淑女との戯れ ダットサン フェアレディ -18ページ目

淑女との戯れ ダットサン フェアレディ

フェアレディSP311の再生記事を中心に、あれこれと気ままにつづっています。

できるときにやっておかないとね

 

昨年破けてしまった軒先の波トタン。もう10年以上前に張られたものでとっくに製品寿命は尽きています。

 

 

ゴールデンウィークでやりたいことは数あれども、やらねばならぬものの優先順位は決まってくるもの。

淑女のことはやはり後回しにしなければならないので、とっととトタンを張り替えてしまいましょう。

 

経年劣化した波トタンは簡単に割れること割れること。バリバリと高所作業に気を付けながら剥がしていきます。

 

 

飛び散った破片の掃除にこの後時間を取られてしまいました。

 

さて、後は新しいものに張り替えるだけのつもりだったのですが、はげちょろけの躯体はやはり塗装をし直さねばならぬでしょう。

そんなわけで、とりあえずは張ってしまうと塗りづらいので、上部の塗装を先にしておくことにしました。

元はホワイトでしたが、気分を変えて「フォレストグリーン」なる深緑の塗色にすることにしました。

ホワイトよりも少し落ち着いた感じになると思ったからです。

 

 

ここまでで、夕方になってきたので翌日に作業に続きをすることにしました。

 

そして、新しい波トタンに張り替えました。

今回はポリカーボネート製品ですから耐久性はかなり良いでしょう。

継ぎ目にはごみが入り込まないようにコーキングを施しました。

 

きれいになって気分も爽快です。

 

 

作業途中で、歯医者さんに行ったり、別に住んでいる母を誘ってランチ&墓参りに行ったりと連続作業はできませんでしたが休み中に完成したので良かったです。

 

明日から平常に戻ります。仕事もしないといけませんからね(笑)

 

 

取り急ぎ前回の訂正から・・・

 

前回のブログでは、背もたれから判明したウレタン素材の商品名を「エバーライト」と記載したのですが、古い写真を整理していたら以前記録した写真に写っていたのは「Eversoft」つまり「エバーソフト」という商品名が明記されていました。そんなことはすっかりと忘れていて、先日の劣化して読みづらくなった商品名を読み違え、エバーなんとかで検索したところブリジストンのホームページから現行商品の「エバーライト」を見つけ早合点してしまったという次第です。

 

そこでその「エバーソフト」なのですが、パンフレットはこちらです。

 

 

ちょっと歴史を紐解いてみます。

1950年(昭和25年)ブリジストンの石橋社長は米国でフォームラバー工場の見学をしました。

それを基に試作をし、1952年(昭和27年)「エバーソフト」として発売し、座席用、寝具用として普及します。

1958年(昭和33年)には国内市場の50%超のシェアを獲得します。

 

翌1959年(昭和34年)ドイツバイエル社とフォームラバーの製造技術の導入契約を交わします。

商品名を「エバーライト」とし「エバーソフト」とは競合関係であったが、安価で販売できる「エバーライト」が凌いでいき置き換わっていきます。

 

このような流れと、他社にも同様の競合製品が表れていき徐々にその座から消えていったようです。

 

小生の記憶の中での「エバーソフト」。まだ或る程度健在だった時の感触は、ウェットな感触という表現が適当かどうか意見は分かれるでしょうが、コンニャクみたいな感じで、ぐにゅっと掴む感じ。或いはちょっとブルンブルンとした感じだったと記憶しています。最近のウレタン素材はドライな感触で、硬めのものはギュッと掴む感じ、やわらかいものはクシュっと掴める感じかと思います。その感覚特性からも過去のものになってしまったものだったのだなと思います。

 

そのなれの果てが今回の我が淑女のシートウレタンです。

 

それでは今回の進捗状況です。

 

ゴムベルトの状態です。

これはどうにもなりませんね。

ひび割れて伸びてしまっていますから、作り直すか代替え案で対処するかです。

 

 

それと、左右のシートフレームの違いが初期のSP311にはあります。(おそらくSP310も同様かと思います。)

それは、シートバックのロック機能の有無です。

 

 

