家庭では 主たる者は 騒がずに

   黙して語る 背中の教え

 

 家庭において,昔は主人が堂々として,少しの事くらいで,騒ぐことなく,

 むしろ,黙して語る,親父の背中くらいの気持で居れば,家の中が,それとなく落ち着いていたと思われるのですが,

 

 現代の一般的な考え方としては,対話と共感が重視される時代であり,黙っていることが「無関心」と受け取られる場合もあり,特に子育てや夫婦関係では「言葉にして伝える」「感情を共有する」ことが大切にされているようです。

 

 また,主人だから黙っていれば良いという一方向的な姿勢よりも,家族と対話をしながら一緒に家庭を築く姿勢が重視されておるところ,

 

 短歌の後段については「心は広くて,海の如しに」としていたのを,「黙して語る,背中の教え」と修正したのは,

 

 何となくですが,懐かしさや安心感を抱かせる理想像であるとの思い込みからなのです。

 

 しかしながら,現代では「黙っているだけでは伝わらない」という面もあり,静かな包容力と,必要な時には言葉で支える姿勢の,両方が求められる時代になっているのでしょう。

 

 ところで,前回のブログ(インターネット投票)を再確認していたら,

 第27回参議員選挙の,各候補者の街頭演説はどがいなっとるんじゃろかと気にかかり,

 各政党の党首の街頭演説では,経済対策や財政面の主張が多く見られるところ,

 本当に重要なのは,その党が「どのような社会を目指しているのか」という理念であり,

 「命・文化・自然・心を大切にする政策はあるか」という視点で比較すれば,政党の本質が見えてくるものと考えられるので,

 消費税廃止やミサイルより米をといった訴えも理解できますが,各候補者からは政治家としての信念や,どんな社会を目指すのかという理念や信条にも耳を傾けたいと思ったのです。

 

 各選挙 インターネットで 投票を

   参加ひろがり 総意が見える

 

 第27回参議員選挙が7月3日に公示され,20日が投票日であると,テレビのニュースで報じておりましたが,

 

 以前のブログに,インターネットを利用した投票についてとの内容で投稿しており,何の役にも立たないのですが,再度の投稿をしてみたい。

 

2014/12/13

   インターネットを利用した投票について

 北西の風が,強く吹いていた,極寒の一日でした。

 あまりの寒さで,本日においても犬との散歩以外は家の中に篭り,コタツの中で足を伸ばし,テレビの画面とパソコンのディスプレイを交互に見ながら時間を過ごしておりました。

 テレビでは,明日の衆議院議員総選挙の投票に向けて,各候補者が最後のお願いをするべく懸命になっている様子が映し出されており,選挙で当選するのと落選したでは天と地ほどの差があるので,何としてでも当選したいとの気持ちが伝わってきたのです。

 この選挙について,投票の方法が今より多くあれば,投票率が向上すると思ったことがあり,インターネットを介した選挙に関心を持ち続けておりますが,

 ネット選挙については,インターネットでの選挙運動が可能となっているところ,投票については従来とおり投票所へ足を運んで投票しているのが現状のようです。

 ところで,インターネット投票については賛否両論なのでしょうが,これが実現されたならインターネット等に精通している若者層であれば投票所へ足を運ぶことなく投票が可能となり,なお政治について多くの有権者が関心を持つようになると思われるので検討の余地はありそうです。

 しかしながら,インターネット投票(不在者投票も含む)が定着すれば,気楽に投票できることから特定の人気者や政党へ投票が集中することも考えられます。

 それはさておき,有権者の声を国政に反映させて安定した政権運営を行うためには,投票率の向上は不可欠であり,そのためにもインターネット投票は重要な鍵になると思われるので,インターネットを利用した投票について述べてみたい。

 

 日本における電子投票は,2002年施行の電子投票法に基づき,地方選挙に限って認められているが,導入後に機器トラブルや運用上の課題が相次いだため,現在では多くの自治体で中止され,事実上ほとんど行われていない。

 

 ところで,ここ数年インターネットの普及率は年毎に上昇しており,携帯電話も含めれば国民の80パーセント以上の人が何らかの形でインターネットを利用し,電子メールの取扱いにも慣れている。

