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「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 本席様の刻限御話に以下のものがある。 刻限話は人間の意思とは関係なく、神様の側から、決められた時刻に重大な思惑を明らかにするもので、伺いのさしづよりも重要度が高い。夜中でも、刻限の御用があった。神の館、神の屋敷としての地場に神意が発動していた時代である。神様は人間に何かを伝えたい、心に治めて欲しいことがあり、啓示が下される。  前後の脈絡や背景が分からないと、今では不明なものが多いが、聞いていた人たちは、すぐに分かった何かなのである。  

 

明治26年1月13日 夜2時45分

 

刻限御話

さあ/\/\/\一つの話、一寸掛かり掛けた。どういう事、もうこれだん/\広くの処、一寸暫くの処、あちらも狭い、こちらも狭い。取り寄せ。狭い/\所からよう/\取り広めた所、変えて事情一つ多くの中、やれ/\という。よう/\の日一寸移りた。日々の処多くの中の思やん、今まで内々思やん。これからは世界の思やんと立て替える。一戸一つの思やんは堅いようなものなれど弱いもの。一番世界の理から治めたら、どんな事でも治まるとも分からん。まあ一年で出来ようか、三年で出来ようか。一段仕上げて又一つ仕上げて二段と言う。分からんから皆道を失うて了う。これさえ/\とうまい事ばかり思うからどうもならん。大きいもの早く欲し、道筋取られて了た。年限知らんからどうもならん。この残念さ何とも知れん。世界多くの中、だん/\入り込んで一寸始め掛けた。内々に一つ事情、世界事情、広い心さえあればどんな道も付いて来る。話を砕いて持って行く。小さいからどんなに成るとも知れたものは無い。見えん先から知らしたる。何でもないと思うからそれまでのもの。一重二重積んだ、これまでというものは存命の間は頼り、一人又一つ事情をこれ一年の間に了うた。それより一時事情又一人、それより考えばどんな事でもはい/\、この理結構であります、この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。晴れん心にもろ/\がどうもならん。これ一つ何でも晴らさにゃならん。世界一遍に晴らそうと思えど、あちらから雲が出る、こちらから雲が出る。今までの処存命の間、一々一つの事情委せ置いたる。ふでさきにも出てある。十二下りの理にも出てある、十二下り出て居る。この事情からはい/\、この事情から聞き分け。たゞ一度の道じゃあろまい。通りたら分かる。三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。遠慮気兼は要らんと言うたる。頼み置いたる一つの理、十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。もうこれ心さえ曇りが無いと思う。曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。もう一段一寸掛かり掛ける。一度にも仕上げる。一時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってくれ。これまでよりだん/\思やんしてみよう。嘘は無い。嘘は一つも言うてない。これ事情にて、互い/\の心を治めてくれるよう。

 

以下のサイトから引用

 

 

 

 この刻限話は、この道が教祖一人(存命の間)から始まった歴史的経緯と意義を改めて説いたもので、人間思案の誤解や曇りがある中、きれいな道を作っていくことが、容易ではないことを明らかにしている。

  「おふでさき」そして「十二下りの理」とはどちらも、神様の思惑を言語化したものであり、人間が求める本真実が開示されている。

  手踊りの地歌である「十二下り」が、3回も引用されている刻限話で、神意が十二下りに込められていることに大きな諭しがあるようです。

 

 今後の「おさしづ」の勉強のために記録に残します。

 

 以下のツールをご作成の方に感謝申し上げます。

 

 

 

 2020年8月に投稿した記事が、結構読まれていたようなので、改めて改訂しました。

 

 

 

 

 大工の理とは、機械(啓示者)の意味であることを、掘り下げました。

 

 みかぐら歌12下り目の大工も同様な意味があり、地場には神の機械(啓示者)が永遠に必要な存在であることを匂いとして初めて公開しました。

 

 今後、12下りの意味を明らかにしたいと思います。

 

 

十二下り目 

「一ッ いちにだいくのうかがひに なにかのこともまかせおく」

 

「十ド このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた」

 

 世界の救済には、大工の人衆が複数必要である。神の詞(ことば)で鍛えられた魂の持主が必要です。

 

 教祖存命の理を体現する大工の理によって、地場は世界から慕われる構想がここにはあります。

 

 2025年、道の建て替えが始まります。

 

 

 

 

 

 

おふでさき12号に以下のお歌があります。

 

このしんをまことしんぢつしてみせる これみたならばみなとくしんせ (12-159)

(この真を誠真実して見せる これ見たならば 皆得心せ)

 

 人間の誠の心が深化発展し、その人の心を受け取って神様が守護してみせていく。心通りの守護という人間の日々の人生の出来事すべては、神様の守護であり、人の心を受け取って見せている。それを見せている神がいること、神の心が守護に添っていることを得心しなさいという、神様からの命令調のお歌である。 