左が助手席用で金具がビス止めされています。右は運転席用で金具がありません。

助手席は簡易的ではありますが、一応シートバックは固定されますが、運転席はそれがないのでブラブラです。

シートに人が座っているから倒れてこないという発想なのでしょう。

面白いですね。

 

これが純正の仕様ですが、お手製でも簡易的なロックはできるように改良した方がよいかと考えあぐねています。

 

それらを踏まえたうえで、錆びた躯体の研磨作業をします。

いつもの3M製のCNSベベルを使います。錆と塗装を剥ぎ取るには最適のアイテムです。

CNSベベルと同様の製品が各社から出ていて、いくつかの製品は試しましたが、これには及びません。

摩耗が早すぎたり、研磨性能が劣っていたり、といったことが他社製品では感じました。

 

粗削りですが、大体研磨したところです。

 

 

そのあと、細部のブラスト作業等をしました。

 

サビ鉄用塗料で塗装し乾燥します。

 

 

庭も少しにぎやかしくなってきました。

良い季節ですね。

 

 

ミツバチもきています。

 

 

どこに巣があるのかな?

おいしい蜜の製造所

 

 

 

 

 

 

 

 

パンドラの箱を開けるとそこには・・・

 

更なる熟成がされた魑魅魍魎がお出ましになるのだった。

 

 

もはや原型を留めていない座面と崩れている背もたれ。

 

 

ベースの麻布も露わになりそれさえボロボロ。スポンジはカチコチに固まっているところもあれば、湿気って固まった砂糖を触ると崩れていくような感触でサラサラと分解されていく始末。

 

もうこの座面に明日はない。

 

消えたもう一枚の座面はどこへ行ったのだろう。捨てた覚えはないのです。

よくよく確認すると、背もたれに同化しているように張り付いていました。

 

 

この座面は、前回のブログで29年前に撮ったそのものです。風化具合が尋常じゃありませんね。

 

背もたれに、「BS Everligt」の文字があります。(hは入ってないようです)

これは、ブリジストン製品のエバーライトというウレタン素材の商品名です。

こちらは現行素材のようです。ブリジストンのホームページに紹介されています。

 

追記(この商品名については、間違いであったことが判明しましたので、次回の記事にて訂正内容を書きます。)

 

 

JISマークもありました。

 

 

ただ、現行素材であっても個人で購入するようなものではありませんので、代替えには別なものを用意していますので再生にはそれを使います。

 

フレームの方はどんなでしょう。

 

 

 

 

相変わらず酷い惨状ですが、室内保管であったので錆の進行はしていないと思われます。

運転席は上記のような状態ですが、助手席は意外と錆はましな状態です。

 

 

こちらは背もたれの内側です。

ボコボコに凹んでいます。

これは左右共にこんな状況です。

恐らく、荷物などをシートの後ろに入れて無理やり座ったために凹んだものと思われます。

或る程度は直さないといけませんね。

 

表側は、1965年(昭和40年)当時の組み立て作業員による見事な達筆を見ることができます。

何て書いてあるのでしょうか?

 

まーいい加減な糊付け作業です。

 

 

これが、2022年(令和4年)5月の現状です。

 

明日も順次作業を進めていきます。

 

 

 

 

 

 

 

封印は解かれて魑魅魍魎が放たれたのであった・・・

 

内装作業も進展してきたところで2022年(令和4年)のゴールデンウィークへと突入。

前半は所用もあり、また天候も今一つでしたが、後半は天気も上々という予報です。

 

そこで、ようやく29年の時を経て一つの封印を解くことにしました。

つまり、1993年の4月に前回の再生を行いましたが、その時余りの酷さに手におえず、仕舞い込んでいたものがありました。

それを今回は再生して取り付けることにします。

 

シートの再生の1回目は、プロローグとして29年前の画像を確認方々見直します。

 

淑女が我が家にやってきた1993年1月のその日に撮ったシートの写真です。

 

 

へたれてはいるものの破けているわけではありません。

ただ、座り心地がよろしくないのです。鉄骨フレームが直接当たる感じです。

 

しばらくはそのまま乗っていましたが、3月に事故を起こしてしまったことを機会に4月より再生作業に入りました。

 

