ぢうよぢざいのさしずしよこや   (明治8年6月) | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 

月日よりたいないよりも入こんで

ぢうよぢざいのさしずしよこや   (おふでさき10-74)

(月日より体内よりも入り込んで 自由自在のさしず証拠や)

 

 『おふでさき』は教祖(おやさま)が執筆された、神の言葉であり、神直々の指図(さしず)でもある。God Command Theoryと倫理学的には分類される、倫理的理論が説かれる。

 

 月日とは元の神であり、実の神であるが、そのような超越的実在が一者として、中山みきの肉体、あるい飯降伊蔵という肉体を借りて、自由自在にその神意を伝える。夜中でも監獄の中でも、神は語りかけるのである。

 

 教祖の生の神の声はほとんど書き取られなかったが、本席様の時代には書き取り体制が構築されて、『おさしづ』として残されている。

 

 教組や本席様という生身の人間を通じて、神の言葉が下される。天啓であり、啓示ともいわれる。その生き神の姿が神の実在を明かす証拠となり、理の所在を明かす。

 

 甘露台が人間創造の原点の地に建てられる預言が下され、6月29日(陰暦5月29日)に教祖は、甘露台の地点が中山家の屋敷の中にあることを初めて明らかにされた。

 

それゆへにいまゝでどこにない事を

ばかりゆううてはじめかけるで   (10-75)

(それ故に 今までどこにない事を ばかり言ううて始めかけるで)

 

 人間には全く未知のことを神は伝えたい。それは永遠の取り組みであり、本席様の遺言の『百日さしづ』にもある通り、永遠に神の思惑を伝えていきたい。 

 

 甘露台は人間進化の理想を示すものであり、人類の魂を一列に澄ます起点であることも明かされている。

 

このやしきかんろふだいをすへるのハ

にんけんはじめかけたしよこふ   (10-79)

(この屋敷 甘露台を据えるのは 人間始めかけた証拠) 

 

 なに事もみなこのとふりはちめかけ

せかいぢううの心すまする     (10-80)

 (何事も皆この道理 始めかけ 世界中の心澄まする)

 

 日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を取られたことが10月11日に発表された。50年ぶりの意外なノーベル平和賞の受賞おめでとうございます。核兵器のタブーに挑戦する世界の政治情勢への警鐘である。

 

 関連施設の第5福竜丸展示館は都内にあり、無料です。

 

 

 

 

 真の世界平和とは人類の心が甘露台の前で澄むという理想をこの道は明かしている。

 

 壮大な甘露台一条への道、永遠の道の一里塚として、本日記す。