 

 善も悪も同じように見せているが、なるべく悪は受け取らず、善はすぐにでも見せたいのが親心である。神様は親心一杯であり、あらゆることを見せているのである。

 

 人はその与えを神様の守護と感じれば良いが、自分の手柄だとか強欲を出したりすれば、それは長続きしない。 

 今、大国が自己都合の強欲を丸出しにしているが、このような国柄は衰退の大きな証となるだろうフランスの歴史家は見ている。

 

 悪しき理は、心の汚れを反省させるために見せている。避けられない人間関係の中から、悪口雑言、罵声を謂れれる。すべて、我が魂を磨くための与えである。 

 米価や野菜の高騰でも、飢えるほどでもない。戦禍に苦しむキーフの市民に比較しても、日本人ははるかに守護されている。ありがたい、もったいない日々である。

 

どのよふな事をするのもみな月日 なにをゆうのもみな月日やで (12-160)

[どのような事をするのも皆月日 何を言うのも皆月日やで]

 

 月日とは親神様の別称であり、日々の出来事、自然現象など形の世界は神様が支配され、守護されていることを何度も何度も説かれている。 

 

 科学の発展も、AIの発達も人間の文明の力なのではない。文化文明の発展も神様の守護によって、いかなることも生起しているのである。そして、この神様の思惑を伝えているのは、教祖(おやさま)であり、歴史的教祖が御身を隠されても、教祖存命の理は永遠と続くことが暗示されている。 

 

 神は永遠であり、語る人は代わっても、永遠に語り続ける。その語る人は本席様であり、歴代の00様である。 

 

  00とは、機械とよばれる神格者であるが、その概念は今の世俗化した天理教団にはない。 教団という形を超えて、人の心は自由であり、存命の教祖が、今も、『おふでさき』を通じて、永遠に、現代的に語りかけておられる。特定の宗教団体の中だけでなく、世界のあらゆるところで、神様の守護が満ち溢れている。  

 

    

 

 

『おふでさき』第六号十九~二十一に以下のお歌がある。

 

 それからはハどのよな事もたん/乀と 神のをもわくみなときゝかす  十九

 にち/乀に神の心わせゑたとて 人ぢう十人そろいなけねば      二十

 十人のなかに三人かたうでわ 火水風ともしりぞくとしれ       二十一

 どのような事でも神のする事や これをやまいとさらにをもうな    二十二

 

 第6号は、明治7年12月よりと、内扉に書かれてあり、また、第7号は、明治八年弐月と内扉に書かれてあり、その頃に教祖(おやさま)がご執筆されたものである。

 

 ここで、とくに21番目のお歌がで、「3人片腕」とは誰かについて、以下のような解釈が従来なされてきました。

 

東若井の松尾市兵衛

明治12年1月17日、45歳出直し

竜田の乾勘兵衛

 

大西の北野勘兵衛

中山秀司

明治14年4月8日、61歳出直し

中山まつゑ

明治15年11月10日、32歳出直し、

山澤良助

明治16年6月19日、53歳出直し

 

 

 こうした先人の解釈は、事後的にそうだったかも知れませんが、神意はもっと別のところにあるそうです。

 

 「火水風ともしりぞくとしれ」とは、人の出直しを意味するのではなく、神様の巨大な守護を意味しているのです。

 

 例えば、カリフォルニアのLA周辺の山火事を止めますよ。能登半島の洪水を止めますよ、またこの2月の暴風を止めますよというような巨大な天災、天変地異が治まることを預言しているらしいのです。 

 

 その治まる理由は、3人の片腕といわれる人衆たちの磨かれた、治まった心に神様がご褒美として、与える守護なのです。

 

 その3人とは、誠の中の誠の精神をもった人たちであります。

 

 十柱の中でも元の道具主8人の魂の中の3人かもしれないし、磨き抜かれた普通のどじょうの魂かもしれません。

 

 歴史にを残す宗教家、優れた偉人の魂が生まれ変わって、地場に寄せられています。神が見定めつけた3人の魂の心に乗って、大きな守護を見る変革の年となるかもしれません。

 

 自分がその一人になるという気概をもって、この3年千日の後半、教祖の年祭を意義あるものにしたいものです。

 

 「2025年、日本は再び蘇る兆しを見せるであろう。2050年になったら列強は日本の底力を認めざるを得なくなるであろう.」

  (森信三の言葉、『致知』2025年2月号、p.6)

 

 楽しみな巳年です。   

 

 

 

 

 

以前の記事を改訂しました。

 

 

 今の真柱様がリハビリで回復されてきたご様子で、身上を押して、おつとめに出られるお姿が信徒に勇気と希望を与えております。

 

