教祖存命の理とは何か―本席のさしづが神の言葉 | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 天理教において教祖に対する信心が確立され、その教祖として歩まれた50年の道すがらは雛型の道として信仰者が振り返るべき模範・範型とされる。

 

<キリスト教の神学的伝統>

 キリスト教徒にとってナザレのイエスは人間であると同時にメシア=救済者=キリストであるとされる。イエスが自分を神であると語ったのかはわからないが、パウロによればイエスは人類の罪を贖うために磔刑にされたと解釈し、それがキリスト教の正統教義として伝統化された。それほどに神は人を愛している。そのイエスを受け入れることこそが信仰者として義とされるという。イエスの生涯は新約聖書の四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)に共観福音書として記載されている。マタイ伝がもっとも詳しく記述されている。聖書学の伝統があるキリスト教会では信仰者は聖書(バイブル)からイエスの生涯を知り、イエスがなした奇跡、そのみ言葉、癒し、指導力、カリスマ性、その過激な言動に心を動かされるのである。その精神的伝統が2000年も続き今にいたる。では本当にイエスが語ったこととは何か、史的イエスとは。聖書学者たちはさらに細かく研究を続けている。

 

<仏教も創唱宗教>

 仏教でもブッダの語った言葉は何か、原始仏典を明かす研究が言語学的にも進んでいるに違いない。中村元先生のような碩学も比較思想学の視点から、ブッダ理解を進められた。大乗経典が何万冊と構築され、その仏教の教えは日本においてさらに完成されたという。聖徳太子から始まり、平安期のスーパースターである最澄や空海らが仏教教義をさら深めた。さらに鎌倉新仏教の祖師たちがすぐれた解釈をしなおすことで仏教は民衆化され、江戸期には寺請制度とともに葬式仏教として制度化されてしまった。

 いずれにしても各宗教の創始者の生き方は洋の東西を問わず、人類の歴史に大きな精神的影響を与え続けてきたのである。

 

<天理教の始まり>

 さまざまな宗教各派が教えを競うなか、大和の田舎において天理教という新しい教えが一人の女性教祖を通じて開かれた。そのご生涯が信仰のモデルとして、『教祖伝』が稿本として教会本部から公刊もされている。誰でもいつでも読むことができるし、複数の外国語にも翻訳がされている。

 

 その教祖のご生涯を「ひながた」として学ぶことの必要性は、本席様の時代から始まったといっても過言ではないだろう。教祖がご在世中も生き神として慕われたことは確かだが、助けられた人たちは沢山いたことであろうが、教祖にならって人をたすける人間へと変容した信仰者はそれほど多くはなかったと思われる。

 いわゆる教祖の高弟と言われる列伝記が天理教では十分に確立していないが、教祖がみずからが信仰に心血を注いだ目的は、人類救済という壮大な事業のためであった。そのために自らが火の中、水の中、剣の中もいとわず、あえて艱難辛苦の中をも通り抜けられたのである。教祖の払われた自己犠牲的精神の数々は史実として伝えられ、教祖伝・逸話編においても公刊もされている。

 

『おさしづ』の中でも、以下のようなものがある。

 

 「天理王命というは、五十年前より誠の道である。ここに一つ処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。元五十年より始まった。元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何も知らん女一人。何でもない者や。それだめの教(おしえ)を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うだやなし、女の処入りこんで理を弘める処、よう聞き分けてくれ」(明治21年1月8日、松村吉太郎 おぢばへ参詣おさしづ)

 

 これはのちに天理教教会本部の重鎮となる松村氏が当時21歳の時に頂かれたもので、根本教義を神直々の言葉として伝えたものである。若いインテリの松村氏には農民や職人という下層の信仰者たちが多かった中で信仰への疑問も生まれたことであろう。その中で、教祖の五十年の生涯、それも無学な教祖がなぜ五十年を歩まれたか、神が入込んで、理を弘めるための道であったことが簡単な言葉で伝えられた。人を見ているか、神を見ているのかと神様からのご注意が下されたのである。人間の智慧や学問がいかに発達しようと、その人間を創造した神が一人称としてその神名を明かして、彼に語りかけているのである。これは俄かに信じがたいことである。しかし教祖のご生涯をまじかに見てきた松村氏である。教祖が語った理の話について詳しく聞き、納得していた松村氏に神様はあえて、教祖の生涯を想起させたのであった。

 

<おさしづにみる【ひながたの理】 明治22年11月17日の有名なおさしづ>

 このほか『おさしづ』では教祖の50年の歩みを「ひながた」という用語で、何度もその「ひながた」を歩んでほしいことが繰り返し説かれている。特によく引用されれる「ひながた」の意義は、「明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話」と割書きのある「おさしづ」であろう。

 

 

 「ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。・・・・わずか五十年。・・・・三日の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。・・・・」

 

 

