プロムナード -40ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

宇宙に太陽光発電の発電所を建設し、起電した電力をマイクロ波で伝送して地上で電力へと変換する宇宙太陽発電所、SPS(Solar Power Satellite)。
いささかSFっぽいけれども、京都大学を始めJAXAなどが実用化に向けて研究を進めている。


このSPS、ワイヤレステクノロジーパークに於ける京都大学の説明によれば、
原発に相当する電力を供給可能だと言う。


SPS(Solar Power Satellite:宇宙太陽発電所)
 


今日び、新聞などで核廃棄物は10万年後も存続するのだから、問題を先送りしてはいけないと書く。将来の人類に任せてはいけないとも書く。それは正しいだろう。

10万年後でも、人類は存続していると思う。ただし遺伝子としてだろうけどw

しかし、その時のことを考えて、今から原発を停止すべしとかいう理論はナンセンスすぎる。だって10万年後は、人間は人間じゃないんだもん。

そもそも新聞や雑誌は、恐怖心を煽るタイトルをつけると売れるそうだ。そういえば電車の中吊り広告でよく見る「日本の凋落」「滑落」「破滅」「壊滅」という文字。この手法、ある新聞社社長が講演で言っていたから間違いないだろう。ということは、原発存続の必要性という記事ではタブン売れないだろうから、いっそのこと「電力不足がもたらす『日本製造業の終焉』」とかタイトルすれば売れるかも。

我国は先進国の中で最右翼的なエネルギー貧乏国であり、国民皆がエネルギー難民だ。フツーに考えてエネルギーがなければ国として産業は成り立たないから先進国として留まることが困難となる。

いずれにせよ、原発は出来るだけ早く停止させるにしても、代替エネルギーが安定供給できるまでは停止させちゃいけないと思うのだ。

そこで、じゃ原発に代わる代替エネルギーはどうすんの?と言う話。


その前に:
原発を廃止に導く為には、2つの方法が考えれると思う。

1) 一つはオフグリッドによる発電箇所を多数設け、系統への連系を行わずローカルに発電を行う方法。再生可能エネルギーと蓄電池で賄う。

街頭設備など多少の電力変動は吸収できるというアプリケーションに対しては、オフグリッドの発電設備からのみ電力を供給させる。系統とは寸断する。一方、系統からの電力は、原則的に産業用や病院、家庭への供給に絞る。この結果、系統からの基幹産業への電力供給は安定する。街頭の一斉停電はなくなる。

2) もう一つは、上記のSPSの様なグローバル電力安定供給を可能とする発電設備を建設すること。


他でも述べたように、小生は原発には反対だが廃止は不可能と考えている。今考えるべきは原発の廃止ではなく、どうやって代替エネルギーを用意するかと言うことだ。再生可能エネルギーも一つの解ではあるが、電力の安定供給は望めない。

再生可能エネルギー、素晴らしい発電方法だと思う。しかし安定供給と安定運用という視点で見ると。。。


風力発電は、その設備が本当に地震や津波に絶えられるかどうか、誰にも分からないだろう。もちろん厳密な計算に基づくシミュレーションや数々の実証に基づいて建設されていると思うが、それでも建設に伴う人的ミスは生じる。それに気がつかなければ潜在するミスは発覚しない。工事中に人的ミスは無かったことを証明する手段は無い。悪魔の証明よろしく、無いことを証明することは不可能だ。ゼッタイ安全といっていた福島原発が人災であったことなどがその例。

また、南米で蝶が羽ばたくと北米でハリケーンが生じるというたとえ(バタフライ効果)があるが、自然現象は連鎖するものだから、何か災害が起きた場合、どこに原因の発端があるのか、実はわからない。自然の現象は経ち止ることなく形を変えて連鎖する。風力発電にしても、総ての自然現象について、その相乗的な現象まですべてを含めてシミュレーションすることは不可能だから、想定外の自然現象の攻撃を受けて、沈没することもある。

それと、北米の風力発電所、Wind Farmを見ても分かる通り、風力発電機の数パーセントから数十パーセントは稼動していない。小生の見たところでは、例えばロサンジェルスからパームスプリングスに至る10号線にしても、カリフォルニアのベイエリアのI580沿いにあるアルタモントパスの風力発電所でも、相当数の発電機が停止している。故障なのかメインテナンスなのかは分からないけど、稼動率はあまり高くなさそうだし、維持費が相当かかりそうだ。

太陽光発電は、追尾型でない限り、稼動部がないから機械的な消耗部品がないため、寿命は長い。但し、天候や昼夜の明るさによって発電量が極めて異なってくる。

発電についても、太陽電池は真夏の炎天下だと最大の電力を発生すると考えている人が多いのではないか?

