淑女との戯れ ダットサン フェアレディ -18ページ目

淑女との戯れ ダットサン フェアレディ

フェアレディSP311の再生記事を中心に、あれこれと気ままにつづっています。

配線はシンプルにいこう!

 

ハザードスイッチは今では当たり前の装備であり、むしろうまく使わないと路上では危険な目にも合う恐れがあります。

道を譲ってもらった時の挨拶にも必須なものです。

小生が免許を取ったころは、ハザードは非常信号灯であるから挨拶などで使うのは法令違反だと教わりましたが、当時からトラックドライバーはコミュニケーションに使っており、いつの間にか市民権を得てしまったようです。

 

さて、今回のものは、淑女を手に入れたころに解体屋さんの片隅で埃まみれで放置されていたものを譲ってもらったものです。

もちろんその当時は躯体もしっかりしていたわけですが、小生がいろいろといじっているうちに亜鉛ダイキャストのボディのカシメ部分はもろくも崩れてしまい、写真のようにテープで巻いて結束バンドで止めて分解しないようにしないと使い物にならないような状態になってしまいました。

 

 

既に、配線も自分仕様に入れ替えてしまっています。

今回はこれも含んでやり直してリニューアルを図ります。

 

これは拾い画像ですが、新品状態ではこんなにごちゃ付いた配線がされています。

 

 

それでは作業に入りましょう。

テープをはがすとすぐにバラけてしまいます。

気を付けないとベアリングやバネが飛んでしまいます。

 

機構は、三角形の接点と裏蓋の接点とが、スライドして切り替わる仕組みです。

 

 

中の構成部品はこのようなものです。

 

 

いずれにしても裏蓋が取れてしまわないように工夫する必要があります。

そこで、裏蓋をくるんでボディ側に押し付けるようなサブボディをチョコベビーのケースから切り出して使うことにしました。

 

 

切り出したものを、M3のビスで留めるようにしました。

 

 

サブボディの裏にはスポンジゴムを入れて接点の密着が確実になるようにし、半透明のままでは格好が悪いのでカーボン模様のカッティングシートを張り付けることにしました。可動部や接点委がグリスを塗布します。

 

 

配線を淑女の純正ラインと同じになるように色をそろえて割り込ませるようにしています。

実にシンプルなものとなりました。

 

リレーをつかむ部品はユニクロメッキを施しました。

少しはマシに見えるかな?

これで組み立て完了です。

 

 

ミツバの正式名称は「非常点滅表示灯装置」といいます。

 

ボディには「HAZARD SWITCH TYPE HS-1」とあります。

そして「MITSUBA」以外に「DAIICHI」のロゴマークが・・・

 

これは何だろう。製造元なのだろうか。販売者がミツバで。

 

 

あとは、車体に組み込めばOKですね。

 

追記:令和7年5月

 本体配線見直しの為、バッテリー直配線1本を追加しました。これにより、キーSW-OFF時にも作動できるようになりました。

 

 

スキマ時間の有効な使い方

 

仕事の為この地域にはるばる海ほたるを横目に見つつやってきました。

日中に少々空き時間ができたこともあり、クルマでちょっと行けばそこにある「いすみ鉄道の大多喜駅」まで足を運んでみました。いすみ鉄道は昔は国鉄木原線という名称でしたが、赤字ローカル線対策で第三セクター鉄道として経営を存続しています。

当初は、旧国鉄時代の気動車を見れたらいいなくらいに考えていましたが、駅係員の方にダイヤを聞いてみるとスッポリと往復乗車できてしまうことが判明したため、仕事を忘れ・・・否、後ろめたさも感じつつ・・・切符を買って乗ってしまいました!

そんな「ちいさな旅気分」を味わえたひと時でした。

 

さて、話はちょっと戻ります。

クルマを駐車場に入れ、大多喜駅に向かいました。

そこには小さいながらも威風堂々とした駅舎がありました。

 


それもそのはず、ここは、徳川四天王の本田忠勝を初代城主とする大多喜城の城下町でもあり、街並みも小江戸と呼ばれる歴史ある建築物が数多く残る地だからです。

 

 

今回は、その観光もしたくなったのですが、仕事の途中ということもあり、時を改めてくるのも良いかなと感じました。

おいしそうなお店で昼食をとも思ったのですが、列車に乗ってしまったので時間切れ、菓子パンでごまかしました。笑

 

さて、車庫の方に回り込むと、国鉄色を纏った気動車が待機しておりました。

タイムスリップしたかのような光景です。

 

 

