何事も 素直な気持ちで 接すれば

   笑顔こぼれて 道はひらかれ

 

 困難も 無心でおれば 道開く

   迷いの先に 笑顔が宿り

 

 灼熱の太陽光を浴びながら,ネギを植え替えたり,草刈り機で雑草を刈り取る作業をしていた際に,閃いた2首であり,

 

 「素直な気持ち」というのは,相手の言葉に耳を傾け,自分の非も認め,誠実に対応する心であり,人間関係が円滑になって,相手の心を和らげ,信頼を得やすくなると思われ,

 

 「無心でおる」というのは,執着せず,恐れず,目の前のことに誠実に向き合う姿勢であり,困難に直面しても,無心で進めば,見えなかった道が,ふと見えてくることがあると考えていたのです。

 

 何れも,前向きな考えであるところ,人生においては,必ずしも,その通りにならない事はあるのでしょうが,大切なのは,結果ではなく,前を向こうとする,その気持ちなのかもしれません。

 

 少しずつ 片付けしては 区切りつけ

   新たな風に 心まかせて

 

 終活について考えていたら,今日の一首になったのですが,

 

 終活とは,テレビなどで放送されているとおり,今とこれからを,よりよく生きるための行いであり,人生を静かに振り返ることで,「これまで」と「これから」に,心の整理をつける営みかと思われ,

 

 そのためには,少しずつ物や書類を片付けながら,人生の後半を穏やかに過ごす準備をすることであり,不要なものを一つ手放すだけでも,心に小さな気づきや静かな喜びが芽生えることもあると考えていたのです。

 

 イボキュウと アジの南蛮 ほぐし和え

   酢もの作って 酒のつまみに

 

 キュウリを使った料理について,我が家では,塩もみ・辛子漬け・タコやイカとの和え物とか,最近では佃煮(キュウリ・生姜・塩昆布,鷹の爪,砂糖・塩・醤油・ミリン・酢)を作っているのですが,

 

 嫁において,何時も同じものでは飽きると,独り言を言いながら,

 

 昨日に作って冷蔵庫で保存している,小アジの南蛮漬けを使うべく,アジの身をほぐして,キュウリとの酢ものにしたので,

 

 早速に,晩酌のつまみにしたら,イボキュウとの相性が良く,美味しく頂いているのです。

 

 カニ一匹 元の小川へ 放せしに

   振り返らずに 水のしじまに

 

 カニ放つ ためらう手には まだぬくみ

   戻せばすぐに 歩きはじめて

 

 先日のことになるのですが,農作業を終えて,小川で手を洗っていたら,小さなカニを見つけたので,バケツに水を入れて,家に持ち帰っていたところ,翌朝になり,家で飼うより,川に返してやろうと思い付き,元の小川へ放したのですが,

 5cmくらいの水深の流れだったので,放り投げずに,小川の側面の苔が生息している場所へ,静かに置いたら,苔を伝って,元の箇所(上流)へ移動していたのです。

 

 ところで,昨日の参議院選挙では,自民・公明両党で50議席を下回ったと,テレビのワイドショーで報じておりましたが,世の中の流れが,選挙結果に反映されたとはいえ,今からでも挽回の余地はあると思われます。

 そのためには,世論の動向を注視しながら,国民の声を政策に反映させるともに,国際情勢を踏まえて,日米の関税交渉を有利に進めたり,北朝鮮による拉致被害者の救出に改めて取り組むなど,政権与党だからこそ出来ることを示すべきなのでしょう。

 また,ロシアとウクライナの戦争や,イスラエルとハマスの戦闘についても,日本の立場を明確にし,戦争終結に向けた意見を発信することは重要であり,そうした姿勢を世間に示せば,政権への信頼は徐々に回復してくるものと考えられるのです。

 

 神前の 盃の水換え 十数年

   両手を合わせ 今日も変らず

 

 神様との向き合い方については,人それぞれのようですが,小生においては,神社で頂いた御札は大切に祀り,

 

 神前には,榊立に入れた榊と,盃に入った水を,供えており,数十年(33年)前から毎朝に交換しております。

 