実際は違う。太陽電池は半導体だから、ある温度を超えると、荷電子帯にある電子が熱で励起されて伝道帯へとシフトしてしまうために半導体としての働きをしなくなり、単なる抵抗体となってしまう。従って、太陽電池にとっても最も望ましい環境は、太陽電池に対して垂直な方向から可視光線が差込み、大気による拡散が少ない土地でしかも涼しいところとなる。そんなところ、日本には無い。そしてなにより、夜間は発電しないから安定的な電力供給は不可能ということになる。

こうしたことから、我国には、再生可能エネルギーではないエネルギー源が必要だ。

センチメントになり、或いはヒステリックになって原発反対と息巻いてシュプレしたりアジるのはもうやめて、それに費やすパワーや金を、SPSの様な新技術への投資に回したり具体的なアイデアを出していくことこそ、エネルギー貧乏国である我国が、今、取り組むべきテーマじゃありませんか?

恐らく、こういう技術による電力供給が可能になる時期はそんなに先ではない。京都大学の説明では、2040年の実用化を目指しているという。原発一基分の電力が安定供給できるようになるというのはもっと先になるかもしれないが、それでも、すくなくとも人類が滅亡するほど先の話じゃないはず。


有名芸能人を駆り出して「原発反対」の和を広げる。その手段、否定はしないが、相当に某政党を彷彿とさせる。彼等のいうことは、とにかく原発を廃止すべきの一点張りであり、代替エネルギーに関する施策を促せとはついぞ言っていない。


門外漢だからといえばそれまでなのだが、これまでエネルギーの大半を原発に頼っておきながら、代替対応策については棚上げのまま、廃止せよとのたまう。元の生活に戻れないところまで来ているというのに。それって、センチメントを通り越し、今や滑稽なほどヒステリックになってはいまいか?
 

福島原子力発電所-新古河変電所に至る福島幹線

誤解なきよう断っておくが、小生だって「もちろん、原発反対派」だ。あんなアブナイもん、無くなった方がいいに決まっている。核廃棄問題だって、ゼンゼンいい加減だし。

但し、問題は、代替エネルギーがないまま廃止することは無茶ですよ、ということだ。

例えて言うならば、携帯電話。今もなお電磁波問題が見え隠れしている、いわばグレーな製品なのだが、リスク回避という観点から言えば、さっさと廃止すればいい。少なくとも、危ないと思う人は使用を中止すればいい。有名芸能人を使って大衆を煽って使用を廃止させればいい。それが出来ない理由は何か?人類は既にこの「便利なもの」を手に入れてしまったから元に戻れないということなのだ。
WiFiにしても、空中線送信電力が小さいというだけで、使用している電磁波は2.4GHzだから電子レンジと同じ周波数帯を使っている。このマイクロ派は、人体は完全に貫通するから、ブキミといえばブキミ。

しかし、今の暮らしを捨てて、それこそ発展途上の諸国のように年がら年中停電はあるわ、いや電気だけじゃないな、電力で稼動するライフラインや交通機関がしょっちゅう停止する事態になっても、原発を動かすよりマシと心底思う人って、どれくらいいるのだろうか?

この豊かな生活にどっぷりと浸かっている私達が、発展途上国生活に戻ることは現実問題として可能なのか?電力不足は電気のみならず、電力によって供給を安定させている水、ガスといったライフラインや、通信網に対しても大きな被害を与える。それらが不安定な生活に戻れるのか? 果たして原発即時廃止論者たちにその覚悟があるのか。

それとも、ひょっとすると、「これを機会に、日本は製造業を廃止しようぜ」ということ? それでなくてもエネルギー難民である我国が、ものづくりを放棄したら一体どんな国になってしまうのか?そうなったら日本を捨てちゃえ、そんなことを暗示している??

いや、そんな事態にはならないという説もあるようだが、ならないということを示すためには、あの有名な論理、「悪魔の証明」が必要だ。

これまで多くの人は電力エネルギーについてあまり意識していなかったと思う。それを思うと、今は大変な意識改革を迎えていることになる。それは大変結構なのだが、意識を変えようね、だけじゃダメなのだ。

具体的な施策や方策を議論しない、会議を永遠と続けている。


再生可能エネルギーとして太陽光、風力、地熱その他バイオマスまで多数の発電方法があるが、原発に勝る方法は、はっきりいってありません。発電量の問題だけじゃない。電力の歩留まりの安定こそ問題なのだ。日昼夜を通し、天候に左右されず、一定の電力を供給し続けるエネルギー源は、今の技術では原子力に頼るしかないのだ。かつて話題になった低温核融合も、最近は聞かなくなったし、我国国民は、代替が無いのが現状であるということをしっかりと認識する必要があると考えます。


有名芸能人もそうだが、そもそも原発廃止を訴える方々は、押しなべて製造業者ではない。そもそも我国はエネルギー資源となるものが貧相なエネルギー貧乏国であり、つまり「エネルギー難民」なのですよ。なおかつ、我国の産業がものづくりに頼っているのであれば、物を作るためには何が必要なのかをキチンと理解する必要がある。

電力の不安定がもたらす製造業会社の倒産が生じた時、あなた方はその責任を取れますか?という話だ。原子ムラ云々とか言う次元の話ではない。


小生、仕事を通じ、太陽光発電システムの高効率化と低価格化への技術供与に関っているので、太陽光発電がたくさん増えることは極めて有難いのだが、それでも太陽光発電が原子力発電の代替になるとは全く思っていない。山手線一周分の土地で原発一基分の電力が生成される。ということは国内全部の原発を太陽光発電に置き換えるとすれば、実にその一周分の土地の50倍以上の土地を確保しなくてはならない。不可能でしょ。
しかも、あの子達ときたら曇天の時には適当にサボるし、夜間は全く働かない。そんなヤツ等に全部の仕事を任せられますか?ということです。

間違った知識で再生可能エネルギーを評価してはならない。

恐らく、太陽電池は真夏の炎天下こそ最も活発に発電すると思っている輩が多いのでは?? 

