1890年代の日本資本主義形成期に天理教・金光教が全国展開した | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 経済史と宗教史は水と油のように全く個別独立した分野として、研究されてきたように思われるが、

大谷渡(1992, p.30-31)の以下の言説には、大いに啓発された。

 

 「天理教と金光教は、一八九〇年代における日本の資本主義形成期に全国的に展開した。天理教の教会数は、一八九一(明治二四)から一八九六(明治二九)までの五年間に三二から一挙に一二九二に急増しており、一八九六年には秋田県を最後として沖縄を除く全国各府県に教会数を設置し終えた(中山正善『天理教伝道者に関する調査』、天理教道友社刊、一九三〇年)。金光教は・・・。」[大谷(1992) p.30-31]

 

「北分教会は、一八八〇年代後半に大阪北区を中心に東成郡、西成郡および近府県にも布教線を伸ばしつつあった天地組という講名を持った信者の小集団が、教会組織に改められたものであった。この北分教会は、一八九一年の設立以降一九〇〇年までの一〇年間に、西日本を中心に急速に布教線を伸ばすとともに、関東および北海道にも進出し、大いに部下教会を増加させた。一九〇〇年までに、大阪以外の府県に設置された部下教会は、一〇九に達した。

 葦津分教会は、明治二〇年代後半に中国地方と九州に布教線を伸ばして一六の部下教会を設け、明治三〇年代には、二二の部下教会が大阪以外の府県に設置された」(明治二〇年代と明治三〇年代の『道の友』による)。[大谷(1992) p.32]

 

 中西昭明編『天理教直属教会略史』(天理大学宗教文化研究所、一九五六年)によれば、教派神道の独立教派となっていたう神道本局(神道大教)所属の神道天理教会を設置して、布教の合法化に成功[大谷(1992) p.23]。講組織を神道の教会として整備することになった。

 

  明治22年 明心組 ➡ 神道天理教会所属 船場分教会

       真明組 ➡ 神道天理教会所属 芦津分教会

  明治24年 天地組 ➡ 神道天理教会所属 北分教会 (曽根崎新地)

  明治25年                 西支教会 (西区立売堀)

                      此花支教会 (南区湊町)

 

 社会や経済の発展の背後には、神様からの守護そのものが形として見えてきたことが理の視点から言える。信仰の有無にかかわらず、等しく人類全般は守護されている。世界があるのも、宇宙があるのもすべて神様が創造・維持されてきた有形の世界を我々は享受している。経済発展も企業の発展もデジタル化の推進もすべて神様の守護なしにはあり得ない。 

 

 特定教団の教会の発展だけが、神様の守護ではない。あまねく森羅万象は、神様の守護している有形の世界でおきている。

 

 天理教の立教(1838年)した年を契機として、地球の人口が急速に伸長したことがよく知られている。また我国においても、天保9年に神がこの世に現れて以降、幕末の動乱を経て明治維新へと日本は急速に近代化した。 

 

 宗教史と経済史を分断せず、統合的な次元から世界史が描かれていく時代もいつか来るだろう。

 

 

 

参考文献

大谷渡(1992)『教派神道と近代日本 天理教の史的考察』東方出版。