神前の 盃の水換え 十数年
両手を合わせ 今日も変らず
神様との向き合い方については,人それぞれのようですが,小生においては,神社で頂いた御札は大切に祀り,
神前には,榊立に入れた榊と,盃に入った水を,供えており,数十年(33年)前から毎朝に交換しております。
この習慣は,毎日に積み重ねていると,やがて芽が出ると,職場の知人から教えて頂き,現在まで続けているところ,
榊の水については5年くらい前から,週に一回となってはおりますが,自分なりの信仰をしているのです。
ところで,60年も前の話になりますが,日蓮正宗に入信したけれど,信仰を続けれないと,掛け軸・勤行要典・数珠を,神社の木の下に埋めたとの噂が流れたり,
近所の幼馴染においては,その頃に妙法蓮華経と暗唱で唱えているのを聞いたことがあり,小生の祖母も,その頃に日蓮正宗に入信していたので,自分も負けずに唱えてみたいと,妙法蓮華経方便品第二を少しだけ覚えた記憶があります。
この知人も,本人の代となり,日蓮正宗から元の宗旨に戻った際には,町内の熱心な日蓮正宗の信者さんに,掛け軸・勤行要典・数珠を丁寧に返した(預けた)と,これを受け取った老人(お婆さん)から聞いたのですが,その際には,御本尊様などを粗末にせずに届けてくれたと,知人を褒めていたのでした。
余談になりますが,人生においては,素直な気持ちで,心正しく生きることは,大切なことかと思われ,
素直さとは,自分の気持ちや人の言葉に対して,偏見や打算を持たずに受けとめる姿勢であり,素直である人は,誰かの意見や助言にも耳を傾けることができて,周囲との信頼関係を築きやすく,
心正しく生きるというのは,自分の良心や道徳心に従い,誠実に思いやりを持って行動することであり,たとえ困難があっても,人としての筋を通すことで,自らの人生に誇りを持てるようになるのでしょう。
この二つを大切にする生き方は,表面的には損をしているように見えることもありますが,心の安らぎや,深い人間関係,そして自分自身への信頼を育む道でもあり,
時代が変わっても,素直な気持ちで,心正しく生きることは,人生を豊かにする指針であるとも思えたのです。