啓示宗教としての天理教―神の実在の証明としての教祖の雛型 | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 神がいるのか、いないのか。なぜ人間は幸福になれないのか。それに答える道として様々な宗教や信条が現れて、常に宗教リバイバルが起きていると宗教学者のチャールズ・ロングさんも語っていたのを聞いたことがあります。

 天理教が生まれたのは、教祖となられた中山みき様が「ひながたの道」を通られたからだと信者さんたちなら普通にご存じでしょう。しかし外部の研究者たちはそう簡単には信じません。その代表例がT大学の名誉教授となられた島薗進先生の学説でしょう。そのご研究で日本宗教学会の学会賞も獲得され、トップスクールの教授となり、日本宗教学会の会長も務められました。客観的で社会学的な立論から、中山みきの神がかりの現象は、中山みきが家族の病気に行き詰まった中から、自らが神を作ってしまった、構想してしまったという説明原理です。いわゆる実在の神を措定するのではなく、人間の心理によって神が構成されたという論理展開です。恐らく天理教の教祖伝も読まれたはずですが、このような解釈が普通になりたってしまうのです。

 稿本天理教教祖伝では、第1章の冒頭で、天保9年(1838年)の天理教の立教の由来が細かく記述されております。二代真柱様の時代に出された稿本の構成は正鵠を得ているでしょう。中山家の中でおきた出来事は、一家庭の存続を願う加持祈祷を行う中で、巫女役となったみきから「我は天の将軍である」との言明が下されたのでした。幕藩体制の中で、将軍というたとえを利用して神が1人称で話し始めたのでした。『復元』によれば、十柱の神名もそれぞれにその守護を語ったとも言われます。元の神、実の神という名称を使ったというより「天の将軍」というのが実像らしいのは『復元』に記載されております。『みかぐら歌』に元の神、実の神という表記がありますが、本部の記述を神様が許したことのようです。

 夫の善兵衛さんにとっては、子供多いなか、妻を通じた神の命令は到底受け入れるものではありませんでした。

 「みきを神の社としてもらいうけたい。それができないならこの家は粉もないようになる」との神様からの脅迫でした。もし引き受けないなら、承諾しないなら、中山家は断絶だということです。みきから発せられる大音声に子どもたちは震え上がったと言います。みきはいわば巫女としてトランス状態になっていたのでしょう。神人問答が数日も続き、中山みきは何も飲まず、食わずで、御幣はちぎれ、鬼気迫るお姿です。このままでは命も無くなるという姿となりました。そして、善兵衛さんは止む無く神様の命令を受諾したのでした。ここに神と人間との回路が初めて開かれたのでした。明確な言語を通じて神の思惑が、1人のご婦人からその亭主に伝達されることになったのでした。天保9年10月26日朝でした。

 真柱の制度が確立する前において、善兵衛様はまさに人間側を代表して、神の命令を受け取る側だったと見ていいでしょう。

 その後、教祖となられた中山みき様は、育児も家事も放棄されたのか。以前とは明らかに違ったことでしょう。教祖伝には何も記述がありません。しかしその後、内蔵に籠って、神様からたくさん教示を受けたことだけは確かです。そして農村のご婦人から、一信仰者として次第に急速に成人を遂げられたと思われます。神がかり以前は何も知らない主婦です。今の小学生くらいの教養しかなかったでしょう。いきなり生き神となったのではありません。神直々に教えられなかで、日々の見えることを信仰的に捉え直して、彼女自身が新しい人間へと変容したに違いありません。

 その後、貧のドン底への道が待っていました。庄屋さんであった中山家の豊かな財産を売り払う道があったのです。最終的には母屋を取り払うということまで神様は命令しました。これは貧乏神がついたとしか思われない道中です。しかしみきを通じた神の命令に従わないと、みきの体に異変が起きます。中山みきという人間の肉体は、まったく神様の貸しものであり、人間にとっては借りている肉体であることがまざまざと示された道中でした。  

 教祖自身も夫の悲しむ姿をみて、何度も自ら身投げされようとされたほど人間としても行き詰ったと言われますが、身投げ自体も神様の命令だったのかもしれません。ただ神の声が聞こえて、それを止めたと教祖伝か逸話編に書かれてありますが、実際には隣に住んでいたある女性が宮池で入水されようとしていたみきさんを止めたという古老話も伝わっております。