車体の再生作業と並行してシートも再生すべくぬいぐるみを剥いでみると溜息をつくほかない程のいかれた惨状がそこにありました。当時の技量ではとても手を付ける気になれず、結果としてバラしたまま手を付けることなく封印してしまいました。

 

まず一番途方にくれたのは座面のアンコです。

粉々になってかなり消滅してしまっています。これではフレームに直接座ってるも同然です。

 

左が表皮、右がアンコ。

 

背もたれのスポンジは形も弾力もまずまずでしたがへ立って小さくなっている感じです。

防水の為?のビニールがかかっていました。

 

 

背面は、鉄板を覆うように綿が前面の背もたれのスポンジ側面までを薄く覆うようにしてあります。

これは、もう少し後の時代なら、薄手のスポンジかフェルト材などを用いることでしょう。

この部分も湿気を含んだことによる腐敗が酷い有様です。

 

 

裏返すと、シートレールがついていますが、錆の進行が酷くグリスの切れており稼働するのも座ることでやっと動くような状態で、前後させるたびにゴロゴロと動かないベアリングを無理やりデコボコのレールを引きずる感じです。

 

 

フレームだけにしたところですが、全体が錆に覆われている状態です。布入りゴムのベルトもヘロヘロと張りもなく歪んだ状態です。

 

 

フレームのアップです。

 

 

こんな状態でしたし、布入りのゴムベルトの入手は、ベルトコンベアのベルトが使えるなどと聞いたものの全くめどがつかず、断念することにしました。

 

この時は、コブラのバケットシートの新品を買い込み、初代バネットのシートレールを利用して助手席共々取り付けることにして仕上げることにしました。

 

 

こんなことを書きながら当時のことも思い出してきます。

4月から9月までの期間で再生をしました。20代でバイタリティもあり仕事の後、毎晩3時間くらいの作業をしたと記憶しています。親友だったK君にも手伝ってもらい10月1日の新潟でのイベントには彼と一緒に参加しました。この辺りはこのブログの最初に書いた「淑女との馴れ初め」にもちょっと書いています。

そういえば、当時は40~50代のおばさんにうけがよかったね。彼女らが青春を謳歌していたころのカッコいいスポーツカーですから。

 

さて、次回はこの問題のシートの再生作業に入ります。

小生のことですから、純正を意識しつつもオリジナルの内容で再生作業を進めていきます。

 

少しは見えないものが見えてきたかも・・・

 

前回でわかる範囲のことは書いてみたのですが、さらに詳細な「ハナシ」を知ることができたので少々書き足してみようかと思います。重複している内容ですのですがご容赦ください。

 

さて、1964年(昭和39年)に遡るところから始まります。前年の第10回東京モーターショーの出店に向けて進めていた「ダットサン1500クーペ」計画は、生産計画のない自動車は出展できないという日産の社内規定による憂き目に遭い、当初の試作車はお蔵入りすることになります。そのクーペは販売中の「ダットサンフェアレディ1500(SP310)」の車台を使いボディを乗せ換えたもので、型式としては「CSP310」ともいえるものです(未確認)。このプロジェクトは生産計画を立ち上げたことによって継続され次に出来上がった試作車は販売用車両として第11回東京モーターショー1964年(昭和39年)9月26日~10月6日に出展することに漕ぎつけます。

 

ただ、この車はベースになった「フェアレディ1500」が来春「フェアレディ1600」としてマイナーチェンジする計画があるため、合わせて同時に生産計画がひかれます。恐らくこの時点で来春の新型車としての運輸省への申請の中で「車台をCSP」としていたらその後の車台の混在はなかったのではないかと推測します。しかし、プロジェクトの流れの中で特に意識されることもなくそのまま車台を「SP」のまま進めてしまった或いは運輸省の規定や期限の関係でやむなくそのままだったのかもしれません。

 

第10回東京モーターショーでも好評を博し、各種メディアでも取り上げられた「ダットサンクーペ」は来春の発売に向けて生産に入ります。

次の表では、フェアレディおよびシルビアの生産台数と輸出数を示しています。

 

 