であれば、じゃ、現在の火力発電をもっと活性化させれば、という意見もあるが、石油石炭という相場モンに頼ってばかりいたら、いつ何時に諸外国から足元をすくわれるか判ったものじゃない。更に、CO2削減という件はどうするんですか?(尤も、この驚くべき非科学的なCO2温暖化説は、鳴りを潜めているようだが)。

水力発電だって、今後降雨量の歩留まりが安定しているとは誰も断言できない。

じゃ、オマエは代替について具体的な案があるのか、と聞かれると、残念ながら小生の能力では浮かばない。悔しい。

よって、

誰かがとんでもなくすばらしい方法を提案してくれるまでは、仕方が無いけど原発に頼るしかない

という考え。廃止しても構わない事態になるまでは存続させるしかないという考え。

とにかく、芸能人や、言っている事が良くわからないアタマがトンデル学識者の意見に対して無条件に賛同することは避けるべきだ。原発が悪いことは誰でも知っている。悪者をことさら強調して大衆の恐怖心を煽って思考を停止する手法は、アヤシイ新興宗教がやる手段とちっとも変わらない。もっと冷静になって代替エネルギーに関するアイデアを科学的に議論すべきだ。

一方、もう一つ議論すべきテーマがある。

今回の東日本大震災の後、東北電力の女川原発は無事だった。というより、付近の被災者に避難場所を提供した。福島原発があの体たらくだったというのに、何という違い。かたや優等生であり、かたや非行少年。この違いは一体どこにあるのか??
要するに、原発そのものの問題ではないということ。原発が悪いのではなく、原発を管理する側の問題なのだ。女川の様に、被災を想定して管理を徹底すれば、原発は優等生として振舞う。

つまり原発問題とは、原発そのものの廃止を問うのではなく、原発の管理方法を論じるべきではないか。


実はそんなことは小生の様な愚か者が言わなくたって、まともな見識者は皆理解しているはず。産学含めて日夜、代替エネルギーの研究を進めているはず。だから、あまりヒステリックになって彼等をかき回さないほうがよろしいかと。原発を廃絶せよ、と叫ぶ一方、返す刀で、世論として「おまい等、早く代替エネルギーを開発しろ」みたいなプレッシャを与えすぎて今の原発に近い中途半端なシステムが出来上がり、にも拘らずそれに頼るような事態になると、それこそ人類は終焉を迎えてしまう。

小生が学生時代、「大学を解体せよ」みたいなムーブメントが徘徊していた。結局不発だった理由は、取りも直さず、「そのあとどうすんの?」が明示されていなかったことだと思う。今の原発議論も、それに近い気がしてならない。

原子力ムラを解体するということと、エネルギー源の確保を放棄するということは、全く別に議論すべきと考えます。


原発問題については様々なプロスコンスがあって、まさに喧々諤々状態となっているが、この議題は原発を完全にカバーし得る次世代エネルギー生成方法が確立して、エネルギーが安定に供給出来る様になるまで続くだろう。

原発が「必要悪」であることは誰もが理解していると思う。いわば警察みたいなものだ。悪人がいなければ警察はいらない。でも現実としては悪人はいるから警察が必要となる。軍隊だって同様。ならず者の国があるから軍隊を配備して警戒を続ける。そんなことは子供でもわかることだ。

原発もある意味それに近い。原発に代替できるエネルギー源が見つかるか、エネルギーの生成方法(科学的に言うと、エネルギーは生成されるものではなく、変換されるもの)が確立されれば、原発に頼る必要は全くない。それだって、子供でもわかる。

原発反対というだけで代替エネルギー計画のマイルストーンと計画の妥当性をきちんと説明できなければ、原発反対発言は単なるセンチメントな感情に流されて発言しているだけとしか思えず、悪く言えば、後々になって「そこにいたこと」という思い出作りをしているにすぎないと見えてしまう。


再生可能エネルギーについても、残念ながら我国には電力を安定的に供給することが可能な砂漠地帯ソーラーファームを建設することは望めないし、風力発電にしても定常的な風を受ける土地は殆どない。これが我国の現実なのだ。

実際問題として簡単な計算をすればわかるのだが、原発1基分は山手線で囲まれた土地分(甲子園の1500倍)の土地が必要で、しかも発電する時間帯は限られており、電力収穫量は天候によって激しく変動する。また、風力であれば、お台場にある観覧車と同じ大きさの風車を2000台設置しなくてはならない。しかもこれまたいつでも風がある場所なんて日本にはない。因みに、台風の様な突風時には停止させておく必要がある。つまり、これらの再生可能可能再生可能エネルギーは、安定供給が可能なエネルギーを補助するものなのだ。