 この習慣は,毎日に積み重ねていると,やがて芽が出ると,職場の知人から教えて頂き,現在まで続けているところ,

 

 榊の水については5年くらい前から,週に一回となってはおりますが,自分なりの信仰をしているのです。

 

 ところで,60年も前の話になりますが,日蓮正宗に入信したけれど,信仰を続けれないと,掛け軸・勤行要典・数珠を,神社の木の下に埋めたとの噂が流れたり,

 

 近所の幼馴染においては,その頃に妙法蓮華経と暗唱で唱えているのを聞いたことがあり,小生の祖母も,その頃に日蓮正宗に入信していたので,自分も負けずに唱えてみたいと,妙法蓮華経方便品第二を少しだけ覚えた記憶があります。

 

 この知人も,本人の代となり,日蓮正宗から元の宗旨に戻った際には,町内の熱心な日蓮正宗の信者さんに,掛け軸・勤行要典・数珠を丁寧に返した(預けた)と,これを受け取った老人(お婆さん)から聞いたのですが,その際には,御本尊様などを粗末にせずに届けてくれたと,知人を褒めていたのでした。

 

 余談になりますが,人生においては,素直な気持ちで,心正しく生きることは,大切なことかと思われ,

 

 素直さとは,自分の気持ちや人の言葉に対して,偏見や打算を持たずに受けとめる姿勢であり,素直である人は,誰かの意見や助言にも耳を傾けることができて,周囲との信頼関係を築きやすく,

 

 心正しく生きるというのは,自分の良心や道徳心に従い,誠実に思いやりを持って行動することであり,たとえ困難があっても,人としての筋を通すことで,自らの人生に誇りを持てるようになるのでしょう。

 

 この二つを大切にする生き方は,表面的には損をしているように見えることもありますが,心の安らぎや,深い人間関係,そして自分自身への信頼を育む道でもあり,

 

 時代が変わっても,素直な気持ちで,心正しく生きることは,人生を豊かにする指針であるとも思えたのです。

 

 ウクライナ ロシアと戦い 何を得る

   祖国守れど 涙は乾かず

 

 ロシアとウクライナの戦争について,アメリカが射程の長い兵器をウクライナに供与した場合,ウクライナはモスクワを攻撃できると,ゼレンスキー大統領は述べたようであるが,ロシアの中枢を攻撃した場合,ロシアは核使用に踏み切る可能性があり,

 

 そうした事態を想像すると,この戦争はどのような形で終結に向かうのか,今のうちに国際社会の意見に耳を傾けつつ,停戦を経て収束するのか,

 

 あるいは双方が甚大な被害を受けながらも戦い続けるのか,その行方が気がかりでならず,一首を認めてみました。

 

 さてさて,浮雷名が憂暗那にならぬよう,露師亜は露師亜であって路死阿にならぬよう,一日も早い戦争終結が望まれるところでもあります。

 

 ついでながら,天理下は天理下であって飴利加にならぬよう,トランプ大統領の知恵をもって和解に導いてほしいと願っているのです。

 

 久々に,百姓の寝言に,なりました。

 

 忘れても 必要あれば 思い出す

   縁は途切れず 巡るものなり

 

 高齢者になると,短期的な記憶や,注意の分配能力が,少しずつ衰える傾向にあり,そのため,「何を取りに来たのか」「何を話そうと思っていたのか」が,一時的に抜け落ちることがあるようなところ,

 

 記憶そのものは保持されており,ただ一時的にアクセスがしにくくなっているという状態であり,「正常な加齢による物忘れ」とされ,認知症などとは区別されているようです。

 

 また,縁とは,人との関わりや出来事とか,思い出なども含んだ,時空を超えた繋がりであり,それは一時的には忘れられたように見えても,ふとしたきっかけで思い出され,再び心に蘇ってくることがあって,

 

 まるで四季が巡るように,人生の記憶や縁も巡りゆくようでもあり,歳を重ねたからこそ深く味わえる境地であるとも思われたのです。

 

 外交は 上手か下手で 明暗が

   駆引き巧者が 歴史を動かす

 