この2両は、右が元国鉄の「キハ52-125」昭和40年製、我が淑女とも齢が同じです。

左は、いすみ鉄道の自社発注車で「キハ20‐1303」平成25年製です。デザインは国鉄顔を採用したとのことです。

違和感なく見事に溶け込んでいます。

 

近づいてみました。

 

よくできていますね。

装備的には、キハ52は元々豪雪地帯の大糸線を走っていたので、腰下のスノープラウ、シャッター付きタイフォンや窓のデフロスターもそのまま装備され寒冷地仕様の特徴がそのまま残っています。

 

その後ろには、先月いっぱいで残念ながら引退した「キハ28ー2346」がありました。現役最後の国鉄急行型気動車であったそうですが、顔が見えないのはちょっと残念。沿線駅に保存予定らしいですがだいぶ傷んでいますね。

 

 

さて、そうこうしているうちに定刻に近づいてきたので、先ほどの「キハ52‐125」が入線してきました。

 

 

 

どの角度から撮っても時を超えているように感じます。

令和と昭和のやわらぎの時間ですね。

 

車内に乗り込むともちろん昭和にタイムスリップです。

寒冷色の内装

 

扇風機

 

 

木枠の側窓

 

 

使い込まれた運転席

 

 

本当に「時」を忘れそうになります。

 

定刻になり発車のベルが鳴ります。

ドドドドドド…とディーゼル機関がうなり走り出します。

 

そして、これまた懐かしいオルゴールが鳴り、車掌さんの案内放送が始まりました。

オルゴールは「アルプスの牧場」でした。

 

 

 

その案内で、右の車窓からは、大多喜城を鉄橋の上から見ることができました。

 

 

 

そして、しばらく乗って終点の上総中野駅に到着です。

 

ここからは、小湊鉄道に乗り換えることができますが、車両は来ていなかったので見ることができませんでした。

しばしば、ドラマなどでロケに使われているのを見かける鉄道です。こちらも古い気動車を運行しています。

 

小湊鉄道方面も閑散としてなんともいえぬ空間を感じ取ることができます。

 

 

上総中野で数分後には折り返しの急行大原行となります。

ホーム手前側の線路は剥がされてしまっていて、賑やかだったことが完全な過去であることを物語っています。

 

 

ホームの高さは昔のままなので、大変低く、運転士さんも乗り込むのが大変そうです。

 

 

客用の乗降口もこのように大変な段差があります。

 

 

バリアフリーってここにはありません。

 

上総中野駅を後にし袋で大多喜駅まで戻りました。この列車はこのまま大原まで向かいます。

降りたホームにはどうやら国鉄時代かららしい表記が残っていました。

 

 

青地に白文字の「大原方面のりば」という看板です。

こんなものひとつで時代を感じてしまいます。

 

さて、列車を見送ったのち本来の持ち場に戻らねばなりません。

なんとも大変有意義な「空き時間」でありました。

 

せめてもの地域鉄道存続のためにもお土産を買って帰りました。

これはそのひとつ、レトルト食品の「キハカレー」

子供味かなと思っていましたが、意外と大人味で具もしっかりしており美味しかったです。

 

 

またこんなスキマ時間があると嬉しいですね~

 

ちゃんと仕事しろよ!!

 

ごもっともでござんす。

 

 

 

 

 

 

 

最近鉄道ネタばかりですが、淑女の作業もちょっとばかしですが進めております。

と前置きし、

実際、どっちがメインなんだかね~

 

小春日和の爽やかな空気の中、秋の健康診断に行ってきました。会場は電車で数駅乗ったところです。

 

健康診断そのものは、何ら問題なくさっさと終わり会場をあとにし、向かった先は「入新井西児童交通公園」です。

こちらに行くのはほかでもなく「蒸気機関車のC5766号機」が静態保存されているからです。

 

小生、蒸気機関車の現役時代には縁がなく、その後の復活運転では乗車したことがある位なものです。

今回の「C5766号機」は昔から知ってはいたものの横を走る東海道線からの車窓から眺めるだけで足を運んだことがなかったのです。昨年の職場異動によって検診会場を当地で受けることができるようになったため、春に続き2回目の訪問となりました。

 

公園に入ると早速ご対面です。

 

 

平日の午前中ということもあり、幼児連れのママたちが少しいるくらいで空いていました。

 

近づいていくと機関車の精悍な顔立ちも間近に見ることができます。

 

 

シリンダー、車輪周りは連結棒との構成もあって豪快です。

 

 

側面の階段から車室に入ることも自由です。

 

 

機器類も塗装での管理がなされているのでそれなりにきれいに見えますが、計器類の針などが紛失しているのは環境上仕方がないのかもしれませんね。

 

 

その厚塗りによって地金は錆による腐食も少ないと思われます。

 

運転席からの眺めはこんな感じです。

見えているといえば見えるのですが、右側はボイラーに阻まれ決して視界が良いとは言えません。

右側に機関助手が必要なのもうなずけます。

 

 

真鍮製の銘板も金色塗装で文字も確認できなくなっていますが、密閉保管状態なので剥がせば極上品質かも!