小生は仕事の一部に於いて、太陽光発電システムの技術に深く関わっている。だからこそ言えるのだ。決して受け売りで言っているわけではない。

誰かが罠にかけようとしているとまでは思わないが、恐怖心や不安感を煽っていることは確かだと思う。人々はセンチメント、或いはもっと極端に言えば、ヒステリックになっている。もっと冷静に考える必要があると思う。

いま、問題とすべきは、賛成か反対かといったデジタル的な結論を出すことではなく、いつどうやって代替エネルギーを開発するのかということを論じるべきなのだが、原発に対する嫌悪感という感情が先走り、科学的な議論があまり進んでいないという気がしてならない。

太陽光発電の場合、ジェネシス計画の様な壮大な構想もあるにはあり、超伝導による送電線の研究も進んでいるが、とにかく代替エネルギーの具体的なプランが提示できない限りは、絵空事となってしまう。歪んだ節電対策についても、いったいいつまで継続させる必要があるのかということも、釈然としないままとなる。

産業に対する影響についは、実際に製造業に携わっていないと理解し難いかもしれないことだが、

電力に於いて非常に大切なことは供給の安定性だ。

電源電圧や周波数が安定していること、交流の正弦波に高調波成分が含まれていないこと、といった電力の品質はもとより、電力供給が安定しているということは極めて重要な要素なのだ。

もしもエネルギー供給の歩留まりが安定していないとなると、まともな製造計画が立案できなくなる。計画が立案できなければ会社経営が成り立たない。いきおい、製造業は供給を受けられる最低電力に合わせて製造規模を縮小するか、海外に製造拠点を移すしかない。それによる日本経済への打撃は、底知れず大きなものとなる。

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とある会社の話。

その会社は、3つのプロジェクトの収益で成り立っていた。

そこの会社には、Aという品行方正で礼儀正しく、しかも辣腕な営業マンがいた。Aは、景気の動向や自然天候などの外的要因の変動には殆ど影響を受けることなく、常に安定した売上をあげ、しかも売上の大半は彼が稼ぎ出していた。実際、会社としてはAの売上で経営が成り立っていたといっても過言ではなかった。


その彼が、ある日会社に損害を与えるような失態を演じた。たった一回ではあったが、会社や客先に与えた影響は大きかった。但し、幸いにして会社が倒産するといった事態にはならず、とりあえずは危機を脱することが出来た。 が、しかし。。。


ここで、経営者は大きな決断を迫られる。


1.世間体を鑑み、会社としての責任をとるべくAを解雇する。但し、AのプロジェクトをBやCが引き継ぐことは不可能。更に、BとCのプロジェクトの売上だけでは会社経営が困難なことは自明であるため、いきおい、Aの解雇がそのまま会社の倒産へと連鎖することは必至。


2.会社倒産を回避すべく、今後Aに対し行動に関して厳重な管理を行うことを条件としてプロジェクトの継続を図る。しかし、今後、この先同様の事態が起きないという保証はどこにもない。

この段階にて、果たして経営陣はどういう選択をするのか・・・・

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ううむ。。。
どこにでもありそうな話なのだが、Aを原発、B、Cを火力や水力などの発電方式、そして売上を電力と読み替えると、この問題も妙に身近に感じられるワケで。。。

 
男と女。

古い映画のタイトルにもあったこのテーマ、両者の性差に関する研究は古今東西を問わず盛んに進んでいるが、心理的な差異ではなく物理的な性差については客観性があって、理論的に説明が可能であるから大変興味深い。

Discovery Magazineから
http://discovermagazine.com/2012/jul-aug/06-humans-with-super-human-vision/article_view?b_start:int=0&-C= 


この記事に書かれている内容は、色覚という物理的なセンサーの分解能の差が男女間にありそうだと述べていること。


視細胞のひとつである錐体細胞は、人間の場合、3種類とされており、一つの細胞が各々100ずつのRGB(赤、緑、青)を色覚する。従って人間が識別できる色は100^3、即ち100万色とされている。ところが実際には、4つの錐体細胞を持つ人間がいるという。しかも全女性のうち12%がそれに相当する可能性があるらしい。

 

 

CIExy色度図
 
古(いにしえ)の時代、爬虫類はRGBの錐体以外に紫外線を感知する錐体を備えて4色型色覚であったが、彼等の一部が哺乳類に進化した後は、専ら行動パターンが夜行性であったために2色型色覚となったという。即ちRGB+UVというセンサーのうち、青錐体と赤錐体のみとなった。一方、それらの哺乳類のうち霊長類は、昼行性として活動したために緑錐体が「復活」して3色型色覚になったのだそうだ。

ところが、どうやらこの3色型錐体以外に、退化している別の錐体か、若しくは変異によって生じた別の錐体を持つ人類、つまり4色型色覚をもつ人間がいるというのだ。それがしかも女性限定で、しかも10人のうちの1人がそれらしい。。。なんという性差。先天的な能力の差ともいうべきか。