 ついては,選挙事務の簡素化を図り予算を軽減させるために,個人が所持するパソコン等から,インターネットを利用した投票を実現すべく,下記のとおり考えてみました。

                  記

1 市町村の選挙管理委員会は,選挙日程が告示されたなら,市町村が管理するホームページへ当該選挙についての詳細を記載し,選挙人が何時でも閲覧できて,希望する者には同委員会へインターネット投票の様式(以下投票用紙という)を請求できるよう掲示する。

2 選挙管理委員会は,選挙人からインターネット投票を希望する電子メールが届けば,速やかに住民基本台帳から抽出した選挙人名簿と照合のうえ,選挙人(家族単位または個人)に対し当該選挙における投票用紙を電子メールにて返信する。

 この時に選挙管理委員会の職員は,選挙人がインターネット投票であることを確認し,重複して『選挙のお知らせ,あるいは選挙入場券在中』を発送しないよう該当する投票方法の欄にチェックをする。

3 選挙人は投票用紙が届いたなら,選挙権を行使すべく速やかに同用紙に記録のうえ,パソコン等から選挙管理委員会へ返信し投票を完結する。

 以上のとおり簡単なインターネット投票のアウトラインについて述べてみましたが,実際に施行するには,更なる細則が必要となります。

 

 それはインターネット投票の全てに関し専門職が起案するのでしょうが,

 一例を掲げ問題点とするなら,

 個人情報の保護を第一に考え,インターネットで投票した際に誰がどの候補者へ一票を投じたのか判別できないシステムの構築が必要であり,

 選挙管理委員会のサーバーへメールが入った時点で,投票内容は別のボックスへ格納され,管理者でも操作不能な工夫も必要になってくる。

 その他として,今どきは株式とか銀行預金も電子化されているので選挙事務に電子的な補助があっても問題はないものと考えられ,

 国民の選挙に対する無関心さを少しでも軽減させ,特に若者層においてはインターネットを利用した投票が可能となれば政治が身近な存在となり,小さな政党とか野党にも一票を投じやすくなり,結果として投票率を向上させて民意が国政に反映されるのではなかろうかと思われるのです。

 

 こんな寝言になりましたが,何れはインターネット投票を柱にした選挙制度が確立されるものと思われるところ,更に付け加えるならば国民総背番号制(マイナンバー)の導入後にネット投票を実施するのが,各種セキュリティ上においては不可欠であり,他人から依頼を受けて投票することのないよう,投票用紙を受信したパソコン等から返信にて投票するとかの工夫も必要であると考えておるところです。

 

 こんな内容を,投稿していたのですが,改めて考えてみると,

 

 インターネット投票(オンライン投票)の導入と,その政治的影響については,さまざまな観点から議論されているようですが,現状において考えられる可能性について整理してみると,

 

1 なぜ実現しにくいのか。

 サイバー攻撃や成りすまし,投票の秘匿性など,技術的・倫理的な課題が多く,なかなか実現に踏み切れないのが,要因になっている。

 

2 政治的利害関係

 制度を変えるのは,基本的に与党主導であるため,オンライン投票の導入が与党に不利だと認識されていれば,積極的に進めようとしない可能性がある。

 

3 既得権益と保守性

 現在の選挙制度で,勝てている側(与党やその支持団体)は,制度改革に対して消極的になる傾向がある。

 

4 海外の事例

 エストニアなど,インターネット投票を実際に導入している国では,それを支えるために,国民ID制度の整備や,国全体のデジタル化が進んでいるところ,日本ではマイナンバー制度が,まだ十分に浸透しておらず,その点でもハードルは高いようです。

 

5 結論(私見)

 インターネット投票が確立されれば,野党が有利になると考えられ,それゆえに実行されにくいというのは,現実の政治的力学や構図を反映したものであり,

 技術的な課題はあるにせよ,本質的には「誰が得をするか・損をするか」という政治的判断が,制度導入の最大のハードルになっている面は否定できないようである。

 