なんて思ったりもします。

 

テンダー後ろから見上げると、また別な迫力を感じます。

 

 

この機関車の説明は、各種案内板が用意されています。

 

 

実はこの機関車は静態保存でありながらも、毎日2回の運転があります。

実際に走り回ることはできませんが、動輪を空圧によって回転させるという変わった展示方法がなされています。

 

目の前で汽笛を鳴らして動輪や連結棒が動く姿は現役時代を彷彿し、ちょっとしたタイムスリップ感覚に陥るかもしれません。

 

Youtubeにその動画がアップされていましたので張り付けておきます。

 

 

この公園には、1990年製のいすゞエルフのポンプ車も展示されています。

2006年ごろの設置で、その前はトヨタ製のボンネット型の消防車でした。

 

 

こちらも乗り込み自由です。

 

交通公園ですからこのようは看板もあります。

 

 

全景です。

子供たちの交通安全教育ができるように、自転車や電動カーなどでコースを走れるようになっています。

 

 

さてまた、春になったら訪れてみようかな。

 

そういえばこの「C57型」機関車は愛称として「貴婦人」とも呼ばれています。

我が淑女も、「貴婦人」と呼ばれていますから何かの縁があるのかな?笑

 

三日おくれの便りをのせて~

 

とは、都はるみさん「アンコ椿は恋の花」の唄いだしですが、当記事には特段関係なく、単に投稿が三日遅れただけという浅はかなものからなのです。

 

猿、じゃなかった。

去る11月6日に多摩美大の芸術祭に足を運びました。

母と弟との3人で行ったのです。

実は、弟の娘つまりは姪が今年入学したので、そんな縁なのです。

 

学園祭、文化祭の類はもう数十年も無縁でしたが、なかなか良いものですね。

どんな時代でも若者の発散する力のような雰囲気は感じるものです。

母も絵を描くことが趣味で、毎年作品を展覧会に出品し入賞したりもしているのですが、ここのところ認知の関係や環境のことなどで筆が進んでいませんでした。家族としても心配していましたが、この芸術祭に足を運んだことで少しは刺激があったようです。

美大生にも話しかけてコミュニケーションを取っていました。

 

JR横浜線橋本駅を降り立つとそこから神奈中バスで数分揺られると多摩美大につきます。

橋本駅がリニアモーターカーの駅になるなんて、高校生だった時の小生には到底考えられませんでした。あんなローカルな田舎駅だったわけですから、当時は津久井に住む同級生宅に遊びに行くときや、中学生の時にボーイスカウトのキャンプにいくのに利用してましたね。まだ、チョコレート色の旧型国電や山手線や京浜東北線で余った電車が青と黄緑のバラバラ混色編成が単線運用で走っていました。夏は冷房車が先頭車だけになり、冬には増えましたっけ。そういえばそのちょっと後で近くの橋本高校の教諭だった俵万智さんがサラダ記念日でブレークしましたっけ。と鉄道だけに脱線してしまいました。

 

話を戻して、校門を入ると真っ先に向かったのは、「学食」です。

まだ混んでいないうちに食べてしまおうという算段です。案の定、食べ終わるころには数十人の長い列ができており早飯にして正解でした。あとは心置きなく学生の作品を見て回れるというものです。

 

 

 

姪は日本画科の1年生です。まずはそこを皮切りに見ていきましょう。

ただ、作品の中にはSNSやQRコードを用いて拡散を欲しているようなものがある半面、SNSには出してほしくないというものまでありましたので、ここではちょっと気になったもの数点を除いて掲示はしないでおきます。姪のものも今回はやめておきます。

 

この作品、キャンバスからはみだしています。芸術は爆発だと云ったあの方の作品とは作風が違いますが、力強いものがあります。

 

 

これを見て小生は敬愛する芸術家の赤瀬川原平氏がかつて参加してあまりにも応募者の表現が過激すぎるので中止になった読売アンデパンダン展を思い出してしまったのです。といってもその開催時期には小生は生まれてもいないので、のちに赤瀬川氏の著書による知識なのですけれども。

 

それはさておき、次は銅板の折り紙です。その工程の説明書でもあり、そのものが工芸作品でもあります。

 

 

縄文時代の火焔土器のごとき作品です。

古代の住宅を模したような描写が面白く感じました。

カッパドキアやジブリ作品にも通じるものがありますね。

 

 

誰かが住んでいそうです。

 

 

展示に至らなかった猫作品。楽屋裏なんて見ちゃいけなかったかな。ごめんね。

 

 

これから芸術になろうとしといるであろうその過程のFRP物体群。

さてさてどんなものに変貌するのだろう。

 

 

様々な形容詞を芸術的に具現化するとこうなる?

