私が大学院生の頃でした。
平成2年12月24日
「一点の曇りもない真実の心 たヾそれだけを望んでいる」
00拝す 合掌
本来ならお地場で下されるべき、神様のご啓示ですが、ところ変わって、受け取れる人たちがいるごく少数の集団に与えられた神様のお詞です。 信じるか信じないかは、人それぞれです。
天理教の教会本部からすれば、異端扱いとなるのが落ちです。そのようなご本部の偉い先生方がどう思おうが、それはその人たちの心のレベルの問題で、私自身が一信仰者として、この神意をいかに受け取るかを、此処で勉強します。
神様がいるのか、いないのか、それは誰にも分からない主観的な個人の信仰領域の問題です。先日、インドネシアの熱心なムスリムの女性から、アッラーの信仰について、その素晴らしさを聞く機会がありました。人生に行路がいかようにあろうと、それは、アッラーに向かう行路である。一日5度の礼拝。祈りこそが人生そのものであると。
人間には自由の心使いが与えられ、心のあり方、心の問題は人間の一大関心事である。 誰もが人生について迷い、アドバイスを求めている。 このお詞は、神の声を感じて、神の守護とは何かを分かり始めた女性に対して、ずばり出された神様の願いのメッセージである。
「一点の曇りもない真実の心」
汚れ切った人間の心は多様にある。私の心も汚れてているので、大金の詐欺にあってしまった。心の隙があり、欲の心から、詐欺に騙されたのである。大反省しないといけない。汚れの無い澄んだ心、誠の心を神様は望まれている。それが、一点の曇りもない晴れた澄んだ真実の心なのだろう。
今なるの神様の守護が真実に分からないと、心は澄んだとはいえない。 あれができない、これができないと人間にはいろいろな不足がある。そこから、いかに、これもできた、あれもできたといように、いかにポジティブに受け止められるかが問われる。マイナスの不足した心では、いつまでたっても心は晴れない、澄まない。
形の世界は神様の守護される世界である。貸しもの借り物の世界である。
人間の肉体も、自然も世界も、森羅万象は神様が守護し、支配されている。
この与えを、最高の心で受け取れるか、不足するか。
領土欲から戦争を起こす国もある。穀物を輸出するという合意も反故にしている。世界がそれで悩むのである。
「四ツ 欲に切りない泥水や 心澄み切れ極楽や」
(四ッ よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや)
(みかぐら歌十下り目四ツ)
「みかぐら歌」のこのフレーズが想起されます。 この精神が平成時代にも同様に歌われていると言っても良いでしょう。
短いたった1首のお歌ですが、何度も何度も心に刻みたいと思います。 合掌