前に進むのであって、上に登るのではない。
私がアドラー心理学を知ったのは
岸見一郎氏の「嫌われる勇気」を
読んだことがきっかけ。
それが理由かどうかわからないけど、
哲学者でもある岸見一郎氏の
アドラー心理学の伝え方、
表現が大好き。
中でも特に好きなのが、
人間は誰もが
それぞれの目的に向かって
広い平原を歩いているようなもの
そこに前後関係はあっても
上下関係はない
という表現。
これは、
人間には、
たとえ経験値に差はあっても
そこに優劣や上下関係などはなく、
並列であり
それぞれが尊敬に値する
かけがえのない存在だ、
ということを説明する時に
岸見氏がよく使う表現です。
例えば、
親は、子供と比べると
長く生きている分、
経験していることも多いから
平原の上を
子供よりほんの少しだけ
先を歩いているけれど
だからといって
子供の上に立っているわけではない、
「子供より偉い」なんてことはない、
ってこと。
とても分かりやすい。
この表現、
完璧主義になりやすい私は
私の人生は、
前に進むためにあるのであって、
上に登るためにあるのではない
ことを思い出すためにも
つかっています。
私の場合、
自分を成長させたい時や
努力を積んでいく時
ものすごく頑張っちゃう傾向があって
気をつけないと
「理想の先生」とか
「私よりできる人」と
心の中で勝手に競争しちゃって
ものすごく苦しくなることが
あるんですね。
「競争=比較」ですから、
「追いつけてない!」
「まだ努力が足りない!」
「やっぱり無理…」
…って、非建設的な思考が出やすくなる。
もっと上に登るんだ、
理想の人、自分より能力のある人に
追いつこう、追い越したい、
という気持ちは
良い起爆剤にはなるけれど
ちょっと使い方を誤ると
すごく自分を苦しめてしまう。
成長するということは
自分のためであって
人との競争に勝つためではない
ということを忘れちゃう。
だから、努力することは
「誰かの上に行くため」ではなくて
「自分の道を前に進むため」ってことを
折に触れて自分に伝えています。
努力すること、成長すること、
本来は楽しいことのはず。
それが苦しくなる時は
「自分の道を前に進もう」
としているのではなくて
誰かを超えるために
「上に登ろう」としているのかも。
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