 

 

ただの学生のロッカーです。

ハマラジのステッカーが貼ってあります。

剥がそうとして剥がし切らない。未練があるのかイワレがあるのか。

その葛藤をも感じる異様な雰囲気を感じてしまうのです。

それとも、それを表現した作品なのかもしれぬと・・・

 

 

形容詞を芸術的に具現化するとこうなる?

 

今時ハマラジを知っている人はどれだけいるのだろうか?

FM横浜にとっては黒歴史にしか過ぎないものなのかもしれないのに。

それは1993年、FM横浜が親しみを持ってもらおうとして名付けた愛称だったのだが、一般的にちょっと上品なイメージのある横浜にはダサくて恥ずかしいネーミングとして全く受け入れてもらえなかったのである。

そして、1995年にこの愛称の使用をやめるに至ったのである。

そんな四半世紀も昔のステッカーが貼ってあるのである。もはや学生たちが生まれる前の生き証人のごとき事態なのである。

 

こちらは、「路上の水道」である。

一見何の変哲もないのであるが、そうでもない。

いつも誰もが興味など示さないであろう代物。

 

 

水受けの部分はタライ状のものではなく、塩ビの水道管を輪切りにしたもの。

その下がコンクリのままなのか浸透桝のようになっているのか、小宇宙が広がっているのか、ワープのターミナルかもしれないすべてが謎である。

実は箱庭のオブジェだったのか、それとも盆栽があったのか見当もつかぬものである。

上の蛇口からそのまま水を垂らせば栽培できるシステムか?

 

否そんなことはない蛇口がそっぽを向いている。下に植物があったとしても水やりは拒否したいようである。

芸術作品ではないだろうが芸術を感じてしまうのです。

 

こちらは、「ヤマボウシ」です。立派に育ちました。

と言いたげなネームプレートなのであるが、既に伐採され切り株だけが残っているようである。

 

 

過去の栄光にすがる何かにも見えなくもないがそうでもなかろう。

亡き主を偲んでいつまでも掲示し続ける姿に忠犬ハチ公のような郷愁を感じてしまうのです。

 

芸術の学び舎では何でもかんでも芸術に結び付けてしまおうとする魔物がいるのかもしれない。

 

山の彩りがそんな気にさせるのか。

 

 

芸術祭の小冊子は何かを語る。

 

442年ぶりの天体ショー?

 

などと世間は呼んでいるが、天体がショーを開催しているわけではないのである。人間など微塵もなかった時からこの空間は存在しているのです。

 

前回は織田信長の時代とかで彼も見たとか見ないとか、見たとしても天王星の存在はさほど意識してなかろうというものである。当時は名もなき星だろうから。

 

それでも現代よりも遥かに空は澄み暗かっただろうから肉眼でも見えたのかもしれないですね。

様々なことにも云えるけれども、見えているけれど見えてないもの。見えないけれども見えているもの。

またそれを見ようとしないもの見ないふりをするもの。政治家のセンセーやカンリョーの皆様にもですが、皆既ですよね。米の。日蝕だね。

 

などとくだらぬことを書いてしまったが、昨晩は偶然横浜みなとみらい地区に仕事で行っていたので、ぶらりとしながら少々写真を撮ってきましたので、掲示してみます。

 

18時半くらいでしょうか。建物(クイーンズスクエア)から出るとすでに始まっていました。

 

スイカ(インターコンチネンタルホテル)の上に部分蝕状態が初対面でした。

 

 

見とれていると、あったあったと若い子たちのキャピキャピした声が聞こえてきた。

 

そこを横目に巨大な連接バスがっとりすぎていく、あっという間だったのでシャッターチャンスを逃してしまった。

 

 

しかしでかい!

電車が路上走っているようで、運転手さんも大変そう。これを運転するのには、けん引二種免許?が必要なのだろうか。

とちょっとは自動車ネタも入れておきます。

 

そしてこんなイルミネーションもちらほらと見かけるようになり、季節を感じるようにもなりました。

 

場所を移動し、帆船日本丸のそばへ。

 

 

この角度なら月も入ります。

だけども皆既月蝕中の赤黒い月は写りにくいですね。

右上の方に"一応"写っています。

 

 

更に角度も変え、ちょっと拡大してみますが・・・

 

 

月だけ拡大してみます。

天王星も見える?