 この明治二十二年のおさしづでは、本席様の通られた道が「ひながた」であるとされていることが注目に値する。本席様は人が馬鹿にする中でも、毎日お屋敷に運び、ついには「親子諸共屋敷ふせ込んだ理」(明治31年8月2日)があるのである。

 

 そして教祖から最も頼りとされるお方となった。「日本一の大工」とも神様からお褒めの言葉も頂いておられる。ここにはひながたの普遍性、その実践原理が明白に説かれている。低い心、謙虚な心となって、日々のご守護を真から喜べる心になって3日、さらに3年間歩んで御覧なさいという、ひながたの実践が説かれている。日々の積みかさねによって人間心を払しょくして神様の心となって歩んでみなさい。古い人間から新しい人間になりなさいというお諭しである。

 

 教祖存命の心は本席の心と一体であることは以下の「明治三十三年 十月十四日 本席身上 おさしづ」からも読み取れる。

 

「めん/\一代鮮やか見たら、道というは解釈次第々々々々。どんな事も何でも解釈々々誰する。一年二年前もうならんという處、まあそうではないと解釈したは、前かくれた者。働いてる者分からん。これから皆心に浮かばす程に。心に見せる程に。こんな事諭した事無い。扉開いて、これからという。扉を開いて働き切って居る。影姿分からん。ほんの時々席に一つ理持たし、教祖存命の心やで。さあ/\成っても一つ成らいでも一つ、成らん/\の道、あちらへ隠れこちらへ隠れて通りた事思うて居りゃ、よい/\。思うて居りゃ、いつになっても/\消えそうな事はない。だん/\楽しみと傳えて置こう。」

 

 上記のまた下記のような本席身上の言葉は概ね刻限話である。本席様の身上を合図として神様の御用が掛かってきていることが周囲に明白にわかるからである。これは人間にどうしても治めてもらいたい話があるということである。「明治三十七年七月二十七日 本席身上御障りに付 願」

 

 「・・・・今 席と言うたら教祖とは違うなれど、万事入りこんでの話すれば、教祖一つの理も同じ事、と諭し置こう」

 

 本席を通じた天の声は存命の教祖の言葉であることが何度も繰り返し諭されている。肉体の中山みきは亡くなったとしても、その想いは本席という別の人間の肉体を通じて現れている。この点が『おさしづ』全体の流れている、大きな主旨であった。

 

<誤解された教祖存命の理>

 目下の教団の理解では、教祖存命の理について、火事の中で、赤衣を来た女性が導いて助けてくれたというような個人の体験談の中で(上田嘉世『おやさまの教え』(2018年))、または不思議なお助け現場に教祖が御伴してくださったからという信仰者の体験話などが、あたかも存命の理であるかのごとく解釈されている。

 教祖殿では、本部婦人による目に見えない教祖への給仕、お風呂、お散歩への御伴などあるそうだが、これらは存命の理に対する信仰的証として尊ばれている。植木職人の仕事を本部でひのきしんされていた方が、教祖が庭を散歩で通られるときにご挨拶をしなかったために、梯子から落ちてしまったことを反省された話も聞いたことがある。これも体験談的な存命の理の理解である。

 こうした不思議な体験話は否定するものではなく、その人たちにとっては真実の話であり、心の宝物とすべき体験談である。しかしこうした体験談を「教祖存命の理」の説明原理にしてはいけない。

 

<教祖存命の理の真の意味>

 教祖存命の理とは、本席を通じた神の言葉、啓示の言語そのものであることを改めて想起しなければならない。天理教は立教して181年目であり、世界に広がる伝統的な大伝統のもとにある宗教と比較してまだまだ幼く、若く、マイノリティ(少数派)にしか過ぎない。天理教が真に「だめの教え」となるには、「教祖存命の理」という言葉の元々の意味を復元しなければならない。

 

<100年前に酷似した現代の世界情勢>

 100年前に第一次世界大戦が終了してパリ講和会議が開催され、平和のための世界連盟の設立が設立されたがモンロー主義の立場をとるアメリカが不参加となり、やがてファシズムが生まれ、第二次世界大戦へと突入した。それから100年たって、今の世界も1930年代に似ているという。メキシコからのキャラバンを敵視し、アメリカファーストを唱える大統領がいて、善意の移民政策を進めたドイツのメルケル首相は右翼の民意に敗北してしまった。自分さけよければ、我が国さえよればという世界の大国の民主主義の意志で世界政治が動いている。

 

<真柱の身上>

 かかる中で、地場を治める真柱様のご身上は、大変なお仕込である。天理教にとってはこれ以上ない一大事件である。世界救済に責任ある地場であり、真柱である。世界の事情を地場の事情が映している。

 今なるの存命の教祖の理を求めることが真に切望される。

 

 「さあさあ 裏は鍛冶屋 表大工。この理何処からでたるか考えてみよ」

 (明治三十一年八月二日)          

 

 合掌