進化の過程に於いて、一度退化した能力が再び活性化するというのはあまり聞かないから、むしろ新たに誕生したのかもしれないが。

この4つ目の錐体が何を検出しているのかはまだわからないようだが、この記事によると、RGBの混合色で作成した光に対し、3色型色覚者には識別できない差異を、4色型色覚者は確実に指摘できたという。少なくとも実験はRGBで造った光の範囲だと思われるので、その波長に紫外線とか赤外線の領域は含まれていないと思われる。よって、被験者は通常の可視光領域に於いて、それぞれの光の波長に対する色覚が常人(男衆+女性のうちの88%)よりも優れていたということは確かなようだ。つまり、4番目の錐体があるのか、或いは3つの錐体の分解能が優れているのか、どちらかだと思う。


ただし問題はこれを立証する手段が無いこと。というか、たとえ4つの錐体細胞を持つ人が見たものの色の違いを説明しても、3つの錐体細胞しかもたない人には色覚できないから、それ以上どうしようもない。。。従ってその能力を見出すことも育てる方法もないのだそうだ。

RGB24ビットで約1,680万色。フツーの人間はそのうちの100万色しか識別できないというのに、くだんの能力を持つその女性は、なんとその100倍色の相対比較が出来るという。女性のうち、12%がそれに相当する可能性があるという根拠が判らないが(多分遺伝学的なところからかな?)、色は単体として色覚されることよりも周辺の色と混色して相乗的に色覚されることの方が多いから、10人に一人の女性は、実は感性として無意識に識別しているのかもしれない。

しかも、
どう識別しているかを説明できないまま。

そして、説明されてもゼンゼンわからないまま。
これはナゾだなぁ。


いずれにせよ世の男衆は、色の違いや色合いとかについて、というか、少なくとも人工色ではなくアナログ量として自然に存在する色については、四の五の言わずに女性の感性を重んじた方が良さそうだ。なにせ、意見を述べるその女性こそ、第四の錐体を持っているのかもしれないから。

この記事の最後にあるように、もし自分がそれかも?と言う人は是非ご連絡を、とのことです。光や色に関する技術的なブレークスルーが生まれるきっかけになるかもしれない。

オトコにはわからんこと、また増えた。。。
 

 

先週、「カエルの王女さま」というテレビドラマが終わった。ドラマの筋書きとしてはいわゆる予定調和な流れであるが、物語の進行はともかく、特筆すべきは脇役として出演していた大島優子さんのブログコメントだ。以下に紹介する。

6月21日付 大島優子オフィシャルブログ「ゆうらり ゆうこ」より  http://ameblo.jp/oshima-y/

-----------2012-06-21 19:07:40----------

本日で『カエルの王女さま』最終回です(>_<)
シャンソンズと音楽堂がどういう結末を迎えるのか見届けてください。
まひる(注:大島優子さんが演じた役柄)はシャンソンズに出会って人生が変わりました。チャレンジする勇気や、変える力を身につけたまひるに出会えたことは私、大島優子にとっても大きなきっかけになりました。
歌に対して、意識も変わりました。「伝える」には、まずじぶんがその歌を感じなくちゃいけないんだ、と分かりました。まずじぶんの中に歌を溶かしていくこと。シャンソンズで学びました。
そして、主演である天海さんに出会えたことも本当に光栄に思っています。たくさんのことを勉強させていただきました(>_<。)
今まで思ったことが無かったのですが私もいつか、主演が出来るような、天海さんのような人になりたい。そう思いました。。。
いろんなことを感じさせてくれたシャンソンズに感謝しています。感動のフィナーレ、ぜひ、見てください。
見てくれていたみなさん、ありがとうございました。

 

出典: 大島優子オフィシャルブログ
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ううむ。。。。
要するに、自分が演じた役に自分の生き方を教えてもらったといっているのだ。「まひる」がシャンソンズに入ってから、価値観も含め人生観や行動までが大きく変貌していったということは、即ち自己啓発のための千載一遇ともいうべきチャンスに気付きがあったということに他ならず、従って優子さんは実世界に於ける彼女自身の現在を、「まひる」に写像して捉えたのだろうと考える。つまり、

大島優子さんは、まひるを演じることによって「自分はAKB48の中でこうあるべきだ」という自我と自分の立ち位置を再認識したのだろう。


更に、「まひる」が自己啓発した暁に、それまでの自分が残してきた負の痕跡を全て塗り替えるが如くPositiveな思考やAggressiveな行動を取るように昇華したということが、それを演じている優子さんに大きな影響を与えたという。

元来、優子さんは屈託のない笑顔で明るく振舞うというところが天性的なキャラとして広く認知されているが、その彼女が、変身を遂げた「まひる」から更なる大きなきっかけを得たということは、これはすごい気付きであると考える。

今後の更なる成長を期待したい。

電車への送電方法として、第三軌条方式というのがある。地下鉄や東京のゆりかもめ、埼玉新都市交通のニューシャトルなどに採用されている給電方式だ。通常の電車では送電線で送電される電力をパンタグラフで集電し、モータなどの動力系を経て線路経由で送電所(変電所)に戻すという回路構成となっているが、第三軌条では車両の横に第三のレールを設け、そこから給電を受ける。地下鉄では単相交流、ゆりかもめやニューシャトルでは三相交流で送電されている。