肉眼では無理だね。

 

 

甲板から見上げるイメージで・・・

 

 

最後は、コスモワールドの観覧車が『20:22』を表示したところでパチリ!

 

 

時間表示は滲んでしまいましたが、2022年とかけてみました。

つまり、2022年11月8日20時22分なのである。

 

天井には月蝕も写っていますのでよろしいでしょう。

 

さあ、このあたりで戻ることにしましょうか。

 

しかし、ほぼ一人の空間を独占できてちょっとした優越感のひと時でした。

ボクは運が良いのかな。

 

快晴の素晴らしい陽気でした!

天気は上々クルマも快調!

 

ここ数年、といっても数えるほどだが母を誘って出かけるときは快晴のことが多い。

2年前のコロナ渦中の時期にも誰も出かけていないことを見計らって信州白馬や霧ケ峰、車山高原にドライブに行った時にも前日が酷い雨だったにもかかわらず快晴でとても良い一日だったことを思い出します。自宅待機を含み平日にちょっと自由がきいたのです。

 

そして本日は、富士の裾野で行われた「 第37回 裾野ミーティング 」に行ってきました。

ここにはトヨタスポーツ800とパブリカ、ミニエースなどが集う場なのでした。

前回のブログにも書いた通り、我が家の初めてのクルマがパブリカ700バンであり、小生の生まれる前から数年間ありました。

母も父とドライブを楽しんだそうです。そこで、少しでも脳の活性化に役立つかなという思いもあり足を運びました。

 

まずは久しぶりの遠乗りということもあり、ミニキャブのオイル交換を行いました。今回はモリブデン入りというものを使ってみることにしました。また、ボディも汚れまくっていたので給油ついでに洗車機に放り込みました。洗車機の利用は20世紀以来です。なんと楽なんだろうと横着になっていく小生は感嘆しました。次も使ってしまいそうです。

 

 

渋滞が嫌いなので早朝に家を出て、東名高速に乗って順調に走り抜け、駒門パーキングエリアで時間調整と朝食を摂りました。

頃合いを測り目的地である忠ちゃん牧場へと向かいました。たくさんのヨタハチやパブリカが来ています。ちょっと場違いかな~と感じつつもそっと駐車をしてギャラリーに徹することとします。

しかし皆さん本当に遠くからのエントリーをされているようで、岡山、高知、香川、愛媛・・・西が多いかな?

脱帽ですね~

 

富士山がとってもきれい。寒さが危惧されましたが気温も上昇し大変過ごしやすかったです。

 

 

母もパブリカの写真を撮っていました。

 

 

我が家にあったパブリカ700バンと同型ですが、こちらはデラックス。我が家はスタンダードでした。

 

 

愛媛ナンバーが新車時からのもので貫録があります。

我が両親も愛媛出身なのでチョットした縁かも。

醤油屋さんの奥で眠っていた個体だそうで、ダイヤルステッカーなども当時のままです。

 

 

抜群の塗装ですがこれも新車時からのもので保存状況が良かったことを感じます。

ディーラーステッカーもそのままです。

傷んでいますが、このクルマの歴史には欠かせないアイテムですね。

 

 

我が家の当時のパブリカの写真があります。

母がクルマの前に立ってに写っています。同じように本日写そうと思ったのですが、いいからといわれてしまったので残念ながらなしとなりました。

代わりに、当時の場所にミニキャブで行って大体同じような感じで撮ってきました。

 

 

映画館の看板のあったところは、その後、酒屋さんでしたが数年前に廃業されてシャッターを塞ぐように自販機が並んでいます。

映画はなんというタイトルかな?

その内調べてみようかな~。大体の撮影時期も分かりそうですからね。

その奥の本屋さんは営業していました。そのまた隣の建物は当時からの物っぽいですね。

 

前回の父とパブリカの写真の場所にもミニキャブで行きました。

 

 

奥に見える駅も、昭和48年ころに4階建ての駅ビルとなりましたが、10年位前に耐震問題で立替えられ3階建てになりました。

だいぶ安づくりになりました。2階には階段でしか行けない!今時なんなんでしょうね。反バリアフリー?

 

会場にはたくさん来ていましたが、まずはこの機会を知らせていただきましたyota-1967さんのヨタハチです。

日本グランプリ仕様のイメージでかっこよいですね~

良い機会を教えていただき、また会場でもお世話になりありがとうございました。

 

 

続いて、現役のレーシングカーのヨタハチです。

こちらのカッコいい!