ここで注目したいのは、1964年の生産台数です。フェアレディは6台、シルビアは27台の合計33台が生産されています。

この台数を覚えておきます。ある好事家の情報によると、シルビアの初期ロットは50~60台位といわれ、52台であった65台であったという情報もあります。そして、シルビアの車台のSP311-00064までは確実に「7」のない車台番号だそうです。ということは、64年生産のSP311の車台は両車を混在してカウントされていることは確実です。少なくともフェアレディに車台番号「00033」以下の番号を振られているものが6台あるということも間違いないでしょう。(小生はその内の1台は確認しています)

その後どのタイミングかは未確認ですが「7」付きの車台で両車は明確に区別されます。となりますと、フェアレディの車台番号は、生産台数とは一致しなくなります。初期の車台の多くはシルビアに供されたと考えてもフェアレディの100番台の車両はかなりの初期製造であると考えられます。つまり我が淑女もここに含まれます。

 

次に輸出数をカギとした考察もしてみます。

上記の表の数字はそのまま、生産台数ー輸出台数=右ハンドル台数(日本国内用)と鵜吞みにはできません。つまり、実際には輸出用は左ハンドルのみが輸出されているというわけではないのです。例えば「SP311」は右ハンドルで一般には日本国内用といわれています。ところがオーストラリアなどの左側通行圏には「SP311」が輸出されています。こちらは若干の仕様違いで「SP311-U」としてパーツカタログ等では分類されています。左ハンドルは「SPL311」です。北米輸出車の殆どはこちらになります。

 

更に別表によってシルビアの販売や輸出も考察してみます。

上記表に比べ販売台数が記載されている点がよいです。

 

 

左より、年、生産台数、販売台数、輸出台数の順です。

 

生産台数については公表通りの554台で問題ありません。

輸出台数についても同様なのですが、右ハンドルしか量産されなかったので、ショーモデルとして北米への出展はしたもののフェアレディのように北米輸出はなかったようです。この59台の内49台はオーストラリア、2台がパプアニューギニア、10台が環太平洋地域、こちらも右側通行のニュージーランドや香港辺りではないかと推測されます。そして、南アフリカに3台とされています。合計54台。残りの5台はどこに行ったのでしょうか?

 

続いて販売数です。驚くべきは1974年の1台の販売です。1968年に製造されてから6年もの長期在庫だったのでしょうか?そしてこの最後の一台は今なお現役なのでしょうか?とても気になるところです。その翌年の1975年には、「ニューシルビア(S10)」の発売が開始されます。石油ショックがなければロータリーエンジンを搭載して颯爽とデビューしたであろうという迷車です。

 

そして、生産台数554台に対し、販売台数と輸出台数の合計した540台との差に14台があります。どこに消えたのでしょうか?

レース用や寄贈したものなどは販売に入らないと考えればよいのでしょうか?日産ではワークス活動には使ってないが個人の活動はあったようですが、それは販売されたものでしょうからこの中には入らないでしょう。試験車両として解体破壊されてしまったものもあるかもしれません。

 

もしかしたらですが、寄贈としては神奈川県警に2台納入されているものがそうかもしれません。あの第三京浜で活躍したパトロールカーです。

だったとしても、後の12台の行方はいずこへ?

 

 

謎は深いです。

 

R型1600ccエンジン搭載車トリオのうち、「ブルーバードSSS(R411)」については、全くかすりもしませんが、この時代の日産には欠かすことのできない立役者ですので、仲良く三台並びの広告を挙げて今回はしまいとします。

 

 

小生は3台とも大好きです。

 

また何か情報があったら書くかもしれません。

 

では!