 とにかく豊かな家が貧しくなる一方で、これは社会的にも許されない異常事で、親戚縁者からも見離されたことは確かな史実だと思われます。立教して16年目、母屋の取り払いがあり、教祖は道の将来を祝ったと言いますが、善兵衛さんは、絶望のどん底だったと思います。人間始まりの時の、ぎ様の魂だといわれても、貧乏への道となり、世間からは馬鹿にされて男性としての面子も失ったことでしょう。

 フェミニストからすれば、女性教祖の姿は英雄的でもあると跡付けでは解釈できますが、中山家の悲劇を一身に受けたのが善兵衛さんであり、失意のうちに立教16年目の嘉永6年(1853年)に出直されたのでした。

 その後におびや助けや霊救が始まるという快進撃に転換するまでは、このような貧のどん底をさせる神様に対して誰が信仰をもてるでしょうか。夫は妻から将来の楽しみなど聞かされたはずですが、全く理解できなかったと思います。神様を理解していたのは教祖お一人だけだったのです。教祖は天保九年以来、神を知った一信仰者となったのです。現象世界で起こることはすべて神様の貸しものの世界であり、生起することはどんなことでも神様が許して起こしていると信じていたのでしょう。貧しくなるのも、夫がいつまでも無理解であることもすべて神様が見せている世界であると認識していたのでしょう。人間にとって夫婦関係を治めることほど難しいことはありません。毎日一緒にいるわけですから。教祖は心を尽くして、夫に神様の話を説かれたはずですが、その内容は何も伝わっておりません。ただ貧のどん底に進むなかで、夫に対して理路整然と理の道を説かれ続けたはずだと思います。それで夫もそういうものかと納得しつつ、疑問に思いながらも妻に従ったのだとと思います。

 教祖の心は泰然自若とされておりました。いつも何事が起きても喜んで通られたのです。立教の年に生まれたこかん様には、「水を飲めば水の味がする」と励まされた言います。

 貧のどん底への道は、「屋敷の掃除」であるとして、中山家の汚れた魂をきれいに磨くために必要な過程だとされております。このような魂の教説、後に生まれる不思議な助けなど、また体系化されたつとめや元の理の話などが出てきますが、これらが人間中山みきの創造物、構想物とするには、かなりの無理があると思わざるを得ません。

 のちに警察からの迫害弾圧もありますが、また監獄の中で警察に足蹴にされたという史実も実はあります。その中でも教祖はいつもほがらかに陽気で心を倒すことはなかったのでした。苦難を苦難とせず、喜びに変える信仰心が誰よりもあったのでした。

 人間はもともと神様によって生かされている。肉体はかしものかりものである。人間には心があり、その汚れた心を払っていかないと真に救われない。神様に喜んでもらう方法として、神様が教える「つとめ」という儀礼がある、これをしっかりつとめて欲しいと。心はどこまでも自由であり、自由な心を使って存分に喜んで生きて欲しい。神様は人間の心に乗って、あらゆることを守護していく。神様に感謝する方法としてのつとめ、創造原理としてのつとめ。そうした根本教義が教祖を通じて明らかにされました。

 教祖の生涯そのものは、生き神としての人間のあるべき生き方の指針を現実的に残されたもので、それは50年にも及ぶ、艱難辛苦の道でした。天の神が天下って、中山みきを通じて、神とは何かを人類史上初めてあきらかにしたというのが、教祖の50年のひながたの道です。

 T大の先生が教祖の心を心理学的に解釈して、神の実在を否定されたとしても、それは人間世界のことであり、神様があるかないかは、その人の心の中に生きているだけのことです。神様はいないかもしれません。目には見えないから。しかし信じる人には、この世があり、人間があること自体が神様の存在証明となります。偶然に宇宙や人間が進化して誕生したのではなく、ある大きな必然性のもとに人間が誕生したことは、科学的にも正しい。これは科学がさらに進歩した今だから言えることです。

 人間は生きているのではなく、生かされている。生かされていることの喜びを深めるのは日々の出来事の中に神様のなさってくださる世界を見ていくということです。そのようなことを神様は連綿として啓示を通じて明かにされておられます。

 

 天理教は啓示宗教です。元の神、実の神が教祖を通じて顕現されました。ヒエロファニー(聖なるものの顕現)という概念にもくくれますが、一個の肉体を通じて、言語行為を伴って自らの実在を明かされたのです。人類の歴史で初めて、天保9年から開示されました。この始まりの史実、教祖のひながたの50年は、未来永劫、何億年経っても記憶されるべき出来事なのです。たった一人の女性の命をかけた信心から天理教という教えが始まったのです。それゆえにそのひながたのご生涯は尊いと思われます。     合掌