 

 

パブリカコンバーチブルのハードトップ版、正確には「デタッチャブルトップ」といいますが、幌でないのは実物を初めて見ました。

 

 

淑女さんもギャラリーでいらっしゃってました。

未再生車は刻んだ歴史の貫録を感じます。

 

 

帰りには、ブロ友のSP311さんに教えてもらった食堂に行って昼食をと計画していたのですが、実際に行ってみると裏の大駐車場も満杯で何とか止めて店に行くと、数十人が待っていて、1~2時間近く待たなければならなさそうでしたので今回はあきらめて帰路につきました。相当おいしいのだろうということだと思うので、次の機会には予約でもしていこうかなと思いました。

せっかく教えてもらったのにごめんなさい(汗)

 

帰りの高速道路もおおむね順調でしたが、横浜町田インター付近で事故渋滞が発生し、1㎞5分の表示でしたが進みにつれ4㎞となり海老名につく頃にはそこまで伸びてしまっていたので、綾瀬スマートインターで降りて帰りました。

 

最後にもう一枚、我が家のアルバムにもう一台のパブリカが写っていたので掲載します。

パブリカ800のピックアップです。

 

 

真ん中は弟で、小生は左のダットサンキャブスターの脇にいます。奥のクルマはマツダボンゴですね。

右の女の子は、お向かいの建設事務所の方の娘さんだったと思います。

 

実家の片づけで昔の写真がいろいろ出てきていますので、今後も機会を見て掲載しようかと思っています。

殆どが商用車ですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから何年たったのだろう

 

ニューイヤーミーティングがなくなり、お台場旧車天国がなくなり、コロナパンデミックで様々なイベントが休止になった。

だけどもだんだんと各種イベントが開催されるようになってきました。

 

そんな中で、来る23日(日)開催の「 第37回 裾野ミーティング 」に行ってみることにします。

こちらはブロ友のyota-1967さんが関係されているイベントで、ヨタハチとパブリカを主体としたものです。

 

実はパブリカとはちょっと縁がありまして、亡き父が商売用に最初に購入した車がパブリカ700のバンでした。

 

(さて何のポーズなのでしょうかね? 全く分かりません!

向こうに見える小屋みたいなのが当時の小田急南林間駅です。)

 

 

母も父に色んな所に連れて行ってもらったり、小生も座席で飛び跳ねていたり、車窓から見えるクルマを指さし「タイヤ!タイヤ!」と叫んでいたという思い出があるそうです。

また、パタパタ・・・というエンジン音はよく覚えているというのです。ぜひ聞かせてあげたい。

 

そこで、認知も入ってきてしまった母に少しでも当時を感じることができ良い刺激になればと思い行ってみようと思ったのです。

また、ここのところ出かけることもなかったので、富士山のふもとの新鮮な空気や風景を見たりすることも大いに結構なことだと思ったのです。

 

もちろん、小生もパブリカもヨタハチも大好きなので楽しみにしています。

 

そうそう、翌日は母の誕生日でもあるので、プレゼント?・・・にはならないかな(笑)

この人の辞書には反省というモノがないのだらうか?

 

現在地に赴任して1年が過ぎました。昼休みには街を歩き楽しんでいます。

そんな中、古本屋さんを見つけました。なんとこの街にはブックオフ以外にも数件ありました!

この中でも交通系の充実したお店がありました。しかも1960年代のものがひしめいています。

大変誘惑に駆られてしまうのであまり寄り道してしまわないように心がけていますが、先日寄ってしまい一冊の雑誌を手に取ってしまいました。

 

 

「月刊 自家用車 昭和37年2月号」です。西暦では1962年、小生は生まれていません。ちょうど60年前のものです。

表紙のクルマは「初代プリンススカイライン」です。

読んでみると中々面白いのです。当時の交通事情をはじめとした。知ることのなかった今では考えられないようなことが書かれています。

 

今回はその中でもかなり"とんでもない”話があったので、固有名詞などに配慮し多少書き換えたものを書いてみます。

 

「免許証の詐取に新手あらわる」

●●市〇〇の某A(35)は同市××で、小学校2年のBちゃん(7つ)をわき見運転で自転車ごとひき殺した。

●●署は某A を業務上過失致死、無免許運転の疑いで逮捕、免許証から違反前歴を調べたところ、某Aは昨年2月Cさん(53)をひき殺し、8月3日から100日間の免許停止処分を受け、更に今年7月にDさん(85)をひき殺し12月1日に取消処分を受けていることが分かった。

さらに、昨年8月3日に停止処分を受けた時に、その足で▲▲署に行き「免許証をなくした」と噓をついて再交付してもらい、免許証の二重取りで運転していたことも分かった。某Aは「罰金も払わなければならないし、正月も近いので働けるだけ働こうと思った」と自供したという。

