ここ最近、AI技術を使った楽曲、CG、絵画、動画など、従来であれば、人間のアーティストが、時間や創造性やエネルギーを費やして作る作品をかなり高いレベルで自動生成できる時代になった。
音楽で言えば、プログラム造成されたボーカリストの声がAIで生成された楽曲を歌い、ちょっと聞いただけでは、人間なのかAI生成のボーカリストなのか判別がつかないレベルまで来ている。
2025年11月に発売される松任谷由実の新作アルバム「ワームホール」では、荒井由美時代のボーカルをAIに取り込み、現在の松任谷由実とデュエットする試みがなされている。
この取り組みに関する是非はともかく、既に音楽の分野では、AIが作った。クリエイティブと人間が作った。クリエイティブのハイブリットが起きている。
今回の彼女の作品はその先駆けとなり、炭鉱のカナリヤにもなるだろう。
今後、AIの発達を考えれば、さらに進化が期待され、音楽知識や技量がなくともAIを使うことで、プロ並みの作品を生み出すことが可能になるはずだ。
それはつまりアートフォームがコモディティ化することを意味する。
コモディティー化したアートフォームは巷に数多く溢れるため価値が下がる。
そして、プロとして活躍しているアーティストたちは溢れ出るコモディティー化したアートフォームの氾濫と戦わなければならなくなる。
この時、プロとアマチュアの境界線は限りなく混沌としてくる。
従ってプロとして活躍できるのは、ひとつまみの人間だけになり、多くはコモディティー化されたアートフォームの中に、自分の作品が埋もれていくのをただ見つめることになる。
音楽の分野で、それが特に顕著になるだろう。
過去のヒット作品の傾向を分析すれば、人間が認知できるヒット作品というのは、一定のパターンがあり、そのパターン認識から、ヒット確率の高い歌手や楽曲の生成までが可能な時代になる。
人間にできて、AIにできない主分野はライブパフォーマンスと考えられるが、昨今でさえ、口パクライブが当たり前のように、行われている時代を考えれば、未来のミュージシャンやパフォーマーたちが、AIと一線を画す分野を確立しておかないと、自滅していくことになると考えられる。
映画や動画、はたまた絵画の分野においても、AIの侵食は著しいことになるだろう。
人間技の尊さを維持しながらAIと共存する事はできるのだろうか?
過去の歴史を紐解くまでもなく、人間は新しい技術が出現すれば便利なほうを選択する。
そうした時代を見据えて、アーティストやクリエイターが残るための準備を始めておかなければ、彼らが居場所を失うだろう。
