プロとして芸を見せる事の意味と口パク。
とあるバンドの口パクについて、なんやらザワザワしているようだ。その中で、一風堂の土屋昌辰巳氏のXでの発信は以下だ。 LUNA SEAのライブのRYUICHI君のヴォーカルが口パクで、そんな LIVEはプロのパフォーマンスに値しないという意見があったようなのですが、当日会場にいた僕が目にしたのは、今できる限り、全力を振り絞って歌いきるRYUICHI君でした。…— 土屋昌巳 Masami Tsuchiya (@tsuchiya_masami) September 28, 2024かなりフラットな視点でのご意見だと思う。2019年、RYUICHIさんが肺線ガンを患い、現在も治療の途上の中でのパフォーマンスとその「対処」を肯定的に捉えたものと感じる。彼は同業者であり、同時代を生きたバンドマンなので、是々非々ではありつつも寄り添った感じがする。ファンの反応は様々だ。病と老いの中で様々な対応を経て行ったパフォーマンスという見方もあれば、口パクに否定的な見方もある。正直言って、ファンの価値観なので、どちらが正しいということはない。RYUICHIさんご本人も現状の自分のコンディションは理解しているだろうし、全国ツアーについても同様だろう。さて、私個人の見解を述べたい。あくまでも個人の見解だ。口パクライブの問題は、特に日本のアイドル系のライブやK-POPが一般的になり始めた時期と重なって提起され始めた。そもそもライブとは何の価値によって客を満足させるもの、つまり対価を払い、時間の都合をつけて行く価値のあるものなのだろうか?という点を考えると以下のように整理出来る。①本人のパフォーマンス生で同時刻に同空間で楽しめる事や本人を見る事が出来ること。②生の演奏、歌唱、パフォーマンスを同時刻に同空間で楽しめること。③ライブ会場が非日常的な空間を演出していること。さて、口パクの場合、歌手は生のパフォーマンスを避けていることになる。会場で聴こえる歌声は、肉体からリアルタイムで発せられたものではないため、同時刻性を失う。同時刻性のない音(歌声)であれば、ライブ会場に行く意味のうち、①の一部と②は失われることになる。ライブという商品の品質を考えた場合、このことは非常に重い。見方を変えてみよう。とあるバンドのライブの全ての音(ヴォーカル、ドラムス、キーボード、ギター等)が全て予めレコーディングされた音で、会場では当てぶりをしているだけで彼らからの演奏は一切聞こえない、というライブがあったとして貴方は行くだろうか?上記の①の内、本人に会えるという点のみは担保されているが、②は全く担保されないライブだ。また、お笑いのライブにおいて、タレントから発信される言葉が予めレコーディングされた声だったとしたら、貴方はライブに行くだろうか?昔、ベイシティローラーズというアイドルバンドがこの手法でライブをやっていたが、あくまでも時代的な例外だし、結局彼らはアッと言う間に消滅した。従って私は口パクライブを疑わせるものには絶対に行かないし、価値を感じる事もなない。ライブの醍醐味は、常人では無しえない歌唱や演奏を生で体験させてくれることにこそある。プロの圧倒的なパフォーマンスを体感出来るからこそ特別な価値として認めてもらえるものになる。つまりマーケット的に言えば希少性が全ての価値の根源なのだ。従って本来主催者側は、ライブの品質について消費者に告知をする義務があると思っており、予めレコーディングされた音源を使用する場合、その使用について可能な限り仔細な情報を開示するべきだと思う。サウンドの再現性を求めてバックグランドの演奏を予めレコーディングされた音源を使用し、そこに生演奏を加えるライブはこれまでにも数多くあった。こうした場合でも、主体は生演奏の方だ。理由はともかく、プロが言い訳が付きまとうような有料ライブを開催することについて、私は違和感を持つ。しかし、LUNA SEAについてはバンドメンバーとファンとの関係性で決めればいい事だと思う。心情的な部分で応援したいというファンも多いだろう。要するに個々人の価値観の問題でもはあるのだが、前述したように予めレコーディングされた音源を使用する場合、その使用について可能な限り仔細な情報を開示するべきだと思う。消費者であるファンにチキンと情報開示をし、来場の選択の自由を与えた上で開催し、結果的に満員になるのであれば、それはそれで問題ないことだろう。