 政治とは,その時々の世論を察知しながら,国民が何を必要としているのかを把握し,世の中の状況に応じた施策を以って国家を安定させるとともに,外交関係を調整しながら,将来をも見据えた政策にて人々の暮らしを豊かにすることであると思われ,常に次の一手を考えながら歩むべき政務でもあるようだ。

 

 以前に,こんな一文を投稿していたのですが,総理大臣の「なめられてたまるか」との発言が気にかかり,外交関係を調整することについて,改めて考えてみると,

 

 外交とは,国家間の意思疎通を図り,平和と安全を維持しつつ,自国の経済的利益や国際的な地位を高めるために行われる重要な役割であると思われ,文化・人的交流を通じた相互理解の促進や,価値観・理念の共有,さらには多国間協調を通じた地球規模の課題への対応にまで及ぶものであり,政治に不可欠な柱の一つでもある。

 

 こんなんが出ましたが,外交は信頼関係が基盤となり,相手の立場や文化とか価値観を理解しつつ,あえて距離を詰めて心を開けば,関係を深めることができるので,特に対立ある相手とは,自分から一歩近づく姿勢が,警戒心を解く鍵になると思われるところ,相手が信頼や情を重んじるタイプである場合に限られるのでしょう。

 

 立ち直り 早い人ほど 天然か

   屈託ないのは 生来のものか

 

「立ち直りが早い人ほど,天然気質を持ち合わせている」という考えには,一理あって,

 

「細かいことをあまり気にしない」「物事を深刻に受け止めすぎない」「前向きで飾らない性格」といった意味合いのようであり,

 

 自然現象のように,風が吹けば揺れ,また元に戻るといった,そんな心の柔らかさとしなやかさを,天然気質の人は持っているのかも知れないと考えておりました。

 

 また,感情が表に出やすいけれど,すぐに収まったり,普段は屈託がなくて周囲を和ませるという気質の人は,人間味があり,親しみやすい存在のようであるところ,

 

 こうした人が身近にいると,時に驚かされたり,困ったりする事も,有るかも知れませんが,

 

 一方で「飾らず,素のままで生きる」姿に癒されている人も多いのではないかと思われ,本日の一首にしてみました。

 

 ところで,政治家の「運の良いことに能登で地震があった」(7月8日)との発言については,「運の悪いことに」と言おうとしたのが,うっかりしての言い間違いかとも思いました。

 しかし,ここまで批判が集まると,言い間違えたとは言えず,結局のところ発言を撤回して,謝罪するしかなかったとも考えられるのですが,

 本心で,「運が良いことに能登で地震があった」と認識しているなら,政治家以前に,人として問題があり,そんな馬鹿なことは,一農夫でも言わないけれど,一体どうして,こんな発言になったのか,不思議でもあるのです。

 では何故に「運の良いことに」との言葉が出たのかについては,話の後段である,2つの自治体で同じ行政サービスが受けられるとの発言が,住民にとってメリットで良いことであり,良い話をしたいとの思い込みから,「運の良いことに」と,うっかり話してしまったとも思われたのです。

 久々に百姓の寝言になったようですが,この件とは関係ないのでしょうが,関東地方では,7月10日に,線状降水帯が発生し,ゲリラ豪雨・雷雨となったのは,スピルチュアルな現象かもしれないとも考えていたのです。

 

 日本車は 小回り利いて 燃費よし

   関税高くも お買得かな

 

 アメリカ車 誰が乗るのか 細い道

   柄が太くて 燃費は悪く

 

 テレビで,ワイトショーを見ていたら,日本車に対するアメリカの関税が25%になると報道されておりましたが,

 

 日本車は,小回りが利いて,燃費が良いとの長所があり,一方でアメリカ車は,車体が大きくて,燃費は悪いという印象があるところ,

 

 結論として,日本車には,丈夫で長持ちするという魅力があり,関税が高くても選ぶ価値があると思われるのです。

 

 それにしても,自由貿易を掲げながら,自国産業を守るために高関税を課すのは,関税と言う名の鎖国のようでもあり,まるでトランプゲームのような駆け引きで進められている貿易交渉が,本当にアメリカの為になるのかと,一農夫なりに思いを巡らせておりました。