 

 

 

 

なんてトレビアな話なんだろう(古いね)

 

そうなんです。ず~っと気になっていたのです。

「ダットサン フェアレディSP311」と「ニッサン シルビアCSP311」の微妙な関係のことなんです。

 

まずその微妙な部分を資料を基に見ていきましょうか。

 

それでは、当時の日産自動車発行のサービス週報から諸元表を見比べてみましょう。

 

 


上がフェアレディ、下がシルビアのものですが、「型式」に関しては問題ないと思いますが、「車名」のニッサンとダットサンの違いとしてその取扱いの違いとして表れていますが、注目して欲しいのは「車台の名称及び型式」の方です。

共に「ダットサンSP311」となっています。

 

つまり、車台とはフレームのことなのでこれが同一であるということなのです。

フレームにはナンバーが刻まれています。それを基に個々の車体が違うことを示し登録に関係してくる重要な部分です。

 

でもこれでは、「フェアレディ」も「シルビア」も同じ「車台番号」の順列の中に混在してしまうのではないでしょうか。

 

そう、事実、混在しているのです。

 

実車のコーションプレートを見比べてみましょう。

 

フェアレディ、シルビア、シルビアの順です。

 

 

上段中断は、「ダットサン」と「ニッサン」の違いが一見したところの違いですが、車台番号については差異が見られません。

下段は、車台番号の」先頭桁が「7」の刻印となることによって、区分けされたと判断できるものになっています。

恐らくこの時点で明確に両車を分けたものになったのだと思います。

 

では、どの時点で区分けされたのでしょう。

少なくとも、小生が確認したサンプルでは、車台番号が2桁台(1~99)の車両に関しては両車が混在していたようです。

実際に2桁番号のフェアレディもプレートのサンプルがないものの確認したことがあるからです。

従って3桁、つまり100番台になってようやく区分けがなされたと考えられるのです。

それは、100番台からは、シルビアの車台番号に「7」が入っているのを確認したからです。

ただ、2桁台のもので「7」入りのものが発見されたら仮説はやや違うということになりますが、暫定的にはそうであろうかと思います。

 

また、「7」が入るだけで車種を分類していたとしても、製造番号についてすべて異なっていたのか同じ番号が存在したのかという疑問もわいてきました。例えば「7055X」と「0055X」が共存していたらそれぞれの車種ごとに番号が振られたということになりますが、それの共存がなかったとしたら両者のすべての車台番号が「通し番号」であったということも考えられますが、こちらも検証しようがないので謎のままとなります。多くは廃車解体でほとんどの車両が消えてしまっているからです。

もっとも、日産でその証明となる資料でもあれば別の話ですがね。

 

そしてもう一つ、車台(フレーム)は同一的な扱いなのですが、現物では乗せるボディの違いから差異があります。

こちらもサービス週報から示します。

 

 

このように、サイズが違うのです。

SP310との比較となっているのは、元々がSP310をベースにしたクーペを開発したということからです。

 

しかし、なぜ車台が同じ扱いになってしまったのでしょう。

シルビアの車台を「CSP311-00000」と扱っていたらこのような混在はなかったことでしょう。

 

その経緯を考察してみようと思います。

 

まずは、CSP311のサービス週報のまえがき部分の抜粋です。

 

 

ここでは、フェアレディSP310を基本にしたクーペであると紹介されています。

 

次に、SP311のサービス週報のまえがき部分の抜粋です。

 

 

ここでは、フェアレディSP310の性能を向上させた新型車として紹介されています。

 

以上からは、特別にキーとなるような説明はなされていません。

 

 

 

それでは、年表から順に経緯を追ってみましょう。

 

1963年某月 日産の開発陣の耳に「日野自動車がコンテッサの試作車」を秋のモーターショーで展示する情報を得る。

      それに伴いプロジェクトがスタートする。

 

      ヤマハの協力によりパープルメタリックをまとったボディの試作車が完成する。

      63年のモーターショーには間に合う状況になったものの、社内内見会にて、当時の川又社長より、

      “日産では社内規定により販売する車しかモーターショーには出品できない”と指摘があり、

      ショーの展示を断念することになった。

      ただし、生産計画を立てて問題なければ許可をするとのことで、プロジェクトは続行することになる。

 

      生産計画のもと、ボディ製作は「殿内製作所(現、トノックス)」による製造を開始する。

 

1964年8月 フェアレディ1500(SP310)マイナーチェンジ車の発表。(3シート→2シート)

 

1964年9月 第11回モーターショーで「ダットサンクーペ1500」試作車を展示。(のちの市販車と同色)

 

1965年3月 ニッサンシルビア(CSP311)の発表、同4月1日発売。

      

1965年5月 フェアレディ1600(SP311)5月31日発売。

 

というのが大まかな流れです。

 

気になるのは63年のヤマハ製の試作車。パープルメタリックはどんな色だったのだろう?