6 補足として

 インターネット投票については,一時的には与党に不利に働くことがあっても,王道を貫けば,やがては大きな成果につながると思われ,短所と長所は表裏一体であるので,与党こそが積極的に関与し,時代に即した新たな投票方法を確立すべきではないでしょうか。

 

 街角に 掲げしポスター 数あれど

   候補の声は 誰に届くか

 

 カエル鳴き 涼しき夜風に 身をまかせ

   静けさ満ちて こころ和らぎ

 

 本日においては,私用にて,四万十町を往復していたのですが,

 

 青空の下で,四万十川の清らかな流れに,心地よいそよ風が吹いており,鮎釣りの舟が静かに浮かぶ,夏の風景が広がっておりました。

 

 ところで,今朝のこと,午前3時ころにエアコンのスイッチを切り,窓を開けて,網戸から入る涼しい夜風を感じていたら,

 

 静けさの中から,カエルの鳴き声が聞こえると同時に,遠い昔の記憶がよみがえって,

 

 時を越えて心を癒してくれる,自然からの静かな贈り物のように感じられ,懐かしくもあり,心が和らいだのでした。

 

 其れはそれ 此れはこれだと 割り切って

   未練断ちても 影は寄り添う

 

 「其れはそれ,此れはこれだと,割り切る」ことは理性的な行動であるところ,感情はそれとは別の次元にあり,頭では「仕方ない」と分かっていても,心が追い付かないという気持ちを,誰しもが一度は経験するようです。

 

 「情け」や「未練」は,弱さと捉えられることもあるようですが,それは裏を返せば「人間らしさ」の証かと思われ,特に日本文化では「未練がましい」ことを悪としながらも,「情を忘れぬ人」を美徳としても尊ぶこともあり,

 

 記憶や感情は完全に消えるのではなく,むしろ,その人の人格や人生観に深く根ざしていくもので,何かの匂い・風景・言葉に触れたときに,ふと浮かび上がる「影」は,過去が「今の自分」に寄り添っている証でもあるのではなかろうかと考えておりました。

 

 そんなことで,生きている限り,人は理性で割り切っても,心の奥底にある「情け」や「記憶」は,まるで影のように付き添ってくるものと思われ,それは人間である証であり,ある意味で美しいことでもあるのでしょう。

 

 広告の ×を見つけて クリックす

   指の記憶が 先に動けり

 

 インターネットで情報を検索していると,画面が表示されると同時に,パソコンの下部に帯状の広告が出る時があり,

 その際には,特に考えることもなく,×印をクリックしていました。

 

 しかしながら,広告が画面中央に表示された場合には,最初は「Close」ボタンがどこにあるのか分からず,広告を見る必要がない時には,画面自体を閉じて,再度同じ情報を表示させるという動作を繰り返していたのです。

 

 ところがある時に,「Close」ボタンを画面左下の枠外に発見してからは,迷わずそこをクリックして,スムーズに情報を確認できるようになり,それを思い出して,本日の一首としてみました。

 

 一升瓶 靴下履かせ 2週間

   ゴムが伸びれば 履きやすくなり

 

 テレビのニュースによると,西日本は27日に,梅雨明けしたと報じておりましたが,

 

 すんなりと梅雨明けしたのは良いものの,雨が降らなければ,水不足にならないかと,一農夫なりに,考えておりました。

 

 さて今日の一首は,2週間前に100均で靴下を3足買ったのですが,この靴下は足首を締め付け過ぎるので,何とかならないかと考えていたら,

 

 ゴムを伸ばせば良いとの発想があり,一升瓶に,靴下を履かせいたところ,

 

 今日は,何となく思い付いて,一升瓶から取り外したら,

 

 わずかですが,ゴムが伸びて履きやすくなっており,靴下を2つに折り曲げて履くと,スッキリしたのでした。

 

 人生は 全ての事が 自己責任

   それを忘れず 今日も歩まん

 

 人生においては,何かが起こっても,全ての事が自己責任であると思いつつ,それを忘れずに,日々を歩んでいるのですが,

 

 自己責任という気持ちを受け入れているのは,他者や運命を責めず,全てを自ら受け止めるという姿勢であるところ,

 

