「ほんしんちつをゆてきかす」(明治9年) | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

教祖(おやさま)が執筆された、『おふでさき』は人類に公開されている啓示書である。1875(明治8)年に、甘露台の地場定めがあり、人類の根源地・礼拝対象の基点が明らかにされた。救けられた信徒集団が次第に形成されるが、その存在は、明治政府からは弾圧の対象となっていく。

 

 人々が単に救われた、有り難いだけでは、社会化される契機とはならない。1838(天保9)年から、教祖である中山みきを通じて顕現した親神には、独自の唯一なるメッセージがあった。それは、一挙に開示されることはなく、分かる者の成人に合わせてながら、叱咤激励して、明かされいく神の言葉である。少しずつ信徒は広がり始めていたが、立教からすでに37年間もたっていた。40歳の農家の主婦から、生き神となっていく中山みきのこの間の37年間については、断片的な史実しか残されていない。

 

1876(明治9)年頃に書かれた『おふできさき』第12号には、以下のお歌があった。

 

 

 このたびハ ほんしんちつをゆてきかす なにをゆうてもしかとしよちせ (12-141)

 

 

        [現代語表記: この度は 本真実を言うて聞かす 何を言うてもしかと承知せ」

 

 

 これは明治9年という特定の時節だけでなく、これを聞いている今も未来も、永遠なるこの度だと認識すべきであろう。

 

真実ではなく、本真実と強調しているところに、神のメッセージの絶対性、正当性が含意されている。そして、受け取る人間側に忠告として、これから神がどんなことを言っても承知しなさいという語りがある。 

 

 神様は、いつ、いかなることを語られるのか。

 

 その後、明治20年に生き神である教祖中山みきの肉体的死は、信徒に危機的な衝撃を与える。しかし、本席定めを通じて、飯降伊蔵が二代目の啓示者となり、月日の社であった教祖から存命の理を継承する。存命の理の啓示は、『おさしづ』として残されているが、それは1907(明治40)年までつづいた。

 

 その後は、啓示の継続性は否定される方向で、脱神秘化に傾斜していく。近代的な教学の整備、諸制度の整備、学校・建物の普請などで今に至る。

 

 「このたびハ ほんしんちつをゆてきかす なにをゆうてもしかとしよちせ」 (12号-141)
おふでさきのメッセージは、今でも永遠性を感じさせる。それは、明治40年以降も、継続した神のことばから仕込まれた魂の目線から言えることだ。 
 神の言葉は限定的に終わったと限界を自分で、つくれば、それが限界となる。 永遠に神の言葉は持続すると信じる者には、神の言葉が与えられる。 地場の夜明けを待ち望みます。