お蔵入りで残念です。

 

こちらは、64年のモーターショーで配布されたパンフレットです。

 

 

13インチホールですが、もうほとんど完成されていますね!

 

経緯的には、ちょっとした混乱の中で生産計画を立てて販売に漕ぎつけたということが分かりましたが、結局謎は解決できませんね。

 

運輸省への新型車の申請の関係で同一フレームでの方が容易だったからなのでしょうか?

 

当時の開発関係者にしかわからないのかもしれませんね~

 

では、ちゃお!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく晴れた日曜日に

 

重い腰を上げてミニキャブのオイル交換をしました。

先週は雨模様でせっかくの桜が満開だったのに部屋で鬱々と過ごしていましたが、今日は一日中晴天に恵まれました。

淑女のこともあるけれど、ミニキャブも手入れをしないといけませんね。

記録によると、3月は一度も出動しませんでした。バッテリーも上がりかかっていて充電器をつないで始動。

なんだか情けないね!

 

毎日仕事へ行くのは会社から預かっている車を運転しています。往復90余km走ります。

けれどもミニキャブは昨年の正月にエンジンを乗せ換えてから800kmしか走っていません。それまでは年間1万kmくらいは走っていたものだがなんという落差か。

 

取り急ぎさっさとオイル交換などやってしまいましょう。

この車はジャッキアップしなくても作業ができるので大変楽なのです。

 

 

ハイ! 終わりました。

 

ついでに、エアコンの調子も見て問題なさそうです。

これからも、ボチボチとお付き合いしていくつもりです。

 

庭にも春がやってきています。

 

 

春っていいですね~

 

春ラララ!

一応一件落着かな~?

 

なにしろ防水性が悪くて浸水、足元に謎の水たまり・・・・

そして僕は途方に暮れる。

 

そんな日がまた来ないように、防水性向上の改善らしきことをしてみました。

 

まずは、オリジナルの状態を見てみましょう。

 

 

劣化した防水シールは既に裾周りがボロボロで本体との隙間も空いてしまっています。

これでは、浸水し放題です。

新車の時は恐らくシールとボディが面一で合わさるような状態だったと思われますが、それでも浸水は免れなかったのでは?

そんな作りです。

 

それでは、どうやってこの部分の防水性能を向上させましょうか。

 

以前、検討用に入手した「ハコスカ用のピボットシール」

どう見ても、右の淑女のシールとは大きさがまったく違うので流用することはできません。

それでもこの“かぶさるような形態サイズ”は参考となるでしょう。

 

 

そして、各種ホースなどを検討試行した結果行きついた部品がこれです。

 

 

このボルトキャップを輪切りにして使用します。

内径の合う治具を用意してカッターでコロコロと転がすように切り出します。

治具を使えば、きれいにまっすぐ切ることができます。

 

 

パーツは、このボルトキャップとゴム製のワッシャー状のシールの2点です。

ワッシャ状のシールもゴム板からポンチで切り出しています。

適性サイズ確認のため、外形違いを2種用意しました。

 

 

それでは、シールを取り付けてワイパーアームを差し込んで状態を見てみましょう。

ワッシャー状のシールを付ける前に、ボロボロの旧シールの見える部分をカッターや精密ドライバーなどで除去しておきます。

 

 

これなら、浸水しづらいかと思います。

実際、ウォーターポンプにはこのような密着型のシールが採用されていますからワイパー稼働程度の動きなら問題は出ないのではないかと思います。密着面にはグリスを塗布すれば動きをスポイルすることもないでしょう。

 

再度確認のため、シールの比較を見てみましょう。

 

 

左が、今回防水対策として考案するシール構成。

中が、今回のシールに旧シールを乗せてみたもの。当初からこのようなものであれば防水性能は良かったのかもしれません。

右は、ハコスカ用。恐らく同世代の日産車には共通して使えるのではないかと思います。

 

これで、ピボットの防水対策は完了です。

 

続いて、リンクへの接続をします。

 