 

三相交流給電の第三軌条

地下鉄などの場合、建設費用を抑える為に掘削径を小さくすることが必要なため、高い天井を設けることが出来ないので第三軌条にて送電を行うことが多い。古くは横川と軽井沢を結ぶ旧信越本線(碓氷線とも呼ばれた)が、碓氷峠で用いたことが知られている。これは新線となって廃止されたので、明治時代から昭和xx年まで使われていたものであるが、碓氷峠での採用理由は、開通当時は特別仕様の汽車が客車を牽引していたために、汽車の仕様にあわせてトンネルが掘削されたということによる。つまり、この元々存在しているトンネルのサイズだと、パンタグラフを用いる送電方式では車両のサイズが合わなかったということが第三軌条採用の理由である。


ところで、この第三軌条、実は相当に危険なシロモノであり、要は線路脇のごく低い部分に高電圧送電線が敷設されているということだから、触れたら最後、確実に感電死してしまう。

給電される電圧は各社によって異なるが、最低でも700Vなので、電圧区分上は高圧と呼ばれるカテゴリにあり、人身に対して極めて危険である。酔っ払って線路に落ちたり、痴漢が発覚して線路に逃げ込んで逃走を図ること(?)などもあるようだが、こういう場合も第三軌条に触れた途端、感電死に至る。

             

埼玉新都市交通ニューシャトルのホームとその柵に書かれた高圧注意看板

東京の場合、この第三軌条は地下鉄丸の内線や銀座線に敷設されているが、大阪の地下鉄では殆どがこの方式だ。東京の地下鉄は地上に出て他の会社路線との相互乗り入れが多いので、当初からパンタグラフ方式での給電が多いのだが、大阪ではこの相互乗り入れが無いので、パンタグラフ方式にする必要が無いという理由からなのだろう。

さて、問題はこの第三軌条について一般人は殆ど知らないだろうということ。子供でも十分手が届くところに高電圧の送電線が裸で横たわっているわけだから、危険極まりない。にも拘らず、この軌条が危険であることが殆ど示されていない。特に大阪の地下鉄では、その看板を殆ど見かけない。総ての駅で確認したわけではないが、小生の知る限り、地下鉄構内の柱に「線路内には高圧が通っているので危険」と地味に黒い字で書いてあるだけで、それ以上の警告を表す看板は見たことがない。この警告にしても、その看板を探してみた結果として見つけたくらいだから、恐らく大半の人は見たり読んだ記憶が無いことだろう。

大阪千日前線の日本橋駅ホーム(どこにも高圧注意の看板がない)

地下鉄運営会社はもとより、自治体もこの危険性について駅構内のいたるところにきちんと表示し、線路に入ることは極めて危険であるということを周知徹底すべきである。子供にも分かる絵などではっきりと訴えることも必要だ。

子供を含む一般人がその看板を見て注意を払う様に仕向け、事故を未然に防ぐ策を講じなくてはならないだろう。

東京の地下鉄では、プラットフォームに柵を設けて列車が不在の時には線路に降りることが出来なくなっており、危険回避はかなり高くなっているが、柵が無い駅の場合には今すぐにも対応をすべきだと提言したい。


「子どもが体験するべき50の危険なこと」
Gever Tulley、Julie Spiegler 著、金井 哲夫 訳

素晴らし過ぎる、この本。


今日びの親御さんは、子供達を危険なことから回避することばかりに奔走しているから、子供達は歪んだ価値観を持つようになるし、理科離れしてしまうというもの。そんな子供達を嘆かわしく思う以前に子供達から「考えたり、実験する機会を剥奪してしまっていること」の方が問題だ。

この本には、子供達にこんなことをさせろと書いてある。

01 9ボルト電池をなめてみよう
02  あられの中で遊ぼう
03  完ぺきなでんぐり返しを決めよう
04 フランス人のようにキスであいさつしよう
05 車の窓から手を出してみよう
06 釘を打とう
07 車を運転しよう
08 やりを投げよう
09 ポリ袋爆弾を作ろう
10 電気掃除機で遊ぼう
11 石を投げよう
12 ドライアイスで遊ぼう
13 紙コップでお湯をわかそう
14 電子レンジに変なものを入れてみよう
15 走っている車から物を投げよう
16 高いところから落ちてみよう
17 虫めがねで物を燃やそう
18 ひとりで歩いて帰ろう
19 屋根の上に立とう
20 ノコギリを使おう
21 目かくしで1時間すごそう
22 鉄を曲げよう
23 ガラスビンを割ろう
24 空飛ぶマシンを作ろう
25 太陽を見よう
26 かっこいい殺陣(たて)を学ぼう
27 パチンコを作ろう
28 木登りしよう
29 パフォーマンスに挑戦しよう
30 小川をせきとめよう
31 地下にもぐろう
32 タイヤを交換しよう
33 ゴミ箱に飛び込もう
34 家電品を分解しよう
35 ゴミの埋め立て地を見に行こう
36 友だちに毒を食べさせよう
37 強風の中で手作り凧をあげよう
38 つなわたりをマスターしよう
39 食洗機で料理をしよう
40 ミツバチの巣をみつけよう
41 公共の乗り物で街を横断しよう
42 レシピ本にさからおう
43 ナイフで削ろう 
44 ロープスイングで遊ぼう
45 火遊びをしよう
46 指を瞬間接着剤でくっつけよう
47 ガラスを溶かそう
48 冷凍庫でビンを破裂させよう
49 野宿をしよう
50 なにかしよう