 

3人もひき殺しておいて、あきれてものも言えませんね。

今とは違いコンピュータ管理などしていないですし、もちろんインターネットもありませんから、処分を受けた警察署とは違う警察署に行って再交付を受けるということができてしまったわけですが、よく調べずに素直に再交付を受理してしまった警察も落ち度がありますね。

でもこの人、ほっといてもまた無免許運転をして同じことをしてしまいそうです。同じような人が今の世にも居そうですけれど、いかがなものでしょうかね。

 

他の記事に「替え玉を使って免許を取っても」というものがありました。問題の多い運転手は相当いたのでしょうね。

 

 

 

 

高齢者はつらいよ!

 

ここのところブログが中断していたのは訳があります。

急遽実家を引き払わなければならない事情ができ、母の引っ越しをしなければならなくなったため、淑女の作業なぞはやってはおれない状況となったのです。振り重なる自然災害が親戚を襲い、更には新型コロナによる影響で大変な状況となってしまったために助けると言っては聞こえは良いですが、こちらも普通では考えられないほど今まで大変助けられているので当然のこととしてのものなのです。この家系は本当にみんなが仲良く稀にみる素敵な関係だと感じています。そして優秀な方がそろっているのも感謝に値します。(小生はダメですが・・・)そんなわけです。

 

2年半前にちょうど新型コロナのことが大事になり始めた矢先に、脳梗塞をはじめとする病によって言葉も失い半身不随であった20年以上の長い闘病生活を終え父が他界しました。もうちょっと長生きしていたら面会もままならず葬儀さえ行えない状況になってしまうようなそんな時期のことでした。ただ、尋常ではない前向きさであったことは、その生命を永らえた糧であったのだと思います。逆に言えば、その積極さがその病を誘引してしまったともいえるのですけれどね。その後も心臓病や敗血症にも打ち勝ちましたが、直腸がんが発覚し、人工肛門の生活が始まりました。ケアマネさんに様々な組み立ても行っていただき訪問看護ステーションの看護師さんの協力もあって人工肛門ケアの内容を軽減できたものの母には介護の内容が重くつらくなり、それまでの時間をうまく使った大好きな山登りなどの息抜きもままならない状況で次第に気丈な母の精神にもきたすようになって、とうとう弱音を吐くようになってしまい、更には認知症の症状も出てきてしまいました。小生も兄弟も可能なものはしていましたが同居しているわけではないので、その負担は母を蝕んでしまったようでした。

 父の他界後も更に進行していくのを感じていましたが、あまり環境を変えない方が良いという考え等々錯綜し2年が経ちました。

 

そして、冒頭の状況となり母の引っ越しをする算段を取ることになりました。

やはり、施設には入れたくないというのが一番で、できるだけ近い方が良いということも大事なものです。

もちろん今後はケアマネさんにも相談しながら良いものを模索していかなければなりませんが、最終的には施設入所も必要になってくるのかもしれません。

 

まずは、物件探しです。世間一般では80を超えるような高齢者に物件は貸したがりません。

これが一番の障壁でしょう。それと、閉鎖的な空間ではすぐさま精神的な問題も出てくるかもしれません。

さらに、家賃も抑えなければなりません。そんなことを考えながらいろいろと考えました。

様々な物件も検討しましたが良いものがなく決めかねていました。

 

そして、実は小生の家の隣に古いアパートがあるのは認知していました。ただ、もう大家さんは貸す気がなく管理していた不動産屋とも契約を解除していました。その一室には大家さんの息子さん一家が住んでいるので、その内取り壊して一戸建てでも立てるのだろうと思っていました。ですが、聞いてみる価値はあります。

そこで、大家さんに聞いてみたところ、いろいろ問題はあるけれども、貸しても良いという返事をいただきました。しかもすごく格安で!その問題についてはココでは書きませんが以前の居住者はそのことがきっかけで退去されたとのことでした。けれども、我が家にとってその問題は大したことではないので、「大丈夫です」と答え内覧させていただき、すぐに母にも見てもらいここに移住することを決めました。

 

このアパートは昭和50年の建築です。大した断熱材も入っていません。良いところは、この地区は防衛省の防音工事というものはあり、防音サッシと各部屋にはエアコンが完備していることです。しかも更新してそれほど年月が経ってないものです。洋式トイレにも改修済みで浴槽もきれいで釜ではなく湯沸かし器なので安全性が高いものです。

ただ、洗濯機は外に置くことが標準とされた時代のものなので室内に置くような作りにはなっていません。以前の住人は風呂場に置いていたそうですが、洗い場のスペースがなくなってしまうのでよろしくありません。