 日常生活をしておれば,確かに「自己責任」でありながらも,「他力」にも支えられている面があり,空を見上げて風に吹かれるような時に,人は「自分一人で生きているのではない」と気付かされることがあるので,

 

 人生は全ての事が自己責任としたものの,「自己責任」による切り捨てではなく「仕方のないこともある」という優しさと併存することも大切であると思われたのです。

 

 会話では 余計な事は 喋らずに

   余白に宿る 真の優しさ

 

 前回のブログ記事が,イマイチでしたので,新たに投稿してみたく,一首を認めてみました。

 

 親子や夫婦のような近い関係では,感情を抑えずに話せるということが「信頼関係が築かれている証」として肯定的に捉えられることが多く,

 

 たとえ言い争いになっても,それを通じてお互いの考えを知り,理解を深めるきっかけになる事もあるようです。

 

 一方で「余計なことを言わない」「あえて沈黙する」という姿勢は,相手への思いやり,つまり「相手の心に踏み込まない配慮」や「相手の立場に立って余白を残す成熟した対応」として評価されることもあり,

 

 遠慮なく話すことも,余白を残すことも,どちらも「愛情」や「思いやり」の現れと,されているようですが,

 

 大切なのは相手との関係性や,その時の状況に応じたバランスであり,沈黙が優しさになることもあれば,率直な対話が必要なこともあると思われたのです。

 

 戦わぬ その勇気こそ 尊けれ

   憎しみを超え 愛は根づけり

 

 アメリカ軍が,イラン国内3カ所にある,核施設を空爆(日本時間22日午前)したと,テレビのニュースで報じておりましたが,この衝撃的な出来事を,世界の人々は,どのように受け止めているのかと考えておりました。

 

 戦争が起こる理由は,領土問題・資源(石油・水・鉱物など)・民族・宗教の違い,経済的圧力などが原因になることがあり,

 自国の権益を拡大したい,敵の勢力拡大を防ぎたいといった,考えに基づく行動や,

 独裁的な体制では,指導者の意向が戦争の引き金となることもあるようです。

 

 戦わぬ勇気については,非暴力による抵抗として,高い道徳性と人類共通の価値観として評価されることがあるところ,

 戦わないことは,弱さではなく,強い意志と理性による選択と見なされ,

 対話・相互理解・和解を通じて,戦わない道を探す努力が,重要視されています。

 

 しかしながら,現実には,戦わないことが,すぐに平和をもたらすとは限らず,

 1 相手が,理不尽で暴力的な場合は,戦わずに済むのか?

 2 抑圧される側が,声を上げる手段として,武力に頼らざるを得ない状況は?

 3 他国への,侵略を黙認してよいのか?

 このように,理想と現実との間には大きなギャップがあるところ,「戦わぬ勇気」を貫くには,大きな覚悟と国際社会の理解と連帯が必要であると考えられ,

 

 「戦わないこと」を選ぶことは,決して逃げているのではなく「未来への選択肢」として,多くの人の共感を得られる一つの考え方でもあり,憎しみを越えて,愛は根づいてゆくと思われるのです。

 

 戦争は 何があっても 行わず

   平和を維持し 世界を豊かに

 

 水田の ジャンボタニシを 網で取り

   網の目越しに 夏がきらめき

 

 6月も下旬となり,田畑での仕事は,落ち着いているものの,本日においては,里芋が育っている畝の草を鍬にて取り除き,その畝にマルチシートを被せておりました。

 

 例年なら,里芋を植え付けてから1週間以内には,マルチシートを被せているのですが,今年は慌てることは無いと見守っていたら,3ヶ月が過ぎてしまい,その間には畝に草が生えたので一度は除草していたのです。

 

 ところで,水田にて,ジャンボタニシを網で取っていると,夏の風に早苗が揺れて,網の目越しに,大自然が生き生きと輝いているようでもあり,

 

 6月1日に植え付けた早苗はすくすくと育ち,梅雨の中休みの優しい陽射しが降り注ぎ,昔ながらの農村の風景が広がっており,今日の一首にしてみました。