ピボットとリンクトの接続には「スナップリング」が用いられています。

しかしこれが曲者なのです。

 

 

左が、オリジナルのスナップリングです。これは、取り付けるときはペンチなどで挟み込めばよいのですが、取り外すには一苦労します。

とっかかりがないので、広げるのがうまくできず大変外しづらいものです。

 

そこで、他のスナップリングに変更して、取り付け取り外しが比較的容易にできるようにしようと思います。

 

真ん中のタイプはしっかりつきそうですが、専用のスナップリングプライヤーを使用しないと利用できず、また使い方にコツがいるためあまり良い選択にはなりません。工具の方向も問題になります。

 

右は、E型のスナップリングです。通称はEリングと呼ばれてます。

今回はこのEリングを使うことにしました。サイズは4mmのものです。これなら比較的容易に取り付けも取り外しも簡単です。

 

 

これでようやくワイパーに関することが一段落しました。

もう、足元に水が垂れることもないでしょう。

ただ、淑女の場合それ以外の浸水要素のネタは事欠かないのですが、それはとりあえずここでは置いておきましょう。

 

まだ、ワイパーアームやブレードの話などもありますが、こちらはまた準備ができ次第書こうと思います。

 

電源を取ってスイッチを入れて作動させてみました。

間欠ワイパー作動も完璧で一連の動作も問題ありませんでした。

これで雨に遭っても安心です。

 

一件落着です!

 

 

 

 

取付完了! デモ、もうチョットナンダヨネ~

 

前回はジャンク部品を使ってのグリスアップ方法の検証と実践をしてみました。

そして今回はその中で効果のあった方法で現在車体に取り付けてあるピボットに対してグリスアップをしていきます。

 

既にピボットを取り外したところから今回は始まります。

車体にピボットを止めているのは、ナット一個だけですので、それを緩めるだけで簡単です。

 

とはいっても、我が淑女はダッシュボードも外した状態ですし、リンクとも接続していない状態でしたからなのですがね・・・

 

すべてが接続されている実際の稼働中の車両からの取り外しにはかなりの労力を必要とします。

ダッシュボード裏ということもありますが、リンクとの接続に使っているスナップリングがとっても曲者なのです。

この話は、次回します。

 

さて、単品となっているピボットにグリスアップを施していこうというわけなのですが、まずは、

動きに問題のある軸と軸受けの洗浄をしていきます。古いグリスやチリの除去が主な目的です。

 

例のゴムホースを装着し、その穴からブレーキクリーナーを適宜吹き入れます。

同時に軸を動かすことも肝要です。

 

 

 

汚い錆混じりの液体が出てきます。

出ないようになるまで洗浄をします。

 

続いて、もう一度車体の取付穴に差し込んで、ガタのある部分や無用な隙間を確認します。

 

 

新車時に、これらがどうだったのかは知ることができませんが、このガタや隙間によって稼働時の不具合やピボットボディの破損につながっていますので、その補正部品を作成し補うことでそれらを未然に防ごうという考えです。

 

既にこの車は歴代オーナーか整備業者による幾多の分解組み立てと、ネジ山欠如によるワイパー稼働時のナットゆるみに起因するガタの増長などで歪んで広がっていますので、グリスアップとともに問題を解決しなければなりません。

 

さて、グリスアップ作業に入りますが、前回同様ですのでサクッと進めていきましょう。

まずはドリルによって横穴をあけました。

 

 

そしてグリスの注入です。もうあっという間の作業です。

 

 

注入後は、ゴム栓をしておけば安心です。

このゴム栓は、ゴム板をポンチで抜いたもので、通常は捨てられる方です(笑)

 

 

それと、こんな金具を作りました。

材料は、右にあるガチャ玉です。

そう、書類を束ねるのに使われるものです。

 

 

これは、このように使います。

ガタや取り付け不良で削れてしまった突起部分の補修にするためにかぶせて使います。

 

 

ピボットの構成部品です。

日産純正部品としては、この内容でアッセンブリーとなっていますので、ゴムパッキンだけとか、ナットだけなどの部品番号は存在しないようです。

 