 

そこで、入居前にしかも契約前の段階から少しずつ改良をさせていただくこととなりました。

 

洗濯機は検討した結果、キッチンに置くことにしました。

 

 

6畳くらいの広さがあるので、大きさは問題ないのですが、洗濯排水をどうするかが問題です。

そうですここにはシンクの排水管しか排水できるところがありません。

そこで、改良工事を実施することにしました。

 

まずは、シンクをどかすと排水管の入口があります。

こちらに写真のY字管を取り付けて合流させようという考えです。

 

 

床下に潜り、匍匐前進で目標地点に到達し塩ビ管を切断し取り付けました。

 

 

上面の体裁を整えて一丁上がりです丁

 

 

更には、システムキッチンにホールソーで穴をあけ、塩ビ管を取付けます。

 

 

排水ホースを通していきます。

この時摩擦で引っかかるので、シリコンスプレーを使うことでスムースに導くことができました。

 

 

シンク下はまだ通していませんが、洗濯機の位置が決まり次第余分なホースを切断し垂らし込んで右の配管のように密閉すればOKです。

 

 

ホース入口には飾り版を入れているので見栄えも純正?に見えるかもですね。

 

 

防音断熱の観点からタイルカーペットを敷き詰めました。

母が楽しくなるようなイメージでカラフルにやってみましたところ、とても喜んでくれたので良かったです。

 

 

畳の下も、断熱アルミシートを敷き詰めました。4mm厚のものを2つ折りし8mm厚にし、両面にアルミ地が出て効果も倍増を期待しています。

 

 

写真にはありませんが、押し入れも棚を取り去り床板を張り、母の結婚記念の桜の木のタンスを収納するようにしました。

 

引っ越しは台風の中、9月17日に行いました。

その他順次、元の家の片づけをしながら運び込みをしています。

 

元の家は昭和44年に或る大工さんが自分で住むために設計し建てたものでちょっと凝った作りになっていました。

それを父が、中古で購入し長らく貸家としていました。父が病気で倒れ事業も清算することになったときに伯父のものになりその相続によって従兄弟のものになっています。この20年以上家賃も取らずに、こちらが家賃を払いたいと言ってもいいから住んでいてくださいとの言葉には感謝に堪えません。今回はその従兄弟の営む食品工場が水害で被災し大変なことになってさらにコロナの追い打ちを受けてのことです。良いことも悪いこともこのタイミングが「時」というもので与えられたのだと思っています。

 

母も兄弟も、小生の隣に住むことになったことで安心することができているように思います。

 

一応実家の写真をお見せします。

 

ガラスブロックのエントランスの彩は趣があってよい感じですね。

玄関は無粋なものですがこれは例の防衛省による防音工事によって取り付けられたものなので仕方ないですね。何か飾りつけでもすればよいかもですが、この家も近々壊される運命だと思います。

 

 

玄関灯は取り外してアパートに移設する予定です。

 

まだまだ片づけは続きます。

 

 

 

 

 

中断していた良かったのかも・・・

 

久しぶりに淑女のドアを開けると、なんだかすごい臭いが充満していました。

酷くゴム臭いのです。

 

そこには、作業を中断しているシートを定位置に置いていたのですが・・・

 

 

どうやら原因はこれらしい。

 

新規で張ったゴムシートが事業用の新品ということもあり、その性質上の臭いを放っていたわけです。

中古品や時間が経っているものならこれほどのことはなかったのだと思います。

 

となりますと、いったん取り外して消臭しなければなりません。

調べたところ、洗剤で洗うことと、重曹溶液に漬け込むことでその効果が期待できるとのことでしたので、さっそく実践してみます。

 

まずは、片面に残っている保護シートを剥がします。

すると、

香ばしい香りが・・・イエイエ、ゴムの異臭が放出されてきました。ウゲ!

 

 

続いて、洗剤で洗います。

ゴムの表面に幕になっている異臭物質を一皮剥くような感じですね。

 

 

更に、重曹を溶かした水に漬け込みます。

(重曹は、100均に掃除用として販売されています。)

 

 

適度に付けておけばよいので、

放っておき、一昼夜程度の時間が過ぎました。

 

あとは、乾かして再度取り付ければOK?かなあ・・・

 

臭いですか?

 

とりあえずは、だいぶ臭いは弱まったようです。

 

また、一週間淑女内に置いておいてその効果を期待することとします。

 

なんで、以前の作業中に気付かなかったのかって?

臭いはそのうち飛ぶと思っていましたし、作業に集中していてあまり気にしていなかったということもありますね。

プロじゃないのでイロイロありますね~