これ等の目的が何なのかは、本を読めば分かることだが、人間としての本能や感性を磨くこともあるし、理工学への興味や好奇心を育むこともある。どれも子供時代に体験しておくべき事柄ばかりだ。小生的には、これでも足りないと思う。やっておくべき危ないことはもっとたくさんある。

危険に対する回避能力や耐性は、子供の頃から体得させておくことが必要。子供というのは未完成品であり、市場に出す前に十分なデバッグをしておくことが必要だ。そもそもデバッグというのは、製品を市場投入する前に、システムを実際に走らせてみて不具合箇所を見つけ出し、対策を講じること。

ところが、

最近の大人たちは机上でのシミュレーションだけでデバッグした気になり、或いは最悪の場合、デバッグすら行わずに市場に出したりするから、そうして育った子供達は大人になって取り返しのつかない問題を引き起こす。


大人になって、非常識も甚だしい、或いは平気で残酷なことをしたり、猟奇的な犯罪を起こす原因の一つは、頭の中の回路が十分にデバッグされないまま市場に出てしまったからに他ならない。

品質検査は、高温や高湿、熱衝撃、振動、落下等々、様々な環境条件で行う。つまり、製品として出荷する前に、わざと「危険」な状態に晒して耐性を見極め、問題があれば改善を行って完成品とする。今の子供達は、危険だからということでこれらの試験を行わないまま、大人になっていることが多いのではないだろうか。

一方、子供達の理科離れの原因も、こうした危険からの「理不尽な」事前回避が災いしていると思う。自然との付き合い方など、実体験しなくて、なぜ習得できるというのか。決して、子供達の不思議や好奇心の芽は摘み取ってはいけない。

小学生~中学生のお子さんのいる皆さん、少なくとも「ここに書かれている程度」のことは、四の五の言わず是非やらせてあげてください。

親の目が届くうちに、危ないことはやらせておくべきです。そこで経験すれば体で覚えます。大人になって経験する方が余計危ない。

ただし、実は、アブナイことって、親とか保護者がいないところでやるから楽しい、ということもあるんですけどね






「草食」の定義がいまいち明確ではないようだが、当初の段階で揶揄として用いられていた「恋愛に対する消極性」という意味あいから、現在では「事なかれ主義な消極的体質」の代名詞として使用されている。元々の意味としての草食系とは、即ち「メトロセクシュアル」的なことを指していると思うが、時間が経つにつれてニュアンスが変わることは良くあること。

ところで、日本の若者がおしなべて草食化していると言われている。しかも、この傾向は更に増大する傾向にあるという。

一般的にこの表現を用いる場合、今日ではコンサバとか消極的、挙句の果てにはヘタレまで含めてネガティブな性格に対して総称されるようだが、しかし、この傾向、どうやら悪いことばかりではないらしい。世界最古の経営戦略コンサルティング会社であるアーサー・D・リトルの川口盛之助氏によると、この、

草食化の傾向は全世界的なものだという。つまり、日本は世界に先駆けてトレンドセッターになっているというのだ。

ううむ、マジすか。。。


確かに人間は自然の一部であるわけだから、本能として安定化や平均化を求めてもおかしくはない。そう考えれば、人類の草食化は自然の大きなダイナミズムのひとつのイベントにすぎないわけで、時折現れる「ならず者」にしても、長い流れの中では失脚していくものであり、世界全体がその方向に進んでいるとは考えい難い。

ところで、各国の安全度合いを示す世界平和的指数(Global Peace Index)という指標がある。戦争や犯罪、病気などをパラメータとして指標化したものであるが、2011年に於ける153国の、この結果を見ると日本はアイスランド、ニュージーランドに次いで3位。次いでデンマーク、チェコ、オーストリア、フィンランドと欧州の国が続き、米国はずっと下の82位となっている。この結果と草食化を直接に結びつけることは性急すぎるが、草食の定義を鑑みれば、少なくとも平和と草食性は無関係ではないと考えられる。とすると、必ずしもこの状態を嘆かわしいと悲観しなくても良いということも言えそうだ。

世界平和度指数(Global Peace Index): 2011

     

      

                  出典:2011 Methodology, resuts and findings  Institute for Econimic & Peace
                   http://gtmarket.ru/files/news/2011/global-peace-index-report-2011.pdf

草食化についてとやかく言うのは小生等の様な世代の輩が主であって、即ち、「そんな弱腰でどうするんだ」と若者たちを恫喝する場合に、草食化への憂いみたいな表現で批判している。しかし、草食がもたらす新しい文化というものが着実に進んでいるということも確かであり、しかもそれが世界的な傾向であるとするならば、それを甘受しても良いのかもしれない。