ゴムパッキンは、試用として「シリコンゴム」から切り出してみました。

黒ではなく乳白色ですが、柔軟性に富み馴染みがよいと思いましたので採用してみます。

また、ピボットとボディの隙間対策として、「隙間埋め用金具」を作成しました。左右で隙間が違うのでそれぞれ厚さが違います。シムで合わせる感覚でしょうか。

 

更に取り付けにあたり、突起部補修金具のサイズを調整しました。クロームメッキのスペーサーにピタリと合わせるためです。こちらは削れていないので正しい寸法だからです。

 

 

車体に取り付けて完了です。

ピボットを差し込んだ際も、調整金具が利いていますのでブレなくピシッと取り付けることができましたので、今後問題が出ることはないでしょう。

 

 

あとは、もう一つの課題が残っています。

それは、防水対策です。

 

元々の防水シールはボロボロになっていたということもあり、そうでなかったとしても隙間から浸水しやすい構造だったということもあるからです。

完璧なことはできないとは思いますが、次回は防水対策について考察してみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

簡単にやった方が好成績か!?

 

さて、ワイパーピボットをグリスアップするにあたり、一番の問題点は、アーム取り付け部の “カシメ” である。

今回はこれを解かずにグリスアップしてみたことを書いていきます。

 

 

試行は二種の方法をやってみました。

 

 

① グリスニップルを用いての方法。

 

注入を試みる箇所は、軸を固定する「Cリング」の隙間です。

 

 

軸とボディの隙間にこの「Cリング」の隙間から注入できないかというものです。

「Cリング」を外すことができればまだたやすいかもしれませんが、そのまま行ってみました。

 

そのために、簡単な治具を用意しました。

・耐油ホースの切れ端に、注入用の穴をあけたもの。

・塩ビ管キャップにグリスニップルを取り付けたもの。

・ホース固定用の針金

・グリスガン

 

 

まずは、ホースをピボットにかぶせて、注入用の穴の位置を合わせ、上部を針金で固定します。

(写真は針金固定前です。穴も見えませんがイメージでお願いします。)

 

 

その上に、ピボット付きの塩ビキャップを嵌め込みます。

キャップ下部がホースに密着し密閉が保たれますので、グリスガンを押し当てて注入していきます。

 

 

で、うまくいくはずが、ムニュムニュ~とグリスが素直に入らず溢れ出てきます。

実際グリスガンは、結構な力でニップル正面に押し付けながらじゃないと使えないものなので多少は仕方ないかなと思ったのですが、キャップを外してみると、中でもあふれていました。

 

 

さらに残念なことに、思うほど軸受けには注入されていませんでした。

ピボットを回した感触では、入っているかもしれない程度のものでした。

 

結果として、軸受けからの注入は厳しいです。

これが可能なら、車載のままグリスアップできたかもしれませんが、ダメなので次を試します。

 

 

② 横穴による方法

 

これは、ボディに横から穴をあけて軸に到達させ、そこからグリス注入しようというものです。

 

ボディにドリルで穴をあけます。

深さを探りながら、穴をあけていき、軸に到達するところでやめます。

切削カスを軸に巻き込まないように掃除します。

 

 

注射器にグリスを詰めて「グリスガン」として、穴に差し込み注入していきます。

この時に、注射器を立てて上からピボットを押し込みながらピボット軸を手回しの鉛筆削り器のようにグルグルと回しながら注入するとスムースでした。

 

 

この通り、上下からグリスが溢れ出てきましたので、グリスアップは成功です。

回す感触もグリスが利いていてよい感じです。

 

 

上記の二通りを試しましたが、間違いなく「横穴方式」がよいでしょう。

 

結果として、簡単安直に行った方が好成績を上げました。

時間だって、ものの数分・・・

 

ただ、ボディに穴をあけてしまわなければならないのは考えるところもあるのですが、傷んだ部品の機能復帰ということでよいのではないでしょうか。

 

次回は、車体に実装されているピボットを取り外してグリスアップを実施していきます。

ボディ接触面の破損部分もフォローします。

 

※ 因みに、新しい耐油ホースは、通常のビニールホースに比べて、柔軟性に富み、しなやかで作業がしやすいです。

  更に、油にも強い。