フェアレディとシルビアの謎を追え! | 淑女との戯れ ダットサン フェアレディ

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フェアレディSP311の再生記事を中心に、あれこれと気ままにつづっています。

なんてトレビアな話なんだろう(古いね)

 

そうなんです。ず~っと気になっていたのです。

「ダットサン フェアレディSP311」と「ニッサン シルビアCSP311」の微妙な関係のことなんです。

 

まずその微妙な部分を資料を基に見ていきましょうか。

 

それでは、当時の日産自動車発行のサービス週報から諸元表を見比べてみましょう。

 

 


上がフェアレディ、下がシルビアのものですが、「型式」に関しては問題ないと思いますが、「車名」のニッサンとダットサンの違いとしてその取扱いの違いとして表れていますが、注目して欲しいのは「車台の名称及び型式」の方です。

共に「ダットサンSP311」となっています。

 

つまり、車台とはフレームのことなのでこれが同一であるということなのです。

フレームにはナンバーが刻まれています。それを基に個々の車体が違うことを示し登録に関係してくる重要な部分です。

 

でもこれでは、「フェアレディ」も「シルビア」も同じ「車台番号」の順列の中に混在してしまうのではないでしょうか。

 

そう、事実、混在しているのです。

 

実車のコーションプレートを見比べてみましょう。

 

フェアレディ、シルビア、シルビアの順です。

 

 

上段中断は、「ダットサン」と「ニッサン」の違いが一見したところの違いですが、車台番号については差異が見られません。

下段は、車台番号の」先頭桁が「7」の刻印となることによって、区分けされたと判断できるものになっています。

恐らくこの時点で明確に両車を分けたものになったのだと思います。

 

では、どの時点で区分けされたのでしょう。

少なくとも、小生が確認したサンプルでは、車台番号が2桁台(1~99)の車両に関しては両車が混在していたようです。

実際に2桁番号のフェアレディもプレートのサンプルがないものの確認したことがあるからです。

従って3桁、つまり100番台になってようやく区分けがなされたと考えられるのです。

それは、100番台からは、シルビアの車台番号に「7」が入っているのを確認したからです。

ただ、2桁台のもので「7」入りのものが発見されたら仮説はやや違うということになりますが、暫定的にはそうであろうかと思います。

 

また、「7」が入るだけで車種を分類していたとしても、製造番号についてすべて異なっていたのか同じ番号が存在したのかという疑問もわいてきました。例えば「7055X」と「0055X」が共存していたらそれぞれの車種ごとに番号が振られたということになりますが、それの共存がなかったとしたら両者のすべての車台番号が「通し番号」であったということも考えられますが、こちらも検証しようがないので謎のままとなります。多くは廃車解体でほとんどの車両が消えてしまっているからです。

もっとも、日産でその証明となる資料でもあれば別の話ですがね。

 

そしてもう一つ、車台(フレーム)は同一的な扱いなのですが、現物では乗せるボディの違いから差異があります。

こちらもサービス週報から示します。

 

 

このように、サイズが違うのです。

SP310との比較となっているのは、元々がSP310をベースにしたクーペを開発したということからです。

 

しかし、なぜ車台が同じ扱いになってしまったのでしょう。

シルビアの車台を「CSP311-00000」と扱っていたらこのような混在はなかったことでしょう。

 

その経緯を考察してみようと思います。

 

まずは、CSP311のサービス週報のまえがき部分の抜粋です。

 

 

ここでは、フェアレディSP310を基本にしたクーペであると紹介されています。

 

次に、SP311のサービス週報のまえがき部分の抜粋です。

 

 

ここでは、フェアレディSP310の性能を向上させた新型車として紹介されています。

 

以上からは、特別にキーとなるような説明はなされていません。

 

 

 

それでは、年表から順に経緯を追ってみましょう。

 

1963年某月 日産の開発陣の耳に「日野自動車がコンテッサの試作車」を秋のモーターショーで展示する情報を得る。

      それに伴いプロジェクトがスタートする。

 

      ヤマハの協力によりパープルメタリックをまとったボディの試作車が完成する。

      63年のモーターショーには間に合う状況になったものの、社内内見会にて、当時の川又社長より、

      “日産では社内規定により販売する車しかモーターショーには出品できない”と指摘があり、

      ショーの展示を断念することになった。

      ただし、生産計画を立てて問題なければ許可をするとのことで、プロジェクトは続行することになる。

 

      生産計画のもと、ボディ製作は「殿内製作所(現、トノックス)」による製造を開始する。

 

1964年8月 フェアレディ1500(SP310)マイナーチェンジ車の発表。(3シート→2シート)

 

1964年9月 第11回モーターショーで「ダットサンクーペ1500」試作車を展示。(のちの市販車と同色)

 

1965年3月 ニッサンシルビア(CSP311)の発表、同4月1日発売。

      

1965年5月 フェアレディ1600(SP311)5月31日発売。

 

というのが大まかな流れです。

 

気になるのは63年のヤマハ製の試作車。パープルメタリックはどんな色だったのだろう?

お蔵入りで残念です。

 

こちらは、64年のモーターショーで配布されたパンフレットです。

 

 

13インチホールですが、もうほとんど完成されていますね!

 

経緯的には、ちょっとした混乱の中で生産計画を立てて販売に漕ぎつけたということが分かりましたが、結局謎は解決できませんね。

 

運輸省への新型車の申請の関係で同一フレームでの方が容易だったからなのでしょうか?

 

当時の開発関係者にしかわからないのかもしれませんね~

 

では、ちゃお!