但し、消極的という姿勢が平和をもたらすのかどうか。何も起きないことは平和であるといえるのか。自然の摂理にかなうべく平均平和を求めて草食化することはよしとしても、人間が人間らしくあるためには、新たなことへ挑戦する態度を失ってしまうと、自然が人間に与えた使命を放棄することになる。


人間は元来雑食動物なのでデジタル的に草食と肉食に分けること自体不可能であり、いきおい、人類は草食性と肉食性の両方を持つアナログ領域に存在しているのだと思う。

人類は他の動物とは異なり、生活を安定させるということを超えて血を流す戦いをしてきた。今のように情報が流通していなかった時代には、自分達が何のために血を流しているのか正しく把握する術がなかった。だから生きるために戦っているのだとだけ考えた。しかし、今日のように情報流通がリアルタイムで行えるようになると、それが欺瞞であることが瞬時に理解できるようになる。

本当のことが判るようになったために、意味の無い戦いを続けることに辟易し始めている。だから安定を求める。草食化する。こういう方向性にあると考える。


草食人間というと、どうしてもネガティブイメージがあるが、言い方を換えれば、ある種の癒し系とも言えると思う。人間は自然の一部であるから、平均化や安定状態を求める。癒されているという感覚は、いわゆる精神的な安定状態をいうわけだから、それを求めるということは、即ち自然の流れともいえるわけだ。もし世界的に人類がその方向にあるということは、早い話、これまでの戦いに、人間どもは、いい加減疲れちゃっている、ということかもしれない。 

かつては独裁者や新興宗教の教祖サマの様なカリスマに付いていくことで、人々は自分の立ち位置を確認しあった。しかし、今日の様な時代になると、マスコミが煽る「強いリーダーシップの誕生」よりも、案外、草食系的な発想と行動を執るリーダの誕生の方が、却ってみんながまとまっていくかも。


6月6日に開催されたAKB48総選挙の結果をまとめた。なんか色々なことが読み取れます。

いずれにせよ、SKE等が台頭してきたということは地産地消型というローカライズ戦略が奏功しているということだろうし、一方、上位陣の順位については、若干の入れ替えはあるにせよ、メンツがほぼ不動であることも確かなものとなった。CD大量買い込みという命知らずの猛者も含め、上位メンバーには、コアなファンがいるということが今年も継続しているのだろう。

今後中間層が下克上するためには、上位層と同じ路線を踏襲しているだけではダメで、むしろ、AKBとしての基本コンセプトは維持したまま、新たな境地を見出すことが必要だろう。それが次世代商品として消費者に受け入れられれば、世代交代は自然と発生するというもの。

尤も、上位層だって黙って手をこまねいているわけではなく、後進の追随を追い払うべく、どんどんと進化していくから、後進たちの道程は簡単ではないだろうけれど、上位層については急激な車線変更を行うことは危険を伴うと考えられることから、当面は保守路線でいくはずである。

従って後進たちは、AKB48という帯域は守った上で、上位層とは異なる路線として別の活路を見出すことは、十分可能だと考える。

    黒:AKB48 青:NMB48 赤:SKE48 緑;HKT48 色付欄:昨年圏外から入選




6月6日に武道館で行われたAKB48総選挙で、篠田麻里子さんや大島優子さんは、巷で話題となっている世代交代の可能性について、一刀両断に切り捨てた。

まさに溜飲の思いだ。そもそも「世代交代」と「次世代へのシフト」は、全く次元が異なる。次世代がきちんと用意されていないうちに世代交代を目論むということは、荒唐無稽以外の何物でもない。いうなれば、自殺行為だ。

次世代の商品は、現世代の商品に比べて高性能であるか、或いは高機能であるべきだ。そういった世代商品が市場に投入されれば、くだんの世代交代は黙っていても起きる。


世代交代とは「するものではなく、していくもの」であり、つまり「現象」なのだから、 まずは「魅力的な次世代」を用意すべきだ。


もし次世代が現世代と比べて機能や性能に進歩が無ければ、世代を交代させる意味は全く無い。消費者にとってメリットが見出せないにも拘らず無理に世代を交代させれば消費者が追随せず、必ず失敗する。

彼女達がはっきりと「世代交代を目的としてであれば、席を譲る気は無い。後輩達よ、かかってこい」と表明したことは、まさしくこのことだ。後輩達に自分たちを超える性能や機能改善が育つのであれば、自ずから世代は交代するはず、といっている。

 


しかし、現在の性能や機能は相当レベルが高いから、後進たちがそれを超えるのは相当しんどいことと思うが、何も同じ路線である必要はない。時代を先取るとか、あるいは時代を作っていけばいいのだ。今のAKB48にはそれだけの市民権がある。後進たちはその立場をどんどん利用すればいい。秋元康氏の手腕が問われるところでもあるが、秋元氏を驚かすようなこと自分達から提案できればいいと思う。

いやあ、ある意味、AKB48ってハイテク商品の商品開発と共通しているなぁ。