 

 心の成人をするにはどうすれば良いのか。日々の与え、磨きの事情をどれだけ喜べるのか、しっかり心澄まして通りたいと思います。

 

 NTTは昔は、電信電話公社と称して公営企業体でした。電話も電信も国の独占企業体によって経営され、その後、中曽根内閣の時に民営化されたことは、有名な話です。海外に電話するのがかなり高額だったので、アメリカの親戚に話すときは急いで大変でした。

 

 米国から親戚が来るので、昔の写真を調べていたら、自分が生まれた時の御祝いの電報を発見。今から61年前のもので、以下の写真です。

 

  天理市からの発信で、マサノブとは恐らく、御分家の中山正信先生だろうと推測されます。

 

 

 

  

  私が昭和62年の夏季修養科の時、中山正信先生に一度だけ東回廊にてご挨拶したことがあります。その後、まもなくお出直しされました。その時、すでにご身上を抱えていたようです。  

 

  モトヒデとは父の元英(モトフサ)で、当時はまだ北区西ヶ原に住んでいたころです。私は東京都北区西ヶ原の須賀田病院で生まれました。

 

  父はアメリカのNYで天理教の教会で結婚式を挙げて、CPAの資格をとって、日本に帰国しました。当時はPWJapanで公認会計士の仕事していたようです。

 

 祖母が熱心な天理教の布教師で、東京教区の教務支庁によく出入りしたことから、本部直属の布教所?だったらしいです。 

 祖母には船場の詰所?に幼い頃、連れていかれたのがお地場の原体験です。どこかの魚屋でドジョウを三島の本通りで見た記憶があります。

 

 その後、昭和49年頃、父が天理教の東京教区の野球チームで監督だったN口会長と再会して、子供の私は荒川区のH分教会で小学5年生ころから、天理教と関係を持つようになりました。

 

 私の天理教への研究は、内面的欲求から自発的に教理関係の図書を読み進めたところから始まりました。

 

 

 以下の写真は、電報とともに張り付いていた、親里の写真です。恐らく、私が生まれたころのお地場だと思われます。

 

 

 

 

 

 以前に書いたものを、書き直しました。

国会デジタルでも見らえる、桝井孝四郎さんの書籍『道の秋』の一節「おさしづに就て」からの学びと考察を入れました。

 

 この論説は、『道の友』に寄稿されたものからの採録かも知れません。

 知人の00様から「おさしづに就て」のタイトルで一から六まで区分けされた桝井孝四郎「『おさしづ』に就て」を頂きました。

 

 

 

 なおこのエッセーには、「昨年末『おさしづ』、本年春『おふでき』の本部より公刊」の一節があるが、昭和14年には、両署とも回収となっており、戦時体制下の宗教弾圧=「革新」を天理教は受けた。

 

 

 

 

 

 2021年頃に書いたものを修正しました。 その頃は、コロナ禍のなか、本業での役職もなかったので、空いた時間が大量にあったようです。今は、書く時間もないですが、読まれている方がいた記事だったので、再度、ここに掲載します。

 

 真柱の理とは、最新のお話によれば、単に役職をあらわす言葉ではなく、信仰心の真実の心を建てるという、より次元の高い意味がありま。  それは、別稿で書きたいと思います。

 

 
 
 

中山善司様   画像は以下のサイトより転載

 

 

 

 2024年10月24日、御本部大祭にて真柱様が神殿講話されました。 短いお話でした。 天保9年の話が全くなく、能登の地震から、今の時代の深刻な世界情勢を説かれて、神の急きこみが何かをそれぞれに各自で判断しなさい、年祭の目的は自己の責任において立てなさいということで、本部からの目標開示が今の年祭にはない事が判明しました。

 

 喜びの信仰、喜べる理、この道の尊い教えが何か、これからつづって参ります。    

 秋の本部大祭が曇り空の中、奈良県天理市の教会本部の神殿にて執行される。

 

 

 

 真柱様のおつとめ後の神殿講話もありました。

 

  大変短いものでしたが、身体不自由のなか渾身の想いでお話されたようでした。三年千日の中間地点にあたる。年祭は各教会ごとに目標を定めるという新機軸とのことである。正月の能登半島で地震、さらに9月にも大雨による同地での被害。神様のからのお仕込みの意味は何か、心の成人が足りないことをしっかり悟り、残りの年祭期間を勇んでお通り下さいという趣旨でした。

 

 青年会の総会は、本日前夜祭があり、明日の10月27日にあるようです。

 

 「秋を合図に」と時代が変わる今、しっかり心をつくり、日々完結の理を見ている中、神様の与えを存分にたんのうし、埃をキレイに払っていきたいと思う。

 

 実際のお話は以下でも聞けます。