温かい手・「今ここ」から見つかる優しさ
今では仏教が大好きな私ですが
学生時代にはキリスト教(カトリック)に
とても惹かれておりまして、
アメリカ留学時は宗教学を専攻し
お友達はシスターや神父さん達という
ちょっと変わった学生生活を
送っていました。
今でもキリスト教の考え方は好きで
聖書も時々ひも解いています。
今でもこういう風景にゾクゾクします↓
前置きが長くなりましたが、
今日お話しするのは、
私がアメリカ留学時代にお世話になった
修道院で出来事。
心があれこれ欲しがり
幸せという意味を誤解して
迷走を始める時、
大切なことを思い出させてくれる、
私にとって
とても大切な記憶のお話です。
私は、留学中は
学生寮に住んでいたのですが、
夏休みやクリスマスのような休暇の時、
寮は閉まってしまうので、
そんな時は
お友達のシスターの修道院や
あるいは紹介いただいた修道院を
渡り歩いておりました。
食費程度をお支払すれば
簡素だけど清潔なお部屋に住め、
シスターのお手伝いをしたり
勉強したりできて
本当に楽しい日々でした。
お世話になった修道院に、お一人、
いわゆる「認知症」のシスターがいました。
他のシスターのお話だと、若いころは
交通事故で孤児になった子供たちの為に
大変精力的に活動していた、
とてもリーダーシップのある女性だった
とのことでした。
お年を召して、時間もわからず
自分のお部屋もわからない状態の
そのシスターは
いつも穏やかに微笑んでいましたが
常に他のシスターのサポートが
必要な状態でした。
朝食がすむと
他のシスター達は忙しくなるので、
そのシスターをお部屋まで連れていくのが
滞在中の私の役目になりました。
「お部屋に行きましょうか」と
シスターの手を取ると、
毎回、「あら?あなた、新しい人?」
と聞かれました。
毎回、「はい、今、学校がお休みなので
お手伝いしながら住ませてもらってます」
と答えました。
そしてそのシスターは、
必ず私の手を優しくなでて、
「なんて暖かくて、優しい手なんでしょう」
と毎回、言ってくれました。
そんなシスターの手の方が
もっと暖かくて、
何度も何度も「ありがとう」と
微笑んで言うシスターの心の方が、
もっと優しかったのに。
もう30年以上前のことなのに
あの時のことを思い出すと
なぜか涙が出てきます。
時間も場所もわからないのに
目の前の人の手の温かさと優しさを
感じ取り、感謝する心。
あれが欲しい、これが欲しいと
未来から求めることなど一つもなく
ただ「今ここ」にある
優しさだけで幸せになれる心。
そんな心に
私が強く憧れているからかも知れません。
私にとって幸せとは
そんな心で生きることです。
今日は7月7日、七夕ですね。
短冊に願い事を書くとしたら、
そんな心で生きたい、って書きたいな。
そしてもう一枚、
九州地方で災害にあわれた方の心に
一日も早く暖かい灯が灯りますように。
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