変電所の魅力ってナンだろうって、考えた。
小生にはふるさとがない。学生の頃、それがコンプレックスだった。
生まれも育ちも東京。一方、当時の友人たちは、男も女も元カノも、皆、地方出身。だから彼らが語るふるさとの話は、小生にとって異次元の世界のものだった。その話をする彼らに、小生は心が折れそうになるほどの距離間を感じた。
ある意味、その変えようのない運命に,、言いようのない負い目すら感じることさえあった・・・・
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発電所は、発電しているところが実際に見えると大変面白いのだが、原発はもとより、水力も火力も総て建物の中に置かれているので外からその姿を見ることが出来ない。これが魅力を落としている原因だろう。
かつては、つまり3.11の東電による原発事故以前は、テプコ館主催の見学会などがあって、発電所の見学が出来たのだが、今は総て中止されており、総て秘密基地化してしまっている。それに、見学会という性質上、長居も出来ないし、じっくり見ることが出来ないので、気の済むまで鑑賞することはできない。これも魅力をそぐ原因の一つだった。
その点、変電所はいい。特に超高圧を扱う一次変電所は、見ていて最高に気持ちがいい。トランスの唸る音が、自分の波長と共振してなんとも落ち着いた気分になれる。この音、幼少の頃によく遊んでいた電車の引き込み線辺りの変電所で聞いていた音だったので、小生にとっては、ある意味懐かしい音でもあるのだ。
それと、真夏になると超高圧送電の碍子付近から聞こえるジリジリ、ブチブギという電気虫の声が聞こえるが、アレがまたいい。思わず笑みがこぼれる。恐らくあんなもの聞いて微笑んでいる姿は、興味ない人から見たら相当に異常な光景だとは思うが、別に構わない。
設備されている機器も鑑賞用として大変興味深い。なにしろ実生活とは無縁の機器だし、SF映画に出てくる秘密基地の様な様相にワクワクさせられる。遮断機にしても変圧器にしても、電気工学技術の粋であり、とにかくかっこいい。遮断機が作動し、雷鳴の様な音と共にアーク放電を伴って遮断するシーンなど見れたら、嬉しくて発狂してしまうだろう。
変電所の魅力というと、そういった設備の物理的な面白さもさることながら、もう一つの魅力は変電所への給電や変電所からの送電の送電網を見ることだ。
埼玉県には、超高圧変電所として新所沢変電所とか、新坂戸変電所、新岡部変電所などがある。この変電所に引き込まれている送電の鉄塔にはそれぞれの送電線名が掲げられているので、その名称を見れば、遠く離れた福島県の水力発電所や新潟県の原子力発電所などで発電された電力が遠路はるばる運ばれてきていることがわかる。
例えば、埼玉県を南北に縦断し、川越にある電源開発(JP)の川越変電所に給電している「只見幹線」という送電線は、福島県の田野倉ダムで発電された電力が、山奥から様々な経路を経て、はるばると送られてきているものだ。送られた後、その電力は一時変電所で電圧を落とし、そこから再び次の変電所へと旅立っていく。そして最後には、街中にある配電変電所で一般家庭用の単相100V・200Vや、町工場などへの三相200Vに変換されて給電されるのだ。
電力は基本的に貯蔵が不可能。蓄電池で貯蔵ができるとは言っても微々たるもの。従って大半の電力は今、発電所で生成されたものだ。電気の伝導速度は光速に近い。つまり、今見ている送電線に送られてきている電力というのは、自分が見ている瞬間にダムや原発で生成されたばかりのもの。
変電所を眺めながら、遠くにある発電所や変電経路を思い浮かべる。それが楽しみのひとつである。
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その後、社会に出てからは、仕事がら海外人とも多く交流するようになって、ふるさととの距離感はだんだん短くなり、その存在は別の意義を持つようになった。今では、その距離感があるほど交流が楽しめるほどだ。
だが、当時の痛みは今でも覚えている。送電線を見ると、その頃の甘酸っぱい思い出がたくさん駆け巡ってくる。
つまり、変電所に引き込まれている送電線は、遠い昔の自分と今の自分をつなぐ、記憶の架け橋なのだ。
学生時代、遠くを見るような眼差しでふるさとを語っていたあの子は、大学を卒業してふるさとへと帰っていった。その姿を見送った上野の駅で、列車がホームを去ったあとも、小生は列車を導いている送電線をずっと見続けていた。
まるで、あの「なごり雪」の歌の様に・・・・
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あの子のふるさとは、昨年発生した大震災と津波の被災地、女川の海辺の近くだった。
とっくの昔にどこかに嫁いでいることだろうとは思うが、ご家族共々無事でいて欲しいと、心より